2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ビルマ(ミャンマー)#14

ビルマ(ミャンマー)#13 さて、久左衞門氏が今後言及されるという戦後のビルマの動きを簡単にまとめてみることにする。 戦後の動向 アウンサンが暗殺後、ウー・ヌがパサバラの総裁となり、独立を達成し、初代の首相となった。そのあと、民族主義者、労働…

ビルマ(ミャンマー)#13

ビルマ(ミャンマー)#13戦後のビルマをどのように表現することができるか アウンサンを失ったビルマは、民族主義、共産主義、少数民族の独立運動、政治的、宗教的な対立による混沌な時代に差しかかったといえる。それを一応曲がりなりにもまとめたのが軍…

ビルマ(ミャンマー)#12

ビルマ(ミャンマー)#12 バー・モウの話に戻すが、その後、大東亜会議で訪日し、昭和19年にも訪日した。その間、ビルマ国内の危機は深刻化していった。ビルマの独立にとって重要なのは、勝利者の側につくことだとする考えが頭をもたげだした。アウンサ…

ビルマ(ミャンマー)#11

ビルマ(ミャンマー)#11 バー・モウはラングーン大学、カルカッタ大学を卒業後、英ケンブリッジ大学で弁護士の資格をとり、仏のボルドー大学に留学し、ビルマ人として最初の哲学博士の称号を得た。帰国後ラングーン大学教授を経て弁護士となり、反英独立…

ビルマ(ミャンマー)#10

ビルマ(ミャンマー)#10 ウー・ソーはアウンサンの後継になるのを期待していたが、実際はウ・ヌがランス総督によって指名され、ウー・ソーは事件後ただちに逮捕、起訴された。彼の自宅から大量の武器が見つかり、部下の一人が全面的に自供したためである…

ビルマ(ミャンマー)#9

ビルマ(ミャンマー)#9 同年8月、バモー政権による「独立」が実現すると、アウンサンらは共産党などの地下独立運動組織と連帯し、「反ファシスト人民自由連盟」を組織し、抗日行動を開始し始めたのである。 南機関とビルマナショナリストたちとの関係は…

ビルマ(ミャンマー)#8

ビルマ(ミャンマー)#8 アウンサンは日本の裏切り者か? アウンサンはビルマの英雄である。ビルマ民主化のリーダーで、現在軍事政権によって自宅に軟禁されているアウンサンスーチー女史の父親である。上記では、「たまたま警察の追跡を逃れ、又外国の援助…

ビルマ(ミャンマー)#7

ビルマ(ミャンマー)#7 早くも42年5、6月ごろ、既に抗日抵抗運動が始まっている。39年に創設されたが何ら活動することなく消滅したビルマ共産党は、42年8月に再建され、日本に期待することの危険を説き、ビルマ独立の為には、連合国と協力し日本…

ビルマ(ミャンマー)#6

ビルマ(ミャンマー)#6 ここでタキン=アウンサンのことについて少し述べておく。彼はラングーン大学のストライキで放校処分を受け、そのあと、学生たちの激しい抵抗(ストライキ)にあい、学校当局は折れ、タキン=アウンサンは復学している。 6) 193…

ビルマ(ミャンマー)#5

ビルマ(ミャンマー)#5 イギリスはイラワディ=デルタの水田開発に力を注ぎはじめた。ビルマの農業が米中心とする植民地型の単作農業に作り上げられた。水田耕作の8割は下ビルマのデルタ地帯にあった。このような水田開発の裏には、アメリカの南北戦争(…

ビルマ(ミャンマー)#4

ビルマ(ミャンマー)#4 地理 ミャンマーの地図 ミャンマー連邦は北緯10度から28度の間に位置し、南北に伸びる長い国土が特徴である。中国・タイ・ラオス・インド・バングラデシュと国境を接し、海側はマルタバン湾・ベンガル湾・インド洋と面する。国土の…

ビルマ(ミャンマー)#3

ビルマ(ミャンマー)#3 対日関係 ミャンマーは1954年11月の平和条約締結以来、日本と友好的な関係を築いてきた。特にネ・ウィンは日本の政治家に根強い親ビルマ的空気を敏感に察知し、「親日国ビルマ」を演出するパフォーマンスに長けていたことは現代日緬…

ビルマ(ミャンマー)#2

ビルマ(ミャンマー)#2 独立 1948年にイギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立するが、直前の1947年7月19日にアウンサンは暗殺された。 初代首相には、アウンサンを継いでAFPFL(パサパラ)を率いるウー・ヌが就任した。 独立直後からカレン人が独立闘…

ビルマ(ミャンマー)#1

ビルマ(ミャンマー)#1ビルマについてこれから書いていく。まず,ウィキペディアの記事を載せ、その後各トピックスごとに私の見解を書くことにする。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ミャンマー連邦 ミャンマーは、東南アジアの国。19…

防衛問題#3

防衛問題#3しかし、国家とは、このような幻想では存続しない。国家とは国に所属している人に最低限の生活を保証しなければならない。ところが不況になったり、食べ物がなくなるような危機的な時がくれば、近隣のやさしい国、無防備な国に飛びかかっていく…

防衛問題#2

防衛問題#2 さて、私の防衛問題に対する見解だか、それを述べる前に、友人が日本のラジオ放送を聞けるアドレスをメールで送ってくれ、それを聞いた感想から述べる。武田鉄也の番組であった。 武田鉄也は『3年B組金八先生』で有名で、このドラマを観たこと…

防衛問題#1

防衛問題#1 先日、B氏の講演会を聞いた。保安大学(防衛大学の前身)一期生、元防衛庁空将補(?)(戦前の少将にあたる)で、1989年退官された方の話であった。実名でもよいことを了承されたが、迷惑になってもいけないので、B(ここから敬称を略す)と…

日本のゆくえ#5

日本のゆくえ#5 5)日本のODAが感謝されない理由。予算をつけては日本の建設業者やメーカーが乗り込んで、その利権の汁を吸ってくるのでは、相手国の貧しい人たちの生活が向上しない。特に土建事業では、ダムや港湾の建設を謳いながら、住民の強制立ち…

日本のゆくえ#4

日本のゆくえ#4 11) 農業と漁業の後継者を増やす政策。・・・空き地を駐車場やマンションにせず、畑にする制度上の仕組みが必要だ。・・・土建業で肉体労働に従事してきた労働者に農漁業の職場を与えれば失業者が下がる一挙両得となるのだ。 12) 町の中から中…

許世楷(台湾前駐日代表)の講演#4

許世楷(台湾前駐日代表)の講演#4 二・二八事件について、私の台湾の知人から生の話を聞いている。当時中学生であったAは、病気で学校に行かなかった。その日、級友は誰かに連れて行かれ行方不明になった。恐らく殺されたのであろう。Aも学校に行ってお…

許世楷(台湾前駐日代表)の講演#3

許世楷(台湾前駐日代表)の講演#3 質問: 台湾の独立問題について見解を聞きたい。 回答(質問から大分離れ、中国事情について語ってきた):: 外交とは「生き続けることに努力すること」である。中国の人民会議などというのは選挙で選ばれた者の代表で…

許世楷(台湾前駐日代表)の講演#2 

許世楷(台湾前駐日代表)の講演#2 2004年12月、中国で「反国家分裂法」なるものが人民会議で可決され、台湾で緊張が走った。しかし、その内容は①台湾の独立は許さない。②内乱に対しては厳しく対処する。③外国の侵略にたいしても厳しく対処する。と…

許世楷(台湾前駐日代表)の講演#1

許世楷(台湾前駐日代表)の講演#1 許世楷を検索してみた。日本語では出てこない(台湾独立運動などを検索すると、彼の名前はでてくるが)。恐らく日本の一般の人には知られていないのであろう。台湾前駐日代表、今は日本と台湾は国としての付き合いがない…

日本のゆくえ#3

日本のゆくえ#34 日本人の金がどのように流れているかが描かれたのが図32である。これを見ると、円売り介入で国債為替相場への投入した20兆円と、現在見込まれている債権放棄を含めたイラク支援1兆3000億円がある。ところがアメリカから日本への…

日本のゆくえ#2

日本のゆくえ#2 これほど甘っちょろい歴史観を持つ著者の論述を追うのはつらい。しかし、広瀬なりに真摯に日本の行く末を心配しているのであろう。それを信じて、読破した。あまり新しい情報は入らなかったが、注目すべき論点を抜書きして(要略したところ…

日本のゆくえ#1

日本のゆくえ#1 「日本のゆくえアジアのゆくえ」、著者:広瀬隆、発行所:株式会社日本実業出版社、初版発行:2004年9月20日。 友達の推薦で、この本を購入し、読んでみた。はっきり言ってことさら新しい情報は得られなかった。多くのグラフを使用し…

介護問題#2

介護問題#2 Kの家族問題に参入してから、介護について考えてみた。私の両親は弟が面倒を見てくれ、それも両親とも現役であの世に旅立ったので、介護というところまでには至らなかった。本来長男である私が木庵家を継ぐべきであったのに、気ままというのか…

介護問題#1

介護問題#1 友達Kさんの家の庭の中にフェンスを造る作業に従事する時間が近頃多かった。昨日殆ど完成した。引越しを1ヶ月ほど前にして、猫を収容する小屋はハンディーマンに金を払ってやってもらったのだが、犬を囲むフェンスまでは、予算がないという。…