自然農法(わら一本の革命)#33

自然農法(わら一本の革命)#33
日本人は何を食うべきか
「池田元首相は、“貧乏人は麦を食え”という名言を吐いて、だいぶ問題になりましたが、あれを“日本人は麦飯を食え”と言ったんだったら、これは素晴らしい発言だったんじゃないかと、私は思うんです。・・・昔は、百姓がどんなに楽で、どんなに楽しい農業(楽農)をするかということに役立つような研究をする、いわゆる応援をする、それがせいぜい技術者の務めであったんです。ところが、現在は、それが反対の方向、苦農に向かっている。人間の欲望に追従した研究をして、そして、それに向かって百姓を叱咤激励するというかっこうになってきているわけなんですね。本筋から外れているということを感じるわけです。・・・農林省の役人なんかはですね、春でも来れば、直ぐに野山になんかへ出かけて、春の七草、夏の七草、秋の七草みたいなものを積んで、それを食べてみる、というようなことから始めて、実際の人間の食物の原点は何であったのかということを、まず確認する必要がある。・・・まあ。米麦とですね、野菜を食っておれば生きられる、ということになったら、日本の農業というものは、それだけを作っておればいいんだし、それだけ作っておればいい、ということになれば、これは、きわめて楽な、いわゆる、百姓の名のつかない、普通の人々でもやることのできる遊びごとの農法で、日本の食糧問題というものは、解決してしまう。もしも、皆さんがそれで満足できるとすれば、人口が倍になろうが三倍になろうが、それで、自給体制というものが完全にとれるんです。これだけ農業問題が簡素化されれば、役人や農業技術者も十分の一に減らすことができ、税金のいらない日本ができることにもなる」
なくなった百姓の正月休み
国際分業っていうのが、現在の農政経済学者あたりの、支配的な考え方なんですが、農業というのは、本来、分業で、特殊な地域で少数の者がやるべきというんじゃなくてですね、すべての人間が、自分の生命の糧を自分で作って、自分が生きているということをかみしめて、日々生きていくというのが本来'であって、他人に任せ、一部の者に作らす、あるいは、肉は、どこそこの国で作り、果物はどこそこの国で作り、魚はどこでとればいいという、国際分業論的な考え方っていうものは、全く人間の生活の原点ということを忘れた政策だといわざるをえないと、私は思うんですね。・・・今度は、ものの発展ということじゃなく、人間を主体にして、遠心的な拡大の方向から、急進的な凝結方向に向かっての、収斂といいますか、そういう方向に向かっての進展というものをめざさなきゃならない時期にきている。いわゆる物質を追いかけて、物欲を満足させていう方向から、物欲は犠牲にしても、求心的に、精神的な向上、発達というものをめざす、いわゆる収斂の時期に入ってきているということが言えるわけです。農業の方面でも、ただ拡大すればいいんじゃなくて、むしろ、小面積のところで、楽な百姓をやって、生命だけをつなぐ、物質生活や食生活は、最小限の簡素なところにおいておく、そうすると、人間の労働も楽になり、時間的にも余暇がふえ、精神的、肉体的な余裕ができてくる。その余裕を、物質文明ではなく、本当の文化生活というものに、高い次元の精神生活に結びつけなければいけない、そういう時代は入ってきていると思います。だから、百姓が大経営をすればするほど、物心両面に追いまわされて、結局、そういう精神生活から遠ざかってしまうんです。キリストは、心の貧しき者、神に近しと言った。心の貧しき者というのは、心が素朴で、さらに、物質的にも貧しいというような者の方が、もっと神に近づきやすいということです。とにかく、本当の人間らしい生活というものは、むしろ原始生活のように見える、いわゆる小農の生活の中にあって、その中でこそ、大道の研究ができるんです。最小の世界に徹底すれば、最大の世界が開けてくるというのは本当だと思います。近代農法をやっておって、詩や歌やなんかをひねったり、書いたりする暇はでてこない。昔の五反百姓は、貧農やなんかいわれながらも、年末がきて、正月があけたら、もう、やる仕事がなくて、一月、二月、三月は、山のウサギ狩なんかにばかり出かけておった。それだけの余裕があったんです。大体、正月というのが、昔は三ヵ月もあった。これが二ヵ月になり、一ヵ月になり、そしてもう、15日がきたら、正月は終わりだといって、注連飾(しめかざり)をのけるようになったのは、つい近年のことなんです。それがさらに、その15日も廃止されて、このごろは、三日の正月になってしまった。その、三日の正月も、農村では、三日間丸休みすることがほとんどなくて、二日になり、一日になっているわけなんですよ。それほど短縮されてきた。・・・先日も、私は驚いたんですが、村の小さな神社の拝殿を掃除しておりましたら、そこに額がかけられておるんですよ。それを見るというと、おぼろげながら、俳句が数十句、短冊のような板に書かれているんですね。このちっぽけな村で、二十人、三十人の者が、俳句をつくっていて、それを奉納していた。多分、百年か二百年ぐらい前だと思うのですけれど、それだけの余裕があったのです。その頃のことですから、貧乏農家ばっかりだったはずですが、それでも、そういうことをやっていた。・・・老子は、小域寡民というようなことを言っていますが、小さいところで生きていたのでいいんだという考え方なんです。達磨さんも、一ヵ所にすわりこんで9年間も生活できたほど、ばたばたしなかった人なんですが、人間はそれでいいんだと思います。百姓が日本中を股にかけて儲ける作物を作ったり、送ったりするというようなことは、本来のやり方ではない。もう、ここに座っておって、この小さなところで田畑を耕して、そして、その日その日の最大の、余裕のある時間というものを獲得するような農業っていうのが、むしろ、理想の農業であったはずなんです。
<福岡氏のような生き方をすれば、人生余裕をもって歩めることが出来る。人間は欲を追及するあまり、その欲に縛られて窮屈な人生を歩んでいる。宮沢賢治の詩、「雨にも負けず」の中に、「一日5合の玄米と、味噌と少しの野菜を食べ、」という一節があったと思うが、この玄米だけで十分な栄養がある。また味もよい。そのような生活を送ると、金に不自由することがない。木庵は日本にいるとき、玄米食をした時期があった。玄米と具の多い味噌汁と、丸干しだけで栄養がつき、それも美味しいと思った。白米に色々なおかずを添えて食べている人が野蛮人に見えたときがある。当時給料の殆どを貯金にした。そして、その金が後のアメリカ留学の資金になった。今アパート経営をしているが、時間はいくらでもあるし、金もどんどん貯まっている。もし世間の人のように、贅沢をする習慣があれば、アパートも買えなかったし、アパート経営で苦しむことになっただろう。物欲がそれほどもないので、質素な生活も苦にならない。2年前もう一つのアパートを買う金もあり、現に買おうとしていた。ところが、福岡氏のいう拡大の方向ではなく収斂というか現状維持の方向にした。そのため余裕が出来た。もし拡大の方向を選んでいたとすれば、収入は多くなっていたかもしれないが、また仕事も多くなり、危険やストレスも増していたにちがいない。アメリカまでやってきて、世界を股にかけるとは逆に、福岡氏が唱える老子の小域寡民の世界に近づきつつある。達磨までとはいかなくとも、今生きている小さな世界にしっかり根を張り生きていこうと思う。人生の後半に生活の苦労もなく、仕事もそれほどせず、遊んで暮らせるとは、幸せなことである。私の周囲のある人は事業を拡大したため、今回の不況の波に押しつぶされそうになっている。またある人は贅沢な生活に慣れてしまい、収入は多いのだが、その収入を上回る出費が嵩み、あくせくしている。福岡氏のいうように、農業をして米と麦と野菜を作っていれば、それで楽農、楽人生が歩めるようになる。人間ちょっとした発想の転換と、それを実行する知恵があれば、一度しかない人生、意外に余裕を持って生きていけそうであう。明治以来、日本人はあまりにも西洋を理想と考え、西洋に近づきたい、追い越したいという願望により、日本本来の農民生活のよさを捨ててしまったように思う。明治は素晴らしいと教えるために、その前の江戸時代は悪い時代であったと思わされたが、実は物質精神共に豊かな時代であったのである。貧農である人たちが俳句を作っていたとは、当時世界のどこを探して、このような国があっただろうか。いま若者が仕事がなくて困っているというが、田舎に行き、福岡式農業、福岡式生活を送ればよい。そうすれば、もっと日本は余裕のある、おおらかな国になるであろう。木庵>
つづく