自然農法(わら一本の革命)#45

自然農法(わら一本の革命)#45
戦略兵器としての食糧
「現状は、食糧がアメリカの戦略兵器になってしまっている。これを転換して、みんなが、日本人がかつてやってきたような農法、あるいは自然農法をやっていくとどうなるか。ということなんです。広いところを使ってよその国へ出す食物をつくるんじゃなくて、狭い面積で豊かな食糧を生産して、豊かな生活をしてくれたらそれで収まるんだ、と。・・・毎年米をつくって、しかも裏作で麦を作ったら、澱粉の生産量でいったら3倍になる。カリフォルニア平原だけで、州政府がその気になったら、三年で日本全体と同じ量の米を作るだけの可能性が十分あると言ったら、農場主が『こりゃ革命だ、大変だと』即座に自然農法に転換しました。太陽は豊かにある。水は十分あるんです。この平原で米を作ったら、日本は滅んでしまう、自分がここへ来て、米の増産運動みたいなことをこれほど言ってかまわんのか、ということを言って私の袖を引いた者もいます。確かに始め、そう思ったんです。無限の資源があって、ここで米を作ったら、日本の農民はひとたまりもないということを感じたんです。しかし、考えてみると、これはそうじゃない。アメリカの農民が貧しいからこうなっているんだということを感じたんです。アメリカの農民が日本の農民以上の食生活をしておって、豊かな、楽しい生活をしているんだったら、よその国へ出すことはないんです。よその国へ食糧を売らなきゃいけないということは、実を言うと、貧しいからなんす。・・・私の目には、昔のアメリカインディアンの生活に、今こそ学ぶべきでないか、大自然の偉大な精神・グレートスピリットと呼ばしめたアメリカ大陸の精神(こころ)の復活に、一縷(いちる)の望みを託して帰途につきました。これはアメリカのことであり。日本のことであります。ふり返って暗然とするのは、アメリカ追従する日本の現状です。」
<ようやく、自然農法(わら一本の革命)が終る。最初本の概略と木庵のコメントを少し書く予定であったが、まとめる段階で新たに読み返すと、福岡氏の思想の深さにのめり込んでしまい、長編シリーズになってしまった。またシリーズを書くうちに、木庵自身の生き方に新たな道が開けたように思う。特に自然とは何かについて考えさせられた。興味のあることにこのシリーズを書くようになってから玄米食を復活するようになった。と言っても完全な玄米食ではなく、白米と玄米の比率が2対1の割合ぐらいのものであるが、かつて食べていた玄米の味の深さを思い出している。玄米と味噌と少しの野菜さえあれば人間は健康に暮らせる。自然に還る生活をする気持ちさえあれば人生なんってケセラセラ。贅沢病から抜け出せば、平安な人生が待っている。欲もほどほどにして、大地に根ざした人生を歩めば、人生も味わい深いものになる。福岡氏の本には魔術がある。彼は人生の目標などないと無為の人生を説いているが、彼の思想に触発されるにつれて、木庵の人生観がより楽観的になっていくことを覚える。木庵>
<最後に「自然農法(わら一本の革命)」で、読者の方との対話を紹介して、このシリーズを一応終る。木庵>
木庵さん
面白さうなお話ですね。有機農業には、まだまだ人間が知らない良いものがいっぱい詰まってゐるやうな気がします。アメリカでも、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書いて、農薬などの害について警鐘を鳴らしましたが、今のアメリカは遺伝子を操作して害虫を殺す大豆を作ってゐます。福岡さんの話は、欲望を捨てたところがスタートだったやうで、そこに救ひを感じます。続きが楽しみです。
禅は無を悟ることですが、無にこだはりすぎてもいけません。こだはると心の自由を失ひます。この俗世間も、案外悟った人が何食はぬ顔をして動かしてゐるものです。また岡先生の話をしますが、数学の研究をするのにフランスに留学した。パリといふところは、くらげのやうにプカプカ浮んでゐると、自然に必要なところへ連れていってくれるのださうです。しかしフランスに何年かゐると、日本にはあってフランスにはないものがあることに気がついた。結局それは樹の花の香りのやうなものでした。そして日本に帰国してから、先生は芭蕉の研究を本気でするやうになった。芭蕉にならって奥の細道を歩いてゐたら、数学の大発見をしたこともありました。木庵さんも福岡さんも、無意識のうちに体を張って魂の探検にさまよってをられたのでせう。私の人生も、「犬も歩けば棒に当る」式に歩いてきました。色々な棒に当りましたが、良いことも悪いことも、みんなそれぞれ、それで良かったと思ひます。過ぎたことはみんな美しく見えるものなのですね。 koreyjp
[ koreyjp ] さん、私は悟りを開いておりませんが、心が誰もと通じてじているということを感じます。昨日、私のテナントで4ヶ月程前死んだハンディマンの娘が病気で学校を休んでいました。『大丈夫かい』と言うと、『だいじょうぶ、今日は私の誕生日です』という返事が返ってきました。そのあと、『おなかは減っていないかい、何か食べたければレストランへ連れて行ってあげるけど。何か買って来てあげようか』と言うと、嬉しそうに『いい、おじいちゃんが何か作ってくれるから』と言いました。その後、『誕生日祝いだよ』とイチゴをやると、とても喜んでいました。父親がなくなり、母親は働きに出かけている。子供心に誕生祝いをしてもらいたかったのですね。私の声かけだけで、可愛いい嬉しそうな表情をしました。木庵
禅は、体験を通して存在の奥底を垣間見るやうなものですね。そしてそれを一度経験すると、大安心の境地に行く訳です。岡先生は、「一人が悟るといふことは、万人が悟るといふことだ」と言ってをられます。人は一面個々別々ですが、また一面は心が一つにつながってゐるからです。福岡さんの心は、私たちの心と確かにつながってゐます。koreyjp
可愛いですね〜、お写真、ほんとに^^
記事の続き、楽しみにしています。Kayomi
kayomiさん、本当に可愛いですですね。「ヤクザみらんちゃん」と名づけました。いつも外に連れて行って健康に育っているようです。木庵
木庵さん
人とは霊人(ヒト)のことで、本来霊的なものだと、谷口雅春先生も仰いました。霊性が触発し合へる対話は理想的なものですね。koreyjp
[ koreyjp ] さん、本当の対話とは人間が本来誰でも持っている霊性を触発しあうものだとおもいます。ただ自省の習慣のない人は、霊性をみる前に己が先に出て霊性の存在さえ分からなくしているのだとおもいます。今後とも霊性の鉱脈をお互いに掘り起こしていきましょう。木庵
kayomiさん、福岡氏は山小屋にこもって農民の生活をなされたのですね。自然に還ることにより、いつしか人生哲学のようなものを会得なされたのでしょう。それは観念の哲学ではなく、自然と溶け合った本物の哲学のような気がします。アメリカ留学の意義は、離れて日本を見て、日本のよさが分かるということでしょうか。木庵
おほめに与り、恐縮です。私も、木庵さんが広い心で受け止めてくださるので、蜜蜂のやうに自由に飛び回ることができるのだと思います。これからも、この対話を楽しみながらやらせて頂きますので、よろしくお願ひ致します。koreyjp
何か人生哲学の本をよんでいるような感じです。
知識のない私ですので、とてもおもしろく読ませてもらっています。
私は、息子達に世界を少しでも見て欲しくて、二人ともに、留学を勧めました。長男は行きませんでしたが、次男は少しの期間でしたが
アメリカに留学しました。生活は大変でしたが、次男はとても有意義な経験だった様で、必ずまたいくと言っています。木庵先生のお話、楽しみにしています。この写真も、ほんとに子供らしくて良い表情をしていますね。Kayomi
つづく