自然農法(わら一本の革命)#45

自然農法(わら一本の革命)#45
戦略兵器としての食糧
「現状は、食糧がアメリカの戦略兵器になってしまっている。これを転換して、みんなが、日本人がかつてやってきたような農法、あるいは自然農法をやっていくとどうなるか。ということなんです。広いところを使ってよその国へ出す食物をつくるんじゃなくて、狭い面積で豊かな食糧を生産して、豊かな生活をしてくれたらそれで収まるんだ、と。・・・毎年米をつくって、しかも裏作で麦を作ったら、澱粉の生産量でいったら3倍になる。カリフォルニア平原だけで、州政府がその気になったら、三年で日本全体と同じ量の米を作るだけの可能性が十分あると言ったら、農場主が『こりゃ革命だ、大変だと』即座に自然農法に転換しました。太陽は豊かにある。水は十分あるんです。この平原で米を作ったら、日本は滅んでしまう、自分がここへ来て、米の増産運動みたいなことをこれほど言ってかまわんのか、ということを言って私の袖を引いた者もいます。確かに始め、そう思ったんです。無限の資源があって、ここで米を作ったら、日本の農民はひとたまりもないということを感じたんです。しかし、考えてみると、これはそうじゃない。アメリカの農民が貧しいからこうなっているんだということを感じたんです。アメリカの農民が日本の農民以上の食生活をしておって、豊かな、楽しい生活をしているんだったら、よその国へ出すことはないんです。よその国へ食糧を売らなきゃいけないということは、実を言うと、貧しいからなんす。・・・私の目には、昔のアメリカインディアンの生活に、今こそ学ぶべきでないか、大自然の偉大な精神・グレートスピリットと呼ばしめたアメリカ大陸の精神(こころ)の復活に、一縷(いちる)の望みを託して帰途につきました。これはアメリカのことであり。日本のことであります。ふり返って暗然とするのは、アメリカ追従する日本の現状です。」
<ようやく、自然農法(わら一本の革命)が終る。最初本の概略と木庵のコメントを少し書く予定であったが、まとめる段階で新たに読み返すと、福岡氏の思想の深さにのめり込んでしまい、長編シリーズになってしまった。またシリーズを書くうちに、木庵自身の生き方に新たな道が開けたように思う。特に自然とは何かについて考えさせられた。興味のあることにこのシリーズを書くようになってから玄米食を復活するようになった。と言っても完全な玄米食ではなく、白米と玄米の比率が2対1の割合ぐらいのものであるが、かつて食べていた玄米の味の深さを思い出している。玄米と味噌と少しの野菜さえあれば人間は健康に暮らせる。自然に還る生活をする気持ちさえあれば人生なんってケセラセラ。贅沢病から抜け出せば、平安な人生が待っている。欲もほどほどにして、大地に根ざした人生を歩めば、人生も味わい深いものになる。福岡氏の本には魔術がある。彼は人生の目標などないと無為の人生を説いているが、彼の思想に触発されるにつれて、木庵の人生観がより楽観的になっていくことを覚える。木庵>
<最後に「自然農法(わら一本の革命)」で、読者の方との対話を紹介して、このシリーズを一応終る。木庵>
木庵さん
面白さうなお話ですね。有機農業には、まだまだ人間が知らない良いものがいっぱい詰まってゐるやうな気がします。アメリカでも、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書いて、農薬などの害について警鐘を鳴らしましたが、今のアメリカは遺伝子を操作して害虫を殺す大豆を作ってゐます。福岡さんの話は、欲望を捨てたところがスタートだったやうで、そこに救ひを感じます。続きが楽しみです。
禅は無を悟ることですが、無にこだはりすぎてもいけません。こだはると心の自由を失ひます。この俗世間も、案外悟った人が何食はぬ顔をして動かしてゐるものです。また岡先生の話をしますが、数学の研究をするのにフランスに留学した。パリといふところは、くらげのやうにプカプカ浮んでゐると、自然に必要なところへ連れていってくれるのださうです。しかしフランスに何年かゐると、日本にはあってフランスにはないものがあることに気がついた。結局それは樹の花の香りのやうなものでした。そして日本に帰国してから、先生は芭蕉の研究を本気でするやうになった。芭蕉にならって奥の細道を歩いてゐたら、数学の大発見をしたこともありました。木庵さんも福岡さんも、無意識のうちに体を張って魂の探検にさまよってをられたのでせう。私の人生も、「犬も歩けば棒に当る」式に歩いてきました。色々な棒に当りましたが、良いことも悪いことも、みんなそれぞれ、それで良かったと思ひます。過ぎたことはみんな美しく見えるものなのですね。 koreyjp
[ koreyjp ] さん、私は悟りを開いておりませんが、心が誰もと通じてじているということを感じます。昨日、私のテナントで4ヶ月程前死んだハンディマンの娘が病気で学校を休んでいました。『大丈夫かい』と言うと、『だいじょうぶ、今日は私の誕生日です』という返事が返ってきました。そのあと、『おなかは減っていないかい、何か食べたければレストランへ連れて行ってあげるけど。何か買って来てあげようか』と言うと、嬉しそうに『いい、おじいちゃんが何か作ってくれるから』と言いました。その後、『誕生日祝いだよ』とイチゴをやると、とても喜んでいました。父親がなくなり、母親は働きに出かけている。子供心に誕生祝いをしてもらいたかったのですね。私の声かけだけで、可愛いい嬉しそうな表情をしました。木庵
禅は、体験を通して存在の奥底を垣間見るやうなものですね。そしてそれを一度経験すると、大安心の境地に行く訳です。岡先生は、「一人が悟るといふことは、万人が悟るといふことだ」と言ってをられます。人は一面個々別々ですが、また一面は心が一つにつながってゐるからです。福岡さんの心は、私たちの心と確かにつながってゐます。koreyjp
可愛いですね〜、お写真、ほんとに^^
記事の続き、楽しみにしています。Kayomi
kayomiさん、本当に可愛いですですね。「ヤクザみらんちゃん」と名づけました。いつも外に連れて行って健康に育っているようです。木庵
木庵さん
人とは霊人(ヒト)のことで、本来霊的なものだと、谷口雅春先生も仰いました。霊性が触発し合へる対話は理想的なものですね。koreyjp
[ koreyjp ] さん、本当の対話とは人間が本来誰でも持っている霊性を触発しあうものだとおもいます。ただ自省の習慣のない人は、霊性をみる前に己が先に出て霊性の存在さえ分からなくしているのだとおもいます。今後とも霊性の鉱脈をお互いに掘り起こしていきましょう。木庵
kayomiさん、福岡氏は山小屋にこもって農民の生活をなされたのですね。自然に還ることにより、いつしか人生哲学のようなものを会得なされたのでしょう。それは観念の哲学ではなく、自然と溶け合った本物の哲学のような気がします。アメリカ留学の意義は、離れて日本を見て、日本のよさが分かるということでしょうか。木庵
おほめに与り、恐縮です。私も、木庵さんが広い心で受け止めてくださるので、蜜蜂のやうに自由に飛び回ることができるのだと思います。これからも、この対話を楽しみながらやらせて頂きますので、よろしくお願ひ致します。koreyjp
何か人生哲学の本をよんでいるような感じです。
知識のない私ですので、とてもおもしろく読ませてもらっています。
私は、息子達に世界を少しでも見て欲しくて、二人ともに、留学を勧めました。長男は行きませんでしたが、次男は少しの期間でしたが
アメリカに留学しました。生活は大変でしたが、次男はとても有意義な経験だった様で、必ずまたいくと言っています。木庵先生のお話、楽しみにしています。この写真も、ほんとに子供らしくて良い表情をしていますね。Kayomi
つづく

自然農法(わら一本の革命)#44

自然農法(わら一本の革命)#44
我思う、故に我あり”
「人間が、まずある。万物の霊長である人間、神の子である人間、最高の動物としてつくられた人間がまずここにある。それからすべてがスタートしている。この世に何があるかないかというすべてのことは、人間から出発している。人間が実在を証明している。この考え方が、自然を人間のための自然にしてしまっている。東洋の思想では、人間は自然の一員にしかすぎない。犬やネコやブタ、ミミズもモグラも人間と同列である。・・・チョウやトンボを犠牲にしても、芝生があればいいという。人間尊重といえば尊重に見えます。しかし、そこには何か傲慢というか不遜というか、感じる。便器のそばで化粧するということ。昔の日本人は化粧するのを大っぴらにやったでしょうか。やはり平気でおれない。近代生活に慣れれば慣れるのかも知れませんが、あれが快適な生活には見えない。美とか醜とか真とかいうものが狂ってきているということを感じた。狂ってきている根本は、やはり出発の間違いだと思う。セミナーでは、デカルトのことだけで一日過ぎてしまったんですが、とにかく、アメリカの衣食住全体はとんでもない狂いを生じているんじゃないか、ということなんです。」
<西欧の現代合理主義は、デカルトの“我思う、故に我あり”から始まる。この我とは自我の我であり、小我の我である。自然から遊離したる我であり、思い上がりの我である。そのような我を持つアメリカ人は自然が分からない。せいぜいイミテーション自然で満足してしまう。アメリカ人が犬、ネコが好きで、動物愛護の精神はすごく高いと考えられているが、犬、ネコをペットの領域で捉えることしかできない。犬の躾もしっかり出来ているようで、木庵から見ると飼い主のエゴで躾しているように見える。犬猫が人間と同じような仲間と思えば、もっと違った付き合い方が出来るだろうに。本来動物愛護精神があるなら菜食主義者になるべきなのに、平気でビフテキを食べている。木庵>
九合目くらいしか分からない
「自分たちが感じたり、論じたりすることができるのは全部、この程度のこと。頂上ではなくて、八合目、九合目のところしかわからない、ということです。頂上に立てば神は見えるが、途中では神は見えないのに、神がわかった気になり、神を説く、しかし、神は頂上(相対界)を超えた空(絶対界)にあり、言葉にもならず、字にも書けない、絵にもならないのだが・・・。自分はアメリカでユダヤ人と会って、ユダヤ人の宗教とか思想とか、夜中まで話した。彼らは非常にすばらしい考えを持っているけど、最後にいくと、非常にがんこと言えば、がんこなところを持っている。キリスト教の話をしても、神道の話をしても、八合目、九合目までの話は合うわけなんです。ところが、話が合わないのが頂上のことなんです。もし、頂上からみた空は同じだろうということであれば、どちらから登っても、その点では一致できるわけです。頂上の上の空は、誰も所有するところでない。その空は、西洋人の空も、日本人の空も、アメリカ人の空も皆一緒だというのと同じようなもんですね。その空(くう)という点に行けば一緒になれるはずのものが、そこまで行けないために、八合目、九合目までしか行けないために、頂上のこととなると、想像するだけだから、すべてはバラバラになってしまう。神仏の合体、宗教の一致ができない。」
<ある宗教に凝り固まった人は、「これは、真実ですから、譲ることが出来ません」のようなことを言う。一つのドグマ主義に陥っているのであろう。説や主張などどうでもよい。ようするに、頂上の上の空から見ればよい。ただ人間である以上見えなくとも、見える世界があるんだと思い、見るためにまず自分の持っている自我や信念のようなものさえ、横に置く謙虚さが必要であろう。その点、日本人にはこの謙虚さを本来持っているように思える。悪く言えば自信がない、よく言えば自然と溶け合う無私の精神があるように思える。無私こそ天空に近づける一番の道であると思うのだが・・・。木庵>
拡大志向の機械文明の行きづまり
「今まで、アメリカ人はみな、小より大がいい、貧しさより豊かなほうがいいと、どんどん拡大の方向に向かっていた。政治も経済も、すべてのものが拡大の方向へ向かって暴走してきた。これが近代文明であり、近代の発達である。しかしこれは、頂上から奈落に向かっての下落でしかない。・・・自分は、ニューヨークに数日、生活してみて、街も夜、歩いてみました。一人一人会ってみると、あの黒人のハーレム街でもどこでも、何も恐ろしいような感じがしない。みんな非常にいい人たちだと思う。腹の底から笑えるのは、むしろ、あの黒人ではないかとさえ思う。あの大きなニューヨークの街の真ん中に酔っぱらい街がありますが、そこで昼間に酔っぱらっている人たちの顔を見ていると、これが本当の底抜けに明るい顔だ、ということです。ところが、利口な人、生活の豊かな人たちの顔といったら、満足している顔は一つもない。みんな悲劇の、行きづまった顔しかしていない。これは、あの文明の行きづまりを端的に表わしていると思うんです。・・・人生にはこういう目標がある、どういうのが生き甲斐であるなんて言うけれど、人間には目標なんかもとからありはしない。何をしなければいけないということも一つもありはしなかったんだ。ということを、四十年前に知った。人間が勝手に設定しただけにしかすぎない。豊かになる、幸福になるという錯覚をおこして、仮の目的をこしらえただけにすぎない。・・・人間はなにもしないようにするしかないんだ。もしも自分が社会運動をするとすれば、なにもしない運動をするしかしようない。全ての人がなにもしないようにしたら、自然に世の中は平和になるし、豊かになるし、言うことはなくなってしまう。」
<黒人が腹の底から笑えるというのは当たっているのかもしれない。しかし、黒人が幸せであるとは思えない。アメリカ文明社会に取り残されて、諦めの境地になっているので腹の底から笑っているように見えるのであって、本当に心の底から笑っているのであろうか。福岡氏が指摘するように、我々人間は仮の目標に向かって進んでいるだけで、本来人生に目標などないのかもしれない。そのことを悟っている福岡氏から見ると利口な人、生活の豊かな人たちは、悲劇の、行きづまった顔をしているように映るのだろう。アメリカ文化論として興味のある記述である。アメリカは拡大の一途を辿り、人間の欲望も上昇するばかりである。この欲望が世界の経済を盛り上げている原動力になっているが、それも限度を超して、欲望の火の車に乗っているようなものである。もともと資本主義というものは人間の欲望を肯定したところに成り立っているのであるが、それでは欲の亡者になり、欲望の大きい人間が勝つ弱肉強食の世界になる。そして弱肉強食に勝つような人間はより大きな欲望に向かい。負けている人間は、ただ諦めるか、富の不平等を武力で取り返そうとする。武力で訴えようとするのが共産主義で、結局共産主義国家が誕生しても、その中での権力闘争、弱肉強食が行われている。本当に人間というのはどうしょうもない。だから福岡氏の言うように、社会運動をするなら何もしない運動をするというのが正解なのかもしれないが、何もしない運動はことを起こす人間にとって都合のよい存在になる。ということは、結局人間には欲望の節度が必要であることを説くしか方法がないのかもしれない。誰もかれも福岡氏のような無為に生きることはできない。せめて仮の目標に向かって一生懸命生き、この世を去るときに、自分の設定した目標が夢、幻であったんだと悟って死ぬしか術がないようである。木庵>
つづく

自然農法(わら一本の革命)#43

自然農法(わら一本の革命)#43
アメリカ農業は狂っている
東部の樹海も不自然
東海岸へ行きますと、ニューヨークから南の三,四州は、カリフォルニアとは反対に、行けども行けども緑の樹海なんです。雑木ばかりのところを走るような格好です。シラカバやカエデ、カシワなど、五種ばかりの、同じ高さの木が、ずっと続いている。・・・一週間ばかり見て歩くうち、『いや、これはやっぱりおかしい』と感じた。『これは、畜産を主体にしたために、いっぺん荒廃してしまった土地だ』と思った。その証拠に、木は生えているが、その下の土がやせている。氷河で駄目になったんだ、というけれども、氷河の時代から一万年たっている。日本だったら、二千年もたったら、1〜2メートルの土ができているはずである。それができていなくて、50年もたった雑木がこの程度の大きさだということは、とても土地が回復しているとは思えない。自然にまかしておいたんだったら、もっとスピードで回復しているはずだ、やっぱり人間が駄目にした土地だ、これはイミテーションの自然になっているんだろう、と自分は見ました。これは、自分の想像が半分ですが、アメリカ人が初め米国の東北部に住みついて、西へ西へと開拓して行ったのも、牧畜をやると土が死んでしまう。次々と牛を追って、インディアンが入るところを占領して行ったのではないか。移動した後の土地は、やせてしまっているから、何もできない。放っておかれて、そこに雑木が生えた、と。まあ、これは四十日間の観察で考えて事ですから、当たっていないかも知れませんけど。ボストンの久司さんの会社(エレホン自然食品社)で、働いている人たちに一時間ばかり話した時、『この雑木に目をつけたら、久司さん以上の大金持ちになれるが』と言ったら、『何ですか』と言う。『このサトウカエデなどの木を厚木にして、シイタケを作ったらどうか』と言ったら、皆がワーッと笑いました。これはもう無限の宝庫だと思うんです。」
<日本は四方が海に囲まれ、海から水を十分含んだ季節風がやってきて、一年中雨を降らしてくれる。考えてみれば、世界を探しても、これほど素晴らしい環境を具えた土地はないように思える。豊かな樹木を誇る山からよく肥えた自然の肥料が流れ出てきて、田畑を潤す。エコロジーの素晴らしい自然環境がある。畜産もごく一部のところでなされ、自然を破壊するところまで行っていない。ところが近頃科学肥料に頼ろうとして、藁が害虫についているということから焼いてしまうところもあるとか。また、昔人糞は大切な肥料であったのだが、トイレの水洗化で、貴重な肥料が海に流されてしまっている。アメリカでのシイタケ栽培とは面白い。ところで、カリフォルニアでの農業に貢献しているのは日系人が多いという。サクラメントあたりで今米作りが行われているが、本気に米作りに取り組むとすれば、サクラメントあたりだけで、日本の米総生産高以上の収穫が出ると聞いたことがある。福岡氏だけでなく多くの日本人が世界に飛び出し、農業指導をしている。今後、世界の農業を救うのは日本人であるように思う。自動車、電子機械などの輸出だけでなく、日本の伝統ある農業を世界に輸出する。これほど世界への平和貢献度の高いものはないだろう。木庵>
イミテーションの自然
アメリカの町は、ボストンの町でもどこでも、まるで町の中やら森の中やら分からないほど、たくさん木があるんです。ところが、ボストンで60階建ての建物に上がってみると、さすがにボストンの町も緑は少ない。・・・昔からの木とは思えない。やはり、あとから植えた木のようです。そうすると、二百年くらいの木しかない、ということになってくるわけです。アムハースト大学という由緒ある大学(新島襄、クラーク博士等の出身校)の広い構内で、マクロビオティックセミナーが開かれたんですが、そこで、『アメリカでは自然が滅びてしまっている、自然が滅びたら、そこにいる人たちは、どういう思想を持つだろうか』ということに話が行ったんです。自然がなくなったら本当の思想は生まれないんじゃないか、という考え方を自分は持っております。・・・サンフランシスコかサクラメントまで来る間は砂漠化していて、サクラメントの人は緑のオアシスの中にいて、自然というものを非常に愛するように見える、街路樹も大事にしている。ボストンでも大事にしている、が、アメリカ人が大事にしているのは、人間が作ったイミテーションの緑であって、本当の自然を大事にしている感情だろうか。アメリカ人は日本人にくらべて、自然保護の気持ちが非常に進んでいるように見えるが、自然が失われたから自然を大事にする気持ちが起きただけにすぎないんじゃないか。大学の構内の芝生を見た時に感じたことはどういうことか。そこにはチョウも何も飛んでやしない、ミミズもいない。アリも見えない。これは自然の緑があるのじゃない。人間に快適な、人間に都合のいい自然がそこにあるだけじゃないのか。その自然を守ることが、自然を守ることだと思っている。その自然がイミテーションの自然であるとしたら、その自然保護の感情は、果たして正しいと言えるであろうか、ということなんです。ボストンのセミナーで話しましたことは、そういうことから、なぜアメリカ人の思想がそのイミテーションの緑を作って、それで満足できるのか、ということなんです。日本人の自分には、その芝生が不自然に見える、美しいのは確かに美しいが、それでは日本人には満足できない。」
<イミテーションの自然とは、上手く言い当てている。木庵がアメリカに上陸してから、アメリカ人の思想がおかしい、不自然である思っていたナゾが解けたように思う。思想というものは人間の頭の中で生まれるものではない。自然の中から生まれるものである。アメリカ人の思想が不自然なのは、本当の自然の中で生活していないからである。イミテーションの自然の中で生きているので、思想も本物ではなくイミテーションなのである。木庵もアメリカの各家庭の庭にある芝生を不自然に思っている。木庵などは木々が鬱蒼と茂っていて、木々の間に雑草が生えている方が美しいと思う。先日日本人の友達の家を訪れた。彼女の娘はイギリス人との間にできたハーフで、娘はアメリカ人と結婚している。郊外の自然(?)が残ったところで生活し、庭も広い。野菜も少し作っているが、区画したところに植えられていて、木も植えていない土が露になっている部分が多すぎる。狭い畑に到達するために砂利が引いた歩道があるが、それだってただの機能を重視した感じがする。木庵であれば、これだけのスペースがあれば野菜や木々を雑然と植え、その雑然さ、自然さを楽しむのだが。道路に面したところには芝生が植えられ、エッジは綺麗に切られている。犬が芝生の上におしっこをすることを極度に娘の主人は嫌っているらしい。友人の主人は2年前亡くなり、娘夫婦と一緒に暮らしているのだが、あまり語らないがどうもこのアメリカ人との関係に疲れているようである。ぼつぼつ日本に帰ることを考えているらしい。一般的に姑が娘夫婦に気を使っているということだけでなく、庭一つに対する考え方の違いというか、感受性の違いが、日本人である友達には、大きな心労になっているのではないかと思う。アメリカ人は自然を大事にするといってもイミテーションの自然を大事にしているので、グリーンピースの運動家が、捕鯨反対を唱えて、実験捕鯨をしている日本の船に体当たりしてくる。中絶反対者が中絶を断行する医者を殺すというような、本末転倒で、本当の自然から離れている。このような極端なことを述べなくても、一般的なアメリカ人の感受性が人工的、イミテーション的に見える。まだ金持ちは砂漠の中の人工的オアシスに住んで、何とかイミテーションな人生を歩むことが出来るが、貧しい人は惨めである。イミテーション的な自然さえも得られず、砂漠の中で生活しているようなものだからだ。近頃彼たちの嘆き悲しみが木庵に伝わってくる。アメリカ人は心の底から、本当の自然を求めているのである。それを教えるのは、日本人の使命であろう。ところが,近頃日本人の中に。アメリカのイミテーション的自然観に憧れている軽薄な人間が多くなりすぎている。福岡氏のようにアメリカ人に自然とは何かを教えると、アメリカ人は本当の自然に飢えているので、真摯に耳を傾けるのだが。木庵>
つづく

自然農法(わら一本の革命)#42

自然農法(わら一本の革命)#42

スペイン人が悪い草を持ってきた
「その海岸から20分ほどの、レッドウッドの森という所に行きました。そこは、日本でいうと数ヵ村くらいの面積で、原始林みたいに、二百年、三百年の木が林立している。日本で言うと、杉、ヒノキ、というような大木で、七,八十メートルあるんです。カリフォルニアには、ところどころに、氷河がきた時に、まわりは全滅してしまったのに、とり残された“氷河の森”があって、樹齢二千年、高さ百三十メートルなんて巨木があるところがあるんです。そこに八十歳ほどの大酋長がおりまして、「あんたは、この森の守り神か」と言ったら、「そうだ、それはいいことを言ってくれた」と、えらい喜びまして、ずっと案内してくれて、いろんなことを学ぶことができました。(帰国後、この老人から、三百年生のレッドウッドの木の梢で造った手造りコップを贈られた)『昔から、ここはこうなのか』と聞くと、『そうだ』と言う、二百年前の森がそのまま保存されていて、国立公園になっている。幅4メートルくらいの道があって、ロープが引いてあるだけで、ほかに何も設備はない。ベンチひとつ置いてない。車で十分の、外は褐色の砂漠だけども、そこはパッと違って、うっそうとした大森林になっている。下草の三分の一くらいは、日本の草みたいなものです。皆さんも、それだけ聞くと、おかしいと思うでしょう。砂漠の中に鎮守の森のようなものがあって、日本の草が生えているなんて。昔からここはこうだった、と言うから、「カリフォルニアの昔はどうだったのか。いつから、狂ったはずだ」と言いましたら、彼は、スペインが来て牧畜をやった時から狂ったような感じがする、というようなことを言う。いろんな所で調べたり、あとから聞いたりしました結論は、そのフォックステールはスペイン人が持ってきた牧草の中に入っていたのではないか。それがカリフォルニア全体を支配している、と自分は見たわけなんです。これが、なぜ支配するかというと、フォックステールは、6月頃に実が入って熟すんですが、日本ならば、一つの草が成熟して枯れれば次の草が生えるはずなのに、これが緻密に生えているために、他の草がよう生えない。そのために、野山が一面に褐色になってしまう。その実が、トゲがあって性質(たち)が悪い。着物に突き刺さると抜けなくて、中へどんどん入ってしまう。犬やネコが草原を歩いて刺されたら、肉まで入ってしまい、手術しないと抜けない、と言うんです。そういうものが鳥や獣について拡がったために、褐色の草原になってしまう。そうすると、三十度の温度があれば、当然、反射熱で四十度に上がってしまう。こうして気温が上がって、熱の砂漠になってしまう。結論として、自分の推察は、スペイン人が草を持ってきた時からカリフォルニアの草が変わってしまった。雑草がなくなってきた。それがアメリカの気温を変え、それが砂漠化のスタートになったんではないか。そういう感じがしたんです。そんな気持ちを持ちながら、数日後州政府のあるサクラメントへ、環境庁の長官に呼ばれ、三十人ほどの役人に話をしに行きました。・・・『自分は、カリフォルニアに来て、いろいろ疑問を持った。というのは、砂漠でありながら、日本の雑草みたいな草がある。いったい、カリフォルニアの母岩はどうなっているんだ』・・・すると、彼女は、『実は私はもともと鉱物の専門学者だった』と、分厚い本を持ってきって示すんです。その話が、日本列島とサンフランシスコ当たりの母岩が一緒だというんです。また、北海道の島々と、カナダの南の方の母岩が一緒。シベリアとアラスカ、東南アジアとメキシコ附近の石もまた一緒だと言うんです。全く相似的に分布している。そして、昔、太平洋は大陸だったという説もあり、山が爆発した時に、溶岩が東西に流れて、そのようになったのではないか、と言うんです。日本には富士山がある。カリフォルニアにも同じくらいの高さの火山が、ちょうど同じような所にある(シャスタ山、4317メートル)。富士山があって、雑草が一緒で、石(母岩)が一緒だったら、太古は一緒だったかも知れない。」
大陸移動説を、植物の分布や母岩から、福岡氏は証明したことになる。日本とカリフォルニアが太古の昔繋がっていた。その証拠に岩石が同じであるというのは興味のあることである。木庵の聞いた話では、白人がカリフォルニアに入植する前、インディアンが相当いたという。木庵の疑問とするところは、なぜ樹木がほとんどない砂漠のような所にインデアンが住んでおれたのかということであった。福岡氏の推論でそのなぞが解けた。インディアンが多く住んでいた時代には樹木が生い茂り、夏場といえども山々が褐色になることはなかった。そうだとすると動物も多く生息していてだろうし、野草なども豊富で、人間が住むのに適した所であったということになる。木庵>
雨は下から降る
「・・・『自分は、サンフランシスコから、ここへ来るまでの景色を目を皿のようにして見ていたけれど、サンフランシスコをちょっと離れるとすぐに褐色が始まる、砂漠化してゆく過程がよく現われている。そして、サクラメントの町へ入ったとたん、また緑の木が一面に生えている。草花が植えられていたりして、緑になっている。こういう緑を見ると、全く砂漠の中のオアシスという感じがする。サクラメントも美しい町だが、しかしこれは作られた人工的な緑だという感じがする。ところで、『サクラメントは昔から、こういうふうな緑の所であったのか』・・『いや、そうではなかったかも知れない。その証拠に、サクラメントには、こんな家が2,3軒ある』という話が出た。あとで、その家へ案内してもらいましたが、二階へ直接入るような階段がある。洪水で、水が引かないから、直接、上へ入ったという。あの砂漠の中のサクラメントの町が、二百年,三百年前にそんなに水が出ていたということが、証拠として残っているわけなんです。雨が降らないのが大陸的気候だ、と盛んに言われるんです。気象学から言えば、雨は上から降るかも知れないけれど、哲学的に言えば、雨は下から降るもんだと自分は思う、と言ったんです。下が緑になれば、そこが水蒸気がわいて雲がわいて、雨が降るんだ、と。」
<ただ言っておくが、ロスあたりで、雨季には日本の梅雨のように相当の雨が降ることがある。水はけが悪い所だと床下浸水ぐらいはよくある。福岡氏の述べているのはロスではなくサクラメントで、サクラメントの方が断然降水量が多い。以前の記述から推論すると、二百年,三百年前は今より降水量が相当多かったことが分かる。それは当時、カリフォルニアは夏といえども山々に樹木や雑草が多く茂って、水を保水し、また蒸発させて、雲を作っていたからであろう。木庵>
土がやせる農法
「現代の科学者に言わせますと、牧畜をやれば土地は肥えるはずだ、と言います。実際はどこでもやせている。オーストラリアの青年の話を聞きましても、インドの青年の話を聞きましても、やっぱり、畜産をやれば土地がやせる、というのが自分の結論なんです。アメリカ大陸でも、初めスペイン人が畜産をやって、土が肥えるはずだが、やせさせてしまっている。牧畜をやって、牛の糞尿が全部土に返っておれば、やせるはずはないように見えますが、実際はやせてしまっている。雑草が単純化するからです。そこへもってきて、最近は、近代農法をやって、さらにやせてしまっている、という悪循環がおきている。皆さん、日本の牛や豚のエサが日本の草だと思ったら大間違いで、何百頭も飼っている今の牧場の牛の草は、アメリカの草なんです。その草を持ち出しているから、アメリカの大地はやせてくる。アメリカの畜産農家は裕福だろうと思っていたら、案外そうじゃない。やせてしまった土地に、石油で作ったものを投下して作った草を売っているにすぎない。足許の土は、ますますやせる一方である、金儲けをしているが、土地はやせているから、根本的には、マイナスの農業をやっている一方である。」
つづく

自然農法(わら一本の革命)#41

自然農法(わら一本の革命)#41
「当てにならぬものを当てにすれば、当てがはずれる。自然には本来右も左もない。したがって中庸もない、善悪陰陽もない。人がたよれる何の基準も、自然は人に指示していないのである。主食が何でなければならぬ、副食はこれに限ると固定化することが無理なことで、自然の実相からかけ離れる結果になる。人は、自然がわからない。しかも行き先を知らない盲人である。だからやむをえず、智恵という科学の杖をついで足もとをさぐり、夜空の星のような陰陽の哲理をあてに方角を決めて進んできたにすぎなかったのである。どちらにしても、人間は頭で考え、口で食をとってきたのだが、私が言いたいのは、頭で飯を食べるな、心頭を滅却せよということである。・・・哲理を学んで、食を解釈するより、食生活の中から哲理を知る、いや神を知る、仏になることが目的である。・・・病をこしらえておいて、病人を治す自然食に没頭するより、病人が出ない自然食の確率が先決であろう。・・・山小屋に入って原始生活をし、自然食を食べ、自然農法を実践する青年達は、やっぱり人間の究極目標に向かって、最短距離に立つものの姿といえるだろう。」
追章 “わら一本”アメリカの旅(アメリカの自然の農業)
「昭和56年7月と8月、日本を離れたことのなかった男がアメリカへ行ってきまして、別に用事はないと思っていたんですが、非常に興味深い旅行ができました。・・・サンフランシスコの郊外の山の中へ行くと、時にユーカリの大きな木がたくさんあるんです。大きな木といえば、ユーカリばかりです。しかし、これは、カリフォルニア本来の木ではない。オーストラリアの木です。それがスクスク育っているが、アメリカの木らしいものは何もない。大学の中にある杉やヒノキも、そこに本来、生えていたとは思えない、町の外へ出れば、褐色の光景が展開される。まったく、砂漠の中にある人工の島が、サンフランシスコであり、バークレーであり、ロサンジェルスの町なんだ、という見方ができる。ところが、その砂漠の草の中に、日本の雑草の何種類かが見えるんです。これはどういうことなんだ、と疑問を持ったわけです。・・・サンフランシスコの海岸にある”禅センター“という所に案内されました。日本人の鈴木俊龍老師が始めて、あとアメリカ人が引き受けてやっている所で、会員が四百人いて、四十人ほど男女の坊さんたちが寝泊りしている。朝晩、坐禅を組み、日中は谷底の二十アールばかりの畑に野菜を作って自給生活をしている。日本の禅寺では、今、百姓をしている所は、あまりないと思います。アメリカには、この”禅センター“のようなのが、何十とあるということです。四百人の会員は、勤め人や学生などで、そこへ来て、修行しながら勤めに出る、あるいは、泊まりに来たり、キャンプをやったり、労働したりする。思想の追求と百姓の生活が密着している。非常に興味を持って見ました。一応、有機農法をやっているんですが、香辛料を主にした、非常に限られた種類に野菜しか作っていない。それも、ユーカリの木にとり囲まれた谷底に畑がある、まわりは褐色の山なんです。フォックステールの草が生えていて、荒れ果ててしまっている。少しは緑は見えますが、1メートルか、せいぜい2メートルくらいの潅木で、むしろ、砂漠に生えているようなものです。で、役に立つ木は少しもない。そこで相談を受けたのは、そこで米が作れないかということと、野菜の作り方はこれでいいか、ということなんです。道具類を見ますと、アメリカ人の体力に応じた腕力にたよる農機具ばかりで、スキ、クワにしても、能率がわるい。・・・褐色の山が本当のカリフォルニアの自然か、ということに関連して、海岸へ行くまでの道路端などを見ますと、褐色の草の中に、大根の原種のようなものや、日本の雑草があるわけなんです。海岸へ出てみると、右方の山に、緑の森のような区画がある。50年ほど前に、日本の松に似た木を植えて、今は高級住宅地ができているんです。反対側に同じような山があるが、これが砂漠なんです。同じ条件で、片方は緑で、片方は砂漠、これは、なぜか?そこで結論として、カリフォルニアは本来、昔から砂漠だったんではない、何かのキッカケで砂漠になったのではないか、また、その復活ができないのでもない、という感じを持った。」
<木庵が住んでいるカリフォルニアの記述である。カリフォルニアは地中海性気候で、一年中温暖で、5月から11月あたりまで殆ど雨が降らない乾期と、12月から4月あたりは結構雨が降る。カリフォルニアの北部(サンフランシスコやバークレー)は南部(ロサンジェルス)と比べると、冬場はより寒く、降水量もより多い。福岡氏が訪問した7月、8月というと完全な乾期で砂漠のようである。しかし、雨季には野山には草が生い茂り、景観は乾期の時と全然違う。もし乾期に水を補充すると大きな木も育つ。住宅地は水を引いてあり、庭に植えてある木々へ水をやっているので緑が多い。しかし、水を人工的に与えない所は、夏場は褐色で砂漠のようである。だから、カリフォルニアの町は人口の島であるというのは間違いない。いくら乾期の時に雨が降らないとしても、冬場の雨を木が保水するとすれば、何とか大きな木も生きながらえるのではないかと思う。現に以前にも書いたが、木庵が前住んでいた近くの禿山が、松の苗木の植樹をしたあと、5,6年ほど夏場に水をやることにより、その後水を一切与えなくとも、見事な松林に成長している。松の根元には多くの雑草が生い茂り、雑草と松の枝や葉っぱが水の蒸発を最小限にしている。カリフォルニアで多く見かけるユーカリはオーストラリアから持ってきたことを木庵も知っていた。アメリカに上陸してからすぐアメリカ人の友人から教わったのである。彼の話によると、ユーカリは乾燥に強く、成長が早く木材として使用できるとみこんだが、木材としてはあまりよくなかったという。特にロサンジェルスの高速道路の横にはユーカリがよく植えられている。コアラが食べるユーカリではない。十何種類かのユーカリがあるが、その内の一種類をアメリカに持ってきたという。一昨年の四月にバークレーに10日ほど滞在したが、ロスより緑が多い。ロスより降雨量が多いためだろう。バークレー大学のキャンパスには結構大きな樹木がある。カリフォルニアで古い町には古い大きな樹木を観察できる。カリフォルニアは歴史が浅いといっても、例えば「バークレー」は1866年英国の哲学者ジョージ・バークレーの名にちなんで名付けられたが、約150年の歴史がある。カリフォルニアは太陽がよく当たるので水さえ与えれば木の成長が早い。だから150年前に木を植えたとすると相当な大木になっている。ロスでもビバリーヒルパサデナあたりの古い町には、これが砂漠地帯かと思うほどの鬱蒼たる樹木が茂っている。ところで鈴木俊龍老師のことであるが、木庵は一度老師に会っている。ロスにも禅センターというのが私が訪れただけでも二つあった。その一つに鈴木老師が住んでおられた所があった。1900年あたりの生まれだろうから、もはや故人になっておられるであろう。約25年ほど前に会っている。3,4回センターを訪れ、お茶を御馳走になり、アメリカ人の僧侶や一般会員とも交流した。そのうち一回偶然にも老師がおられ、老師の部屋に招待され、少し話しうかがった。今でも覚えているのは、「このあたりは治安が悪く、よく銃声が聞えるのだ。先日も流れ弾が飛んできて、それ、そこの窓ガラス、弾丸が通過した痕があるだろう。ここで暮らすのは命がけなんだよ」と笑っておられた。老師はここだけではなく各地の禅センターのような所に行き,禅を指導されていたと聞いた。恐らくロスに来る前は、福岡氏が訪れたサンフランシスコの禅センターを創立されたのであろう。木庵>
つづく

自然農法(わら一本の革命)#40

自然農法(わら一本の革命)#40
食物の本質
「動物は、食べて、遊んで、寝ておればよい。人間も、快食、快便、安眠ができれば上出来とせねばならぬだろう。食べるものがおいしくて、楽しく遊び、よく寝る者こそ妙好人である。・・・ところで、お釈迦さんは色(もの)即是空(こころ)、空即是色といった。仏教語の「色」は物をさし、「空」は精神(こころ)であるから、物も心も一つであるといっていることになる。物にはいろいろ異なった色、形、質があり、これに対して心もいろいろと揺れ動く。物心一如ということは、ここのところをさすとみてよかろう。」

「この世には七つの色があって、別々の色(物)にみえる。ところがこの七色は合体させると、白色になる。もともと一つの白色光がプリズムで分光されて七色に分かれたに過ぎなかったともいえる。人間が無心にみれば、色に色がなくて、無色で、有心でみれば、七色の心が七つの色となる。心は即色、色も心も、もともと一つとみてよいのである。・・・自然食の目的は、上手に解説していろいろの食物を選択する知恵者を造ることではない。自然の園から食物を無心にとっても天道にそむかない、無智の人間を造るためのものである。孫悟空の如意輪棒はふりかざして役立つものではなく、収縮消滅して初めての融通無碍のものとなる。東洋の哲理もみずからの立場を捨ててはじめて、真の目的を達することができる。色に迷わず、無心になって、無色の色を色とすることから、真の食が始まる。」

「・・・春の七草に、七つの味があって、人間の味覚にどう作用するかを調査するのが大切なのではなく、現代人はもう本能を失って、春の七草をとって食べようとしなくなってきていることが問題なのである。目・耳・口が完全作動をしていない。目は真の美を、耳は妙音を、花は気高い香気を、舌は真の美味を、心は正味のところを捉え、伝達してゆく能力を失っていないかどうかが問題なのである。狂った人間の智恵と、麻痺した人間の本能で捉えた味が、本当の美味しい味とは言えない。・・・『どの食品からとろうと、蛋白は蛋白、ビタミンBはビタミンBでよいのではないですか』、『ところが、それは重大な思考と責任のすり替えで、肉や魚も同様な運命をたどり、肉が肉でなくなり、魚が魚でなくなり始めとなり、石油蛋白が上手に味付けられたりして、一切が科学的人工食品に変わっても気付かない平気な人間が転落することになる』・・・『人間は美味しいものを食べて美味しいのではない。美味しいと思う条件がその人に揃ったとき、はじめて美味しくなるのである。牛肉や鶏でも、そのままでは美味ではない。肉体的あるいは心理的に毛嫌いする条件のある人はまずい食品となる』・・・美味しいものがまずくもなれば、まずいものもまずいという観念をうえつけた最初の条件を取り除いたりすると、逆に美味しいものに転換できるのである。狐に化かされて、人間が木の葉や馬の糞を食べる話があるが、笑いごとでなく現代人は頭で食事をして、体で食事をしているのではなく、パンを食べて生きているのでもない。現代人こそ観念というカスミの食物をとっているのである。・・・美味しいいものを造らず、空腹であれば、美味しいものがこの世に充満してる。・・・昔、貴人が聞香(もんこう)と言って、色々な香りを炊いてその香りを言い当てるというのどかな遊びをしたとき、途中で鼻がきかなくなると、大根をかんで、嗅覚をよみがえらしたという話などは、ぬか味噌くさい貴人の顔などが想像され、誠に愛敬のある話で、味とか香りが自然からにじみ出るものであることを端的に表していると言えるだろう。」
栄養
「一昔前のこの附近の百姓の食事は,麦飯の醤油のもろみ、漬物で結構美味しくて、それで長寿で体力もあった。月一回の野菜の煮ものがついた小豆飯は最高の御馳走であった。・・・西欧の栄養学は一見科学的で緻密な計算の上になりたつっているから、いつどこで適用しても何の間違いもおかさないだろうと考えられ易いが、根本的には大禍をおかす危険があるのである。第一の問題は、西洋の栄養食には人間としての目標がない。人生の終局目標を見失った盲目人間の献立表を見る思いがするということである。自然に近づくよう、自然のサイクルに合わそうとする努力が見られない。人間にたより、人間を過信するため、むしろ反自然的孤立化人間を造るのに役立っているようにみえる。第二に人間が精神的動物であることが忘れられていないだろうかということである。人間を単に生物的、機械的、生理的対象として捉えただけでは不完全である。人間の日々の生命、肉体をきわめて流動的に精神的にも波乱にとんだ動物である。・・・第三に西洋の栄養学は部分的,局時的把握に始終していて、とうてい全体的把握とはなりえないということである。」
<福岡氏は食物の本質をわかりやすく説明してくれた。これ以上付け足すことはない。ただ、木庵は化学調味料を入れた料理を見分けることができる。ロスでも多くの日本食レストランがあるが、多くの場合化学調味料を多くつかっている。日本食レストランと言っても多くはアメリカ人が主な客である。彼等は化学調味料と鰹節でとっただしの区別などつかいない。リトル東京にある所謂高級日本レストランで化学調味料が入った料理を出されて失望したことを覚えている。店の内部は高級感漂わせ、ウエイトレスも上品で洗練されているのだが、料理がこうだとげっそりする。それでも身なりの良い紳士淑女が美味しそう食べていた。まさに現代アメリカ版、狐の化け料理である。一ヶ月ほど前、ジャパンフードフェスティバルがとあるホテルで開催され、ホテルで日本から来た海産物輸出業者の方に上の話をした。彼の話によると、日本人はまだ化学調味料と本物の調味料の区別が付く人が多いという。だから日本の高級料理店で化学調味料で料理したものを出すと客はすぐ遠のいてしまうという。ところで2年前帰国したとき、私の田舎に美味しいラーメン屋があると弟や弟の娘と行って食べてみたが、見事化学調味料が多く入っていた。それを彼等は美味しいと連発していた。残念ながら、私の身の回りに味覚の麻痺した者が現れていることになる。木庵>
自然食についてのまとめ
理想の自然食(無分別の食)
「人間は自分の力で生きるのではなく、自然が人間を生み、生かしているのであるという立場に立つ。真人の食は、天与の食事であって、食物は自然の中から人間が選択するものではない。天が人間に与えるものである。」
自然人の自然食(理法の食)
「自然には万物があって、あり余りことがなく、一物が不足するということもない。自然の食物は、一物全体で、一物全体の中に、味覚、滋味、妙味の全てが凝結させている。」
一般病人食
「病気は、人間が自然から離れたときに始まり、遠離の程度におおじて重体になる。だから病人は自然に還れば,病気も治るのは当然である。・・・このごろ、大都会の中に生活していて、自然食を手にいれようとする人々が実に多い。たとえ入れたとしても、それを受け入れる肉体もなければ、自然な心で食べられるわけもないから、自然食を食べることにはならないのだが・・・。煮たきすることによって、人間の食が豊かに、健康にもよいと主張する者があれば、病人を造るのに役立つだけだと説く者もある。生水が良い、いや悪い、塩ほど貴重なものはないと言えるかとおもうと、塩のとりすぎがもとになる病気が多いと説く者もいる。果物は陰性で猿の植物で人間の食ではないと遠ざける者もいれば、果物と野菜が最高の延命長寿の食べ物だと主張する者も入る。時と場合で、いずれの説も正しく、いずれも間違いと言わざるを得ないのだから、人は迷うのみである。というより迷った人間からみれば、全ては迷いの材料になるだけである。」
つづく

自然農法(わら一本の革命)#39

自然農法(わら一本の革命)#39
五章 病める現代人の食(自然食の原点)
自然食とは何か
「自然にあるものをそのまま食べるのが自然食だと漠然と考えている者もあれば、この頃は、公害になるような農薬や添加物が入っていない食品を食べるのが自然食というのだろうと思っているものも多い。自然食というのは、明治の石塚左玄に始まり、二木・桜沢両氏によってほぼ大成されたともいえる。陰陽思想や易経の思想をもとに組み立てれた無双原理に基づく食養の道から出発した言葉である。普通、玄米菜食をとるので、一般には玄米を食べる運動だと理解されている。しかし自然食というのは、玄米菜食主義というようなことで簡単に片付けてよい問題ではない。では何か。・・・自然とか、自然食とは何かと言えば、だれでも一番身近なものでわかりきったことと思っている。けれど、自然とは何かと問いつめてみると、明瞭にわかっているわけではない。早い話、人間が火と塩を使って料理して食べるのは自然食か不自然食かと言うと、どちらにもなる。・・・問題の混乱は、人間の智恵に二通りがあり、自然の解釈に二通りがあり、しかもその区別がつかないで混乱しているところにある。二つの智恵というのは、無分別の叡智と、分別の智恵である。ところが、無分別の智というのは、分別によらず、直感で認識する以外に方法がないので、一般にはわからないままで、簡単に本能として観念的に認められても、実際には無視されるところの智恵である。人間は、分別によってのみ間違いのない認識が可能になるものと信じているから、実際に世間で通用している人間の智恵というものは、すべて分別智の範囲内にとどまるものである。だから一般にいっている自然は分別智による自然である。この二つの智恵は相対立するものでありながら、前者は否定され、後者のみが肯定され、幅をきかしてきた。・・・分別智によって西洋に自然科学が発達し、東洋に陰陽・易の哲理が生まれた。だが科学的真理は絶対真理になりえず、哲理もまたこの世を解釈するにとどまる。どちらも分別を出発点とした相対観であることには変わらないで、ともに相対を超えた根源の自然そのものを知り、自然の全体の姿を把握するということにはならない。結果から見ると、科学的智恵で把握された自然というのは、壊された自然という物体にすぎず、いわば形骸があって魂のない幽霊である。哲学的な智恵で把握された自然というのも、人間が心で組み立てた自然という名の理論にすぎず、魂があって姿形のない幽霊である。人間は、自然という名の得体の知れない幽霊にひきずり回されているが、一茎の白百合の美をめで楽しむのに、科学的に百合の花を合成したり、哲学的に解釈する必要は何もなかったのである。自然の本質、すべてを知ろうとすれば、分別の心を捨て、無分別の心で、相対の世界を超えて、自然をみるしかない。自然を無分別の心でみると、本来東西なく、四季なく、陰陽もなしということになる。・・・おいしいものが食べたくなったら、食卓に御馳走を並べるより、先ず、まずいものを食べることである。美味しいものを食べたいなんて言わなくなったとき、本当の味があじわえる。御馳走を真に御馳走にすることができる。自然の中にいて、自然のものを自然にとる、ただそれだけのことだが、それが分別智に邪魔され、我欲に出発した嗜好に迷わされてできない。それが出来始めるまでの道は遠い、そのための道標が、陰陽の道である。まず陰陽の道に徹してのち、その道を越えねばならない。」
<近頃のグルメブームは商業主義に踊らされているように思う。「美味しいものを食べたいと思えば、まずいものを食べることである」とは、興味のあるコメントである。人は美味しいものを食べる習慣がつくと、より美味しいものを求めるようになる。考えてみれば自然の食べ物はもともと素晴らしい味が付いている。それに味をつけて、その味をつけたものに舌が慣れてしまうというか麻痺してしまい、もともとの味を味わうことが出来なくなる。断食をした後のお粥の味は体全体がお粥を吸収するための準備が出来て実においしい。テレビの漫画「一休さん」で、金持ち(将軍だったかな)が一休さんに美味しい御馳走をよばれることになり、寺に招待されたのだが、いくら待っても食事が出てこない、お腹の虫がグーグー鳴いている。もう、辛抱の限界に達したときにようやく運ばれてきたのが、お粥とつけもの一切れだけである。それを食べると今までに味わったことのないお粥の美味しさを発見したという話である。玄米だけでもよく噛んで食べると、実に味深い美味しさを味わうことが出来る。レタスでもドレッシングをかけるより、何もかけずに食べた方がレタスの本当の味が分かる。小野田さんがジバング島で生活した時、塩は魔法の調味料だと感じたという。文明社会に生きている我々は塩どころか色々の調味料を嗜好しているが、何もつけていない自然のままでいつも食していた小野田さんにとって、塩一振りが魔法のように味を変えてしまったということなのだろう。木庵>
自然食のとり方
「動物の肉は陽性で植物は陰性、中庸は穀物である。人間は陽性の雑食性の動物であることから、中庸の穀物を主食とし、なるべく陰性の菜食をとり、共食いになる極陽の肉食を摂らないという理法があみだされてくるわけである。しかし、やれ陰だ陽だ、酸性だアルカリだ、ナトリウム、マグネシウム、ビタミン、ミネラルなどということにあまり神経をつかい、深入りすると(勿論医学的まるいは病気治療からは必要だが)、科学の領域に入り、肝心の分別智から脱出を忘れてしまうことになる。・・・第(2)の図表(注:表記できないが、大根、松茸、葡萄、マグロを、野菜、きのこ、果物、魚の極相であり、その中に色々の植物が網羅されている)は、この地上で、人間が容易に食糧となしうる食物となしうる食物を集め、やや分類的に並べてみたものである。これをみれば、いかに無限の食糧が、生きとし生けるもののために、地上に用意されているかが分かるであろう。この動植物の発生系統図は、そのまま自然のマンダラ(曼荼羅)と言ってもよい。悟境に住む者からみれば、この世の一切の動植物は何ら分別する必要もなく、一切のものが法悦界の妙味、御馳走となるわけである。・・・早春、褐色の大地から春の七草が萌え出た頃から、七つの味を百姓は味わうことができる。春の七草に配するに、自然は茶色の食を代表する貝類をもってくる。早春、タニシ、シジミ、海のハマグリ、サザエが美味しいとなるのは自然の妙味といわねばなるまい。緑の季節になれば、ツクシ、ワラビ、ゼンマイなどの山菜は勿論、桜の若葉,柿、桃、山芋の若葉など、食べられないものはないばかりか珍味となり、薬味となる。筍が出れば、タケノコメバルが美味となり、麦刈りの候になれば、ムギワラダイやムギワラリサギが豊富にとれてしかも美味しい、春のノボリサワラの刺身で皿をなめ、菖蒲の節句にはショウブタチウオを供えて祝う。春はまた磯遊びの候、青の食物といえる海藻が美味となる。梅雨のあける頃梅をつける。・・・極陽の真夏に太陽の下では、涼風の樹蔭で陰性のウリを食べ・・・・・初秋になって様々な果物が実り、・・・秋がくれば家庭では秋刀魚を焼く季節という。霜がふり始めると、焼き鳥屋の屋台を覗きたくなる。・・・正月のおせち料理・・・厳寒の冬にはネギ、ニラ、ノビルを添えた鴨やシシの肉がからだを暖めてくれる。・・・春を待つ間はこれまた、雪の中にフキノトウがのぞき・・・このように、日本は四季の食物を身近な所からわずかにとり、その美味,滋味、妙味をかみしめながら、つつましく生きていく食生活の中に、天の配剤を見ることができる。また、天地の流転に従った、無為、無心に生きていく静かな人生の中に、かえって壮大な人間のドラマがかくされているのである。・・自然食は足下にあり、無心、無欲にして、農村漁村の人々は、天の理法にもとづいた食をしていたといえる。
<一応の栄養学的な知識はあったほうがよいが、それに拘ることなく、自然のものを自然に食すればよいのであろう。問題は食を受け入れる自分の体、ひいては心の問題であろう。出されたものを感謝して食べる。それでよさそうだ。それにしても、日本は四季があり、本来身のまわりに自然の栄養のある食物が豊富であることが分かる。もしどのようなものが食できるかの知識があれば結構食生活が豊かになりそうである。木庵>
つづく