自然農法(わら一本の革命)#32

自然農法(わら一本の革命)#32
企業農業は失敗する
『大体、企業農業なんていうのは、架空のことなんです。企業農業なんていうことは、日本の農業の、東洋の行き方じゃない。百姓は、儲けなくても肥ることはできるんです。一本の杉の木を植えるときには、一本の木から、一歳ぶとり、二歳ぶとりといって、一年間に、米に換算すると一合から二合分の米に匹敵する肥り方をする。一般の杉の木から、1〜2合の米が出来てるんだ、と。一粒の米を播いても、百粒にも、二百粒にもなるんだ、と。それでいいんだ、と。そういう考え方で努力すれば、食ってもいけるし、肥ることもできるんで、それを楽しみにいけばいいのであって、儲けようと思ったら、必ずそれは経済ベースにのって、失敗する。・・・昔は士農工商といって、農業というのは、商業や工業よりも原点に近いというか、神に近い立場にあって、神の側近なんていわれていた。だから、働かなくても、じっとしておっても、何とか食っていけたんです。ところが、現在は儲けるなんて言い出して、近代農業になって、先端的な時流に乗ったもの、果物でいえば、ブドウを作る、トマト、メロンを作る。魚だったら、自然の魚よりも、養殖漁業をやる、また、肉牛を飼う方が、儲けが多い、というかっこうになってきた。ところが、これは、経済ベースに乗せられて、一番ふりまわされた姿です。・・・いわゆる、昔の農本主義という方がむしろ、日本の、東洋の農法だったんですね。それは全く非能率に見えるけれど、非能率ではないんです。たとえば、一つの、わずかな例ですけどね、私、このごろ思うんですが、山へニワトリの放飼いをして思うのですが、白色レグホンというような改良種の方か能率がいいように、ふつう考えるんですよ。一年に二百日以上も卵を産むから、これは能率がいいってことを言っているんです。ところが一年たつと、もうだめになってしまって、廃鶏にしてしまう。ところが、地鶏(土佐や愛知県の南の方なんかに多かったシャモとかいうような、褐色や黒の鶏)というのは昔からなるほど、産卵率は半分しかない。二日に一ぺんしか産まなかったりする。卵も小さい。だから、産卵能率が悪いように思う。ところが、実際はそうでもない。雄が一羽、雌が二羽の地鶏を飼ってみたのですが、一年たってみますと、いつの間にか24羽のひながかえり、雌二羽からはじまって、最後は二十羽になっているんですね。一年間に、十倍に増えるわけですよ、はじめの一羽どうしだたら、白色と地鶏じゃ、産卵率は白色の方がよいのだが、一年たってみると、バタリングで飼っているような白色レグホンの方は、一羽が一羽のままだが、片一方はいつの間に十羽になっている。産卵率が悪いと思った期間も、実は休んでいるんじゃなくて、その間巣ごもっていて、一度に5つも6つものたまごを懐に抱いて、あたためているんです。<木庵は子供のとき、ニワトリを飼っていた。白色レグホンが主で、効率のよい卵を産ますことを考えていた。えさ代を安くするために、葉っぱをたくさん食べさせていた。ニワトリというのは葉っぱはいくらでも食べるものである。葉っぱをよくやると黄身が濃厚で、今だときっと高級卵として売れたであろう。アメリカに来てからもニワトリを飼っていた時期がある。畑に放飼いにすると見事というほど、野菜を全て食べてしまうので、囲いを作って飼っていた。黄身の盛り上がった卵を友達にあげると喜ばれたものである。ところが、あるとき、近所の犬が入ってきて、ニワトリが騒ぎ、それを近所の人が市にレポートしたものだから、手放さざるをえなくなった。ロスでは地域によってニワトリが飼えるところと飼えないところがある。そこは飼えないところであった。全部で6羽ぐらいいたが友達にあげた。いわゆる嫁入りであった。アパートを買ってから一度、ニワトリを飼おうとしたが、テナントの一人がニワトリを嫌がり、せっかく雛鳥を買ってきたが、返したことがあった。近頃ではニワトリ・インフルエンザでニワトリを飼うことを嫌がる人がいる。木庵の理想の生活というのは、果物が生い茂り、野菜畑もあり、そこにニワトリが放飼いにされている。そのようなところで暮らすのは最高であると思っている。木庵>
誰のための農業技術研究か
「実は、自分が米麦の直播栽培、つまり、平播の不耕起直播を始めた当初は、ずっと、鎌で刈るということを前提にしておりましたから、条(すじ)播、点播にして、田植えをしたような、正条播をしたいと思いました、自分で手づくりの播種機を、素人ながらずいぶん苦労して造ってみたことがあるんですが、その頃に、試験場の農機具の係りの方に、ちょっと知恵を拝借しようと思って行って話したりしますとね、そのころは、大型機械の時代に入っていて、農林省は、アメリカ式の大型機械を普及させようとしているとかで、どうもそんな小さなのは困るという、そこで今度は農機具の会社に行って不耕起直播機なんかこしらえたら、二十万も三十万もする耕耘機なんかいらないじゃないかと百姓が考えるかもしれない。それに、手づくりの直播機なんていうのは、こりゃ、いくら儲けても、一台で千円くらいにしかならない。福岡さんの考案したアイデアによる特許は、買い上げてあげるが、造る意思はない、と、現在はあくまでも、田植機を早く開発して、どんどん売りたいと思っているんだし耕耘機は小型よりさらに大型化して、値段の高いものを売ろうとする方向に向かっているんだから、それに逆行するような、不耕起直播、あるいは直播機なんかを造るということは、とんでもない話だ、というようなことを言われた。また。技術者もですね、こういう時代に、農機具の開発に逆行するような研究をしていけば、あとで、退職したときに行き場所がなくなるというようなことを言って、『福岡さん、気の毒だが、こんなことじゃ手伝えないや』と言って、笑ったこともございましたが、こういうことで、結局今まで、私の特許は寝かされたままで、時代の要請に応じて、大がかりに無駄な研究ばかりすすめられているわけです」
<日本の農業を考えるとき、農民が企業の儲け主義に躍らせれて、高い農機具を買わされるようになっていることがよくわかる。田植機の開発は画期的であった。この開発によりどれほど農民の労働が軽くなったかわからない。それはそうだが福岡氏の直播機の方が安上がりだし、田植えという作業を省いているので、それだけでも楽になる。木庵>
自然に仕えてさえおればよい
「根本的には、技術者は技術者である前に、哲学者でなきゃいけない、人間の目標が何かということをつかみ、人間は何を作るべきかということをつかめなきゃいけない、医者でもですね、何によって人間が生きているかということを、まず最初につかんで始めて、方針が決まるんです。人間が栄養配分やビタミンによって生きてくるんだというものの考え方が、一つの錯覚なんです。キリストが、人間はパンのみによって生きるにあらず、と、言ったということはですね、肉体的な動物じゃなくて、精神的な動物だというような単純なことを言ってるんではないと私は思うんです。あの言葉っていうのは、もっと、大きい、深い意味がある。人間は食品なんかによって生きてるんじゃない、一口にいえば、食品なんて考え方は、人間は捨ててしまってもかまわないんです。何が食品かなんてことは、結局、わからないなら、分からないでもいいんですよ。とにかく地上に生まれ、生きているという現実を直視せよ、という言葉だと私は解釈しています。現在、人間がこの地球上に生まれているということは、生まれる動機と、条件と、因縁があって、生まれたにすぎないんです。そして、生きていくということも一つの生まれてきた結果にしかすぎないんです。何を食って生きているんだとか、何を食べなければ生きられないなんぞと思うことが、一つの、人間の思いあがりなんだ。自然にまかせておいて、死ぬはずはなかたんです。自然の姿にすがってさえおれば、自然に随った生活さえしておれば、人間は生きられるようになっているんだという確信をつくることが先決であるし、それが最初の人間の生きる原点になるわけです。・・・人間は、神様の愛っていうか、自然の偉大さを知るために苦闘しているにすぎないと思います。ですから、百姓が仕事をするという場合、自然に仕えてさえおればいいんです。『農業』っていうのは『聖業』だと言っていた。というのは、農業は神のそば仕えであって、神に奉仕する役だから、『聖業』だという意味だというんですよ。それをはなれて人間が、近代農業とか、企業農業とかいて、神の側近であることを忘れてですね、儲けるようになったときには、これはもう、いわゆる農業の原理を忘れて、商人に成り下がったということなんで。」<ここまでくると、福岡氏の自然農法が哲学、宗教に昇華されている。木庵>
つづく