自然農法(わら一本の革命)#31

自然農法(わら一本の革命)#31

人間の食とは何か
「人間の食とは何かということなんですが、まあ、西洋の栄養学というような立場からいくと、人間の食物とは、人間が生きるためには、でんぷんと、たんぱく質と、脂肪分があればいい。そのカロリーが一日に何百カロリーあればいいんだという基本項目をこしらえてですね、これが人間の生命を養っている材料だというような解釈をしている。ところが、これは全く、西洋の栄養学的な立場から見た食物なんで、人間の本当の食物とは何かということは実は、誰にもわかっていないんです。それで、私は、自然食ということがこのごろ言われるようになったから、自然食とは何かということをぼつぼつ考えてもみたんですが、実際のところ、自然がわからない人間が自然食がわかるか、ということがいえるわけです。たとえば、ニラとかニンニクとか、ねぎとかたまねぎとかいう百合科の植物でもですね、その中でも一番野草に近いノビルとかニラとかいうものが栄養が高くて、しかも人間の薬にもなり、強壮剤にもなっている。その上、味にしても、山菜みたいなものに近い方がおいしいんです。これが一般にどうなっているかというと、改良された、ネギ、タマネギの方がおいしいように思われるんです。どういうわけか近代人は、自然からはなれたものの方がおいしいと思うんですね。ところがそういうものは健康上からすれば、非常に人間に悪い。動物の方を見ましてもね。野生に近い野鳥のようなものの方が、人工的に改良されたニワトリのブロイラーよりも、ずっと体によく、おいしいはずですが、なぜか改良された、自然から遠ざかったものほどおいしいとされ、高く売られております。そういうものよりは、地鶏のようなものは、かたいとか何とか言って敬遠されます。本当においしいはずの雀だの野鳥だのというものは姿を消してしまっているというのが実状なんです。それから、乳もですね、山羊の乳の方が牛の乳よりも価値が高い。しかし、価値の低い牛の乳の方が一般に流通している。そして肉でも、牛馬の肉が一番普及し、多量に流通しておりますが、実をいうとこれが一番酸性の食料であって、人間の血液を濁すやつなんですよ。とにかく一般に、自然をはなれたものをおいしがるのは、結局、ものの本当の味がわからないんです。本人の好きずきだ、なんて言って、ふつう、ごまかしてしまうんですが、そうではなくてですね、一口で言ってしまえば、人間の体が反自然になればなるほど、反自然のものをほしがるということなんです。で、そうなると結局、反自然のところでバランスをとらなきゃいけなくなる。もっともアルカリ性の強いナスビやトマトをとらなきゃいけない、・・・果物で言えば、ブドウとか、イチジクというものが一番陰性です。だから、陰性のブドウ酒やビールには陽性のつまみをつける。魚でいえば、マグロとか、ブリとか、こういうものが一番価値は高いが、陽性が強すぎる。これを帳消しにするためには、大根おろしをつけたりしなきゃならないということになってくるわけです。・・・こういうバランスのとり方というのは、実を言うと、危険なばかりでなくてですね、綱渡りに似て、非常に危険なバランスのとり方なんです。・・・ブリとか、マグロとか何とか言って、遠洋漁業までして、とってこなきゃいけない。ところが、たいやひらめ、小魚ぐらいだったら、瀬戸内海でもとれるわけです、この方が実は、体にもいい。川や池でもとれるコイ、ドジョウ、ウナギなんぞの方が、ずっと体にいい。一番いいのは、タニシ、シジミ、川のエビガニ、沢ガニとかというようなものでしょう。こういうものがよくて、そして、海の大きな青魚になってくるほど体に悪い。結局、川の魚が人間に一番いいんですね。その次は浅海の魚で、一番悪いのが、深海ないしは、遠海になってくるわけです。人間が苦労してとってこなきゃいけないものが、一番悪い。・・・食養には、身土不二という言葉がありますが、近いところのものをとっておれば、さしつかえないということです。この村に生きているものが、この村に出来ているものを食べていれば、間違いないんです。それが欲望の拡大につれて、遠方のもの、外国のものまで食べようとする。これが人間の体を損なうようになるんです。・・・結局、一番簡単なのは、私のところの山で原始生活をしている連中のように、玄米や玄麦食って、アワやキビ食って、そして四季その時、その時の原野の、あるいは野草化された野菜を食っている。これが一番、動かなくて、生きる手段になってしまう。・・・穀物を食べている人種は、肉食人種の七分の一の働きでいい。七分の一位で、同じ人口が養える。日本の国は狭い狭いといっておりますが、日本人がみんな穀物、菜食するようになったら、人口が二倍になろうが三倍になろうが、この国土の中で、充分養っていけるんです。・・・日本人を米食人種からパン食人種にしたら、生活が向上だという、とんでもない思想を吹き込まれたわけなんですよ。ところが、実はそうじゃなくて、玄米、菜食が一番粗食のように見えて、むしろ、栄養的にも最高の食であるし、人間の最高の生き方をするのに、一番近くて楽なやり方だったわけですね。
<木庵は以前、健康食に凝って、色々の健康食の本を読んだり実践もしたことがある。玄米は栄養学的にいうと完全食ということになる。麦は不完全食品である。というのは玄米だけを食べ続けても死なないが麦だと死ぬという。欧米人がパン食で副食を多く摂らなければならないのは麦だけでは栄養が十分ではないからである。玄米の糠の部分か生命の元であり栄養が豊富にある。日本にいるときに玄米と白米をまぜてニワトリに与えると、ニワトリは器用にまず玄米を先に食べていた。ニワトリは何が栄養いよいかを知っているのである。木庵は今は玄米食ではないが以前玄米食をしていたとき、具のたくさん入った味噌汁とちょっとした小魚で十分健康が維持できた。ただ一時完全な菜食を通したことがあったが、子供のときから歯医者に一切行かないほど歯が強かったが、虫歯になったのには閉口した。やはり人間には動物性のたんぱく質やカルシュームも必要なのだろう。玄米がよいことは分かっているが、どちらかというと、木庵は胃弱であるので、玄米は胃に負担がかかるので控えている。玄米のおかゆにすればよいのであろうが、それもあまりしていない。どうしても昔からの習慣で白米が美味しい。汚い話だが、以前読んだ本に白米は、「うんこの素」というらしい。梅と一緒に食べると高エネルギー食品というらしいが、それでも玄米と比べれば栄養学的に最低の炭水化物食品になるだろう。日本に行けばとても美味しい米飯が食べられてよいのであるが、上品な日本の食生活が実は健康によくないということをもっと認識すべきであろう。木庵は今のところ玄米食にこだわっていないが、野菜を多くとっているのと、肉、特に牛肉、豚肉の摂取は控えている。メキシカンの人と生活しているので、よくメキシカン料理を食べることが多いが、メキシコ人がよく豆を食べているのは栄養学的にとてもよいと思う。いつも食べていながら名前が出てこないのだけど、たしかトティーアスと言ったかな、トウモロコシ粉焼いたパンのようなもの、胃の負担が少ないし、体によいと思っている。これから我が家の庭で野菜が多くできるだろうが、貴重な有機野菜がふんだんに我が家の食卓にぎわせてくれることであろう。木庵>
原点を忘れた日本の農政
「こういった食の根本がわからないから、終戦後の農政を見ておりますと、第一番に、麦作をやめろ、ということになってきたんです。で、麦をつくらないということもね。これは余談ですが、自分が10年前に、NHKの優秀農家選出で四国代表になるかならんかの境目のところで、審査の人が、こういうことを質問されたんです。『福岡さん、どうして麦をやめないのか』と、それで、私は、『日本の水田から、最高のカロリーがあげらるのは、米麦だ。それ以外の作物よりも、一番収穫が高く、栄養価も高く、しかも一番作り易いんだ。だからやめないんだ」と、こう言った。ところが、そのころには、とにかく日本の麦は、アメリカの小麦の二倍、三倍と高くつく、だから、そんな高い麦なんか作るよりは、アメリカの小麦をもってくる方がいい。こんなものはやめてしまうべきだ、やめろやめろっていうことを、さかんに宣伝していたんです。私は、そのときはっきりと、やめないと言いました。それじゃ、そういう頑固な人は優秀農家にはなれないということですね。・・・私は、実は、国民皆農っていうのが理想だと思っている。全国民を百姓にする、日本の農地はね、ちょうど面積が一人当たり一反ずつあるんですよ。どの人にも一反ずつ持たす。五人の家族があれば五反持てるわけです、昔の五反百姓復活です。五反まで行かなくても、一反で、家建てて、野菜作って、米作れば、5、6人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そしてあとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです』
<都会に住んでいる人が、週末に過疎になった村の人から田んぼを借り、米つくりをしているのは、近頃一種のブームになっていると聞く。美味しい米が食べれて、子供を自然に触れさせることができる、これほどよいことはない。それにしても日本人が食生活を一番大事に考えるようになれば、国民皆農も面白い発想として迎えられるであろう。木庵>