自然農法(わら一本の革命)#41

自然農法(わら一本の革命)#41
「当てにならぬものを当てにすれば、当てがはずれる。自然には本来右も左もない。したがって中庸もない、善悪陰陽もない。人がたよれる何の基準も、自然は人に指示していないのである。主食が何でなければならぬ、副食はこれに限ると固定化することが無理なことで、自然の実相からかけ離れる結果になる。人は、自然がわからない。しかも行き先を知らない盲人である。だからやむをえず、智恵という科学の杖をついで足もとをさぐり、夜空の星のような陰陽の哲理をあてに方角を決めて進んできたにすぎなかったのである。どちらにしても、人間は頭で考え、口で食をとってきたのだが、私が言いたいのは、頭で飯を食べるな、心頭を滅却せよということである。・・・哲理を学んで、食を解釈するより、食生活の中から哲理を知る、いや神を知る、仏になることが目的である。・・・病をこしらえておいて、病人を治す自然食に没頭するより、病人が出ない自然食の確率が先決であろう。・・・山小屋に入って原始生活をし、自然食を食べ、自然農法を実践する青年達は、やっぱり人間の究極目標に向かって、最短距離に立つものの姿といえるだろう。」
追章 “わら一本”アメリカの旅(アメリカの自然の農業)
「昭和56年7月と8月、日本を離れたことのなかった男がアメリカへ行ってきまして、別に用事はないと思っていたんですが、非常に興味深い旅行ができました。・・・サンフランシスコの郊外の山の中へ行くと、時にユーカリの大きな木がたくさんあるんです。大きな木といえば、ユーカリばかりです。しかし、これは、カリフォルニア本来の木ではない。オーストラリアの木です。それがスクスク育っているが、アメリカの木らしいものは何もない。大学の中にある杉やヒノキも、そこに本来、生えていたとは思えない、町の外へ出れば、褐色の光景が展開される。まったく、砂漠の中にある人工の島が、サンフランシスコであり、バークレーであり、ロサンジェルスの町なんだ、という見方ができる。ところが、その砂漠の草の中に、日本の雑草の何種類かが見えるんです。これはどういうことなんだ、と疑問を持ったわけです。・・・サンフランシスコの海岸にある”禅センター“という所に案内されました。日本人の鈴木俊龍老師が始めて、あとアメリカ人が引き受けてやっている所で、会員が四百人いて、四十人ほど男女の坊さんたちが寝泊りしている。朝晩、坐禅を組み、日中は谷底の二十アールばかりの畑に野菜を作って自給生活をしている。日本の禅寺では、今、百姓をしている所は、あまりないと思います。アメリカには、この”禅センター“のようなのが、何十とあるということです。四百人の会員は、勤め人や学生などで、そこへ来て、修行しながら勤めに出る、あるいは、泊まりに来たり、キャンプをやったり、労働したりする。思想の追求と百姓の生活が密着している。非常に興味を持って見ました。一応、有機農法をやっているんですが、香辛料を主にした、非常に限られた種類に野菜しか作っていない。それも、ユーカリの木にとり囲まれた谷底に畑がある、まわりは褐色の山なんです。フォックステールの草が生えていて、荒れ果ててしまっている。少しは緑は見えますが、1メートルか、せいぜい2メートルくらいの潅木で、むしろ、砂漠に生えているようなものです。で、役に立つ木は少しもない。そこで相談を受けたのは、そこで米が作れないかということと、野菜の作り方はこれでいいか、ということなんです。道具類を見ますと、アメリカ人の体力に応じた腕力にたよる農機具ばかりで、スキ、クワにしても、能率がわるい。・・・褐色の山が本当のカリフォルニアの自然か、ということに関連して、海岸へ行くまでの道路端などを見ますと、褐色の草の中に、大根の原種のようなものや、日本の雑草があるわけなんです。海岸へ出てみると、右方の山に、緑の森のような区画がある。50年ほど前に、日本の松に似た木を植えて、今は高級住宅地ができているんです。反対側に同じような山があるが、これが砂漠なんです。同じ条件で、片方は緑で、片方は砂漠、これは、なぜか?そこで結論として、カリフォルニアは本来、昔から砂漠だったんではない、何かのキッカケで砂漠になったのではないか、また、その復活ができないのでもない、という感じを持った。」
<木庵が住んでいるカリフォルニアの記述である。カリフォルニアは地中海性気候で、一年中温暖で、5月から11月あたりまで殆ど雨が降らない乾期と、12月から4月あたりは結構雨が降る。カリフォルニアの北部(サンフランシスコやバークレー)は南部(ロサンジェルス)と比べると、冬場はより寒く、降水量もより多い。福岡氏が訪問した7月、8月というと完全な乾期で砂漠のようである。しかし、雨季には野山には草が生い茂り、景観は乾期の時と全然違う。もし乾期に水を補充すると大きな木も育つ。住宅地は水を引いてあり、庭に植えてある木々へ水をやっているので緑が多い。しかし、水を人工的に与えない所は、夏場は褐色で砂漠のようである。だから、カリフォルニアの町は人口の島であるというのは間違いない。いくら乾期の時に雨が降らないとしても、冬場の雨を木が保水するとすれば、何とか大きな木も生きながらえるのではないかと思う。現に以前にも書いたが、木庵が前住んでいた近くの禿山が、松の苗木の植樹をしたあと、5,6年ほど夏場に水をやることにより、その後水を一切与えなくとも、見事な松林に成長している。松の根元には多くの雑草が生い茂り、雑草と松の枝や葉っぱが水の蒸発を最小限にしている。カリフォルニアで多く見かけるユーカリはオーストラリアから持ってきたことを木庵も知っていた。アメリカに上陸してからすぐアメリカ人の友人から教わったのである。彼の話によると、ユーカリは乾燥に強く、成長が早く木材として使用できるとみこんだが、木材としてはあまりよくなかったという。特にロサンジェルスの高速道路の横にはユーカリがよく植えられている。コアラが食べるユーカリではない。十何種類かのユーカリがあるが、その内の一種類をアメリカに持ってきたという。一昨年の四月にバークレーに10日ほど滞在したが、ロスより緑が多い。ロスより降雨量が多いためだろう。バークレー大学のキャンパスには結構大きな樹木がある。カリフォルニアで古い町には古い大きな樹木を観察できる。カリフォルニアは歴史が浅いといっても、例えば「バークレー」は1866年英国の哲学者ジョージ・バークレーの名にちなんで名付けられたが、約150年の歴史がある。カリフォルニアは太陽がよく当たるので水さえ与えれば木の成長が早い。だから150年前に木を植えたとすると相当な大木になっている。ロスでもビバリーヒルパサデナあたりの古い町には、これが砂漠地帯かと思うほどの鬱蒼たる樹木が茂っている。ところで鈴木俊龍老師のことであるが、木庵は一度老師に会っている。ロスにも禅センターというのが私が訪れただけでも二つあった。その一つに鈴木老師が住んでおられた所があった。1900年あたりの生まれだろうから、もはや故人になっておられるであろう。約25年ほど前に会っている。3,4回センターを訪れ、お茶を御馳走になり、アメリカ人の僧侶や一般会員とも交流した。そのうち一回偶然にも老師がおられ、老師の部屋に招待され、少し話しうかがった。今でも覚えているのは、「このあたりは治安が悪く、よく銃声が聞えるのだ。先日も流れ弾が飛んできて、それ、そこの窓ガラス、弾丸が通過した痕があるだろう。ここで暮らすのは命がけなんだよ」と笑っておられた。老師はここだけではなく各地の禅センターのような所に行き,禅を指導されていたと聞いた。恐らくロスに来る前は、福岡氏が訪れたサンフランシスコの禅センターを創立されたのであろう。木庵>
つづく