自然農法(わら一本の革命)#43

自然農法(わら一本の革命)#43
アメリカ農業は狂っている
東部の樹海も不自然
東海岸へ行きますと、ニューヨークから南の三,四州は、カリフォルニアとは反対に、行けども行けども緑の樹海なんです。雑木ばかりのところを走るような格好です。シラカバやカエデ、カシワなど、五種ばかりの、同じ高さの木が、ずっと続いている。・・・一週間ばかり見て歩くうち、『いや、これはやっぱりおかしい』と感じた。『これは、畜産を主体にしたために、いっぺん荒廃してしまった土地だ』と思った。その証拠に、木は生えているが、その下の土がやせている。氷河で駄目になったんだ、というけれども、氷河の時代から一万年たっている。日本だったら、二千年もたったら、1〜2メートルの土ができているはずである。それができていなくて、50年もたった雑木がこの程度の大きさだということは、とても土地が回復しているとは思えない。自然にまかしておいたんだったら、もっとスピードで回復しているはずだ、やっぱり人間が駄目にした土地だ、これはイミテーションの自然になっているんだろう、と自分は見ました。これは、自分の想像が半分ですが、アメリカ人が初め米国の東北部に住みついて、西へ西へと開拓して行ったのも、牧畜をやると土が死んでしまう。次々と牛を追って、インディアンが入るところを占領して行ったのではないか。移動した後の土地は、やせてしまっているから、何もできない。放っておかれて、そこに雑木が生えた、と。まあ、これは四十日間の観察で考えて事ですから、当たっていないかも知れませんけど。ボストンの久司さんの会社(エレホン自然食品社)で、働いている人たちに一時間ばかり話した時、『この雑木に目をつけたら、久司さん以上の大金持ちになれるが』と言ったら、『何ですか』と言う。『このサトウカエデなどの木を厚木にして、シイタケを作ったらどうか』と言ったら、皆がワーッと笑いました。これはもう無限の宝庫だと思うんです。」
<日本は四方が海に囲まれ、海から水を十分含んだ季節風がやってきて、一年中雨を降らしてくれる。考えてみれば、世界を探しても、これほど素晴らしい環境を具えた土地はないように思える。豊かな樹木を誇る山からよく肥えた自然の肥料が流れ出てきて、田畑を潤す。エコロジーの素晴らしい自然環境がある。畜産もごく一部のところでなされ、自然を破壊するところまで行っていない。ところが近頃科学肥料に頼ろうとして、藁が害虫についているということから焼いてしまうところもあるとか。また、昔人糞は大切な肥料であったのだが、トイレの水洗化で、貴重な肥料が海に流されてしまっている。アメリカでのシイタケ栽培とは面白い。ところで、カリフォルニアでの農業に貢献しているのは日系人が多いという。サクラメントあたりで今米作りが行われているが、本気に米作りに取り組むとすれば、サクラメントあたりだけで、日本の米総生産高以上の収穫が出ると聞いたことがある。福岡氏だけでなく多くの日本人が世界に飛び出し、農業指導をしている。今後、世界の農業を救うのは日本人であるように思う。自動車、電子機械などの輸出だけでなく、日本の伝統ある農業を世界に輸出する。これほど世界への平和貢献度の高いものはないだろう。木庵>
イミテーションの自然
アメリカの町は、ボストンの町でもどこでも、まるで町の中やら森の中やら分からないほど、たくさん木があるんです。ところが、ボストンで60階建ての建物に上がってみると、さすがにボストンの町も緑は少ない。・・・昔からの木とは思えない。やはり、あとから植えた木のようです。そうすると、二百年くらいの木しかない、ということになってくるわけです。アムハースト大学という由緒ある大学(新島襄、クラーク博士等の出身校)の広い構内で、マクロビオティックセミナーが開かれたんですが、そこで、『アメリカでは自然が滅びてしまっている、自然が滅びたら、そこにいる人たちは、どういう思想を持つだろうか』ということに話が行ったんです。自然がなくなったら本当の思想は生まれないんじゃないか、という考え方を自分は持っております。・・・サンフランシスコかサクラメントまで来る間は砂漠化していて、サクラメントの人は緑のオアシスの中にいて、自然というものを非常に愛するように見える、街路樹も大事にしている。ボストンでも大事にしている、が、アメリカ人が大事にしているのは、人間が作ったイミテーションの緑であって、本当の自然を大事にしている感情だろうか。アメリカ人は日本人にくらべて、自然保護の気持ちが非常に進んでいるように見えるが、自然が失われたから自然を大事にする気持ちが起きただけにすぎないんじゃないか。大学の構内の芝生を見た時に感じたことはどういうことか。そこにはチョウも何も飛んでやしない、ミミズもいない。アリも見えない。これは自然の緑があるのじゃない。人間に快適な、人間に都合のいい自然がそこにあるだけじゃないのか。その自然を守ることが、自然を守ることだと思っている。その自然がイミテーションの自然であるとしたら、その自然保護の感情は、果たして正しいと言えるであろうか、ということなんです。ボストンのセミナーで話しましたことは、そういうことから、なぜアメリカ人の思想がそのイミテーションの緑を作って、それで満足できるのか、ということなんです。日本人の自分には、その芝生が不自然に見える、美しいのは確かに美しいが、それでは日本人には満足できない。」
<イミテーションの自然とは、上手く言い当てている。木庵がアメリカに上陸してから、アメリカ人の思想がおかしい、不自然である思っていたナゾが解けたように思う。思想というものは人間の頭の中で生まれるものではない。自然の中から生まれるものである。アメリカ人の思想が不自然なのは、本当の自然の中で生活していないからである。イミテーションの自然の中で生きているので、思想も本物ではなくイミテーションなのである。木庵もアメリカの各家庭の庭にある芝生を不自然に思っている。木庵などは木々が鬱蒼と茂っていて、木々の間に雑草が生えている方が美しいと思う。先日日本人の友達の家を訪れた。彼女の娘はイギリス人との間にできたハーフで、娘はアメリカ人と結婚している。郊外の自然(?)が残ったところで生活し、庭も広い。野菜も少し作っているが、区画したところに植えられていて、木も植えていない土が露になっている部分が多すぎる。狭い畑に到達するために砂利が引いた歩道があるが、それだってただの機能を重視した感じがする。木庵であれば、これだけのスペースがあれば野菜や木々を雑然と植え、その雑然さ、自然さを楽しむのだが。道路に面したところには芝生が植えられ、エッジは綺麗に切られている。犬が芝生の上におしっこをすることを極度に娘の主人は嫌っているらしい。友人の主人は2年前亡くなり、娘夫婦と一緒に暮らしているのだが、あまり語らないがどうもこのアメリカ人との関係に疲れているようである。ぼつぼつ日本に帰ることを考えているらしい。一般的に姑が娘夫婦に気を使っているということだけでなく、庭一つに対する考え方の違いというか、感受性の違いが、日本人である友達には、大きな心労になっているのではないかと思う。アメリカ人は自然を大事にするといってもイミテーションの自然を大事にしているので、グリーンピースの運動家が、捕鯨反対を唱えて、実験捕鯨をしている日本の船に体当たりしてくる。中絶反対者が中絶を断行する医者を殺すというような、本末転倒で、本当の自然から離れている。このような極端なことを述べなくても、一般的なアメリカ人の感受性が人工的、イミテーション的に見える。まだ金持ちは砂漠の中の人工的オアシスに住んで、何とかイミテーションな人生を歩むことが出来るが、貧しい人は惨めである。イミテーション的な自然さえも得られず、砂漠の中で生活しているようなものだからだ。近頃彼たちの嘆き悲しみが木庵に伝わってくる。アメリカ人は心の底から、本当の自然を求めているのである。それを教えるのは、日本人の使命であろう。ところが,近頃日本人の中に。アメリカのイミテーション的自然観に憧れている軽薄な人間が多くなりすぎている。福岡氏のようにアメリカ人に自然とは何かを教えると、アメリカ人は本当の自然に飢えているので、真摯に耳を傾けるのだが。木庵>
つづく