自然農法(わら一本の革命)#34

自然農法(わら一本の革命)#34
共同体の中で息づく自然農法
「だいたい私は、労働という言葉がきらいなんです。別に、人間は働かなきゃいけないという動物じゃないんだ。働かなきゃいけないということは、動物の中にも人間だけですが、それは、もっともばかばかしいことであると思います。どんな動物も働かなくて食っているのに、人間は働いて食わなきゃいけないように思いこんで働いて、しかも、その働きが大きければ大きいほど、それがすばらしいことだと思っている。ところが、実際は、そうではなくてですね、額に汗をして勤労するなんてことは、一番愚劣なことであって、そんなものはやめてしまって、悠々自適の、余裕のある生活をおくればいい。まあ、熱帯にいるナマケモノのように、ちょっと朝晩出ていって食物があったら、あとは昼寝して暮らしている。こういう動物の方がよっぽどすばらしい精神生活してるんじゃないかと思うんですね、・・・私が言っている国民皆農といいますのも、小さな村に住んで一生そこで過ごして、それで満足できる人生観を確立する。こういう方向にもっていくのが私の目標でもあるし、現在、私の百姓仕事を手伝ってくれている青年が、7,8名、山小屋の中で共同生活をしておりますが、これらの青年の、一つの夢というのも、やっぱり百姓になって、新しい村づくりというか、部落づくりというか、そういうものをやってみたいという目標があるわけです。で、その手段として、何をやるかといえば、当然、自然農法以外にはないんです。それで、ここの自然農法を修得して、生きていくための技術を身につけると共にですね、人生の目標とは何か、人生の意義とは何か、本当に価値のあるものをさがしあてたい、というのが、うちの山に来ている連中の考え方なんでして、農業を実践して、そういう方向にすすんでいこうとしているわけなんです。・・・全国的にみましても、いろんな共同体が出来ています。・・・・インドへ出かけていったり、あるいはフランスのガンジー村へ行って、そこで生活してみたり、あるいは、イスラエルの共同体なんかに奉仕に行ってみたりして、いわゆる新しい人間家族というか、部落というか、そういうものを作ってみたいという者もいますが、これらは現在の世界では、きわめてささやかな団体でもありますし、その活躍というのも、ほとんど、とるに足らないといえば足らない、ひとにぎりの人たちの運動ではありますが、こういう運動っていうものは、やっぱり、次の時代を先取りしている点があるのではないかと思うわけでして、こういうところで、現在、急速に、自然農法のやり方というものを、取り上げていこうという気運が盛り上がってきております。また独りで自給自足できない団体では何もできないでしょう。」
<人間は進歩という名のもとに、自然から離れた生活をしてきた。それが幸せに繋がればよいのだが、欲望という魔物に縛られ、逆に不自由になっているところがある。福岡氏の言う、ナマケモノのように、食物があればあとは昼寝して暮らす、悠々自適な生活をおくることは、案外人間の幸せの根源的なところをついているようである。木庵は日本人を大まかに言って、縄文人間と弥生人間に分類している。縄文時代は1万年続き、勿論気候の異変により食糧調達が大変な時代もあったが、全体的に言うと豊かな自然の産物の恩恵を被り、それほど労働をしなくても生きていけた。ある書物によると、森に入り、一時間ぐらいで2斗ほどの椎の実がとれたという。日本人がよく働くようになったのは弥生時代からである。稲作が始まり、米作りとは多くの労働を必要とする。福岡氏はこの米作りを弥生的ではなく縄文的にとらえているのが面白い。なるべく無駄な労働を省いて、そして、豊かな収穫を得ようという、ある意味でずるい考えを導入している。汗水流して後に幸せがくるという考えが我々日本人のDNAにインプットされているようである。働かないと、何か落ち着かないのである。仕事人間、弥生人間が現在の日本を立派にしたのであるが、過労死は最悪の例であるが、日本人は労働に大きな価値を置きすぎたところがある。本来縄文人間のDNAもあるのであるから、福岡氏の言うように、最小限の労働で自然に任せ、自然の恩恵を受ける生きた方が良いのかもしれない。自然農法だけでなく、現代風、縄文人間の復活が、幸せへの方向性を示しているのかもしれない。木庵>
自然農法と有機農法
「宗教団体の中でもっとも早くから、私と接触し、また、自然農法というものを、おもに看板にして活躍しているのは、熱海に本部のある世界救世教なんですが、この、世界救世教の自然農法部門を担当しておりますのが、榊原忠蔵さんと、故露裕喜夫さんたちで、こういう方たちは、よくうちに来ておられました。ところが、宗教団体が取り上げる農法ということになると、自然が作るというより、神様が作ってくれる、神様の力におすがりするというような、何か、神がかり的に見えるものですから、従来は、一般の人や農業関係者は敬遠するというのが実状だったんですが、私は神道、仏教、キリスト教の区別をつけないので、どなたとでもおつき合いしておりました、どの宗教にも所属しておりません。お山の大将、一匹オオカミで終わる男でしょう。しかし、それでかえって、どこで誰がどんなことをやっているか、よくわかります。・・・有機農法研究というのは、フランスで生まれたもので、こういう団体ができておるわけなんですが、これは、西洋人のものの考え方、科学的な農法に対してですね、西洋人の中にも、不安感をいだく人が出てきて、東洋の思想に憧れて、東洋の農法がむしろ参考になるんじゃないかという考え方をもってきて、有機農法研究会を作ったというのが事の起こりでありまして、その師匠というのは、むしろ東洋であった。そしてその、有機農法の具体的な内容というのを見てみますとですね、これは、むしろ日本人の農学者が研究し、日本の農民が実践してきたところのものと、ほとんど違わない。日本の農民が、この、明治、大正にかけてやったのは、どういう農法かといえば、有畜の堆肥重点主義ともいえるようなものでした。そして、経営状態は多角経営であって、集約的経営でありました。この多角的農業というものが、今の複合経営という言葉に変わり、あるいは有畜の堆肥の重要な意味というものを知っておって、堆肥を使えば、米は自然に出来る、麦は自然に出来る、というのが一般的な考え方でした。そして、わらを大事にして、粗末にしないで堆肥にし、田を返してやるということを徹底してやった。技術者も、そういう有機物、堆肥の研究などには、ずいぶん力を入れてやってきて、普及奨励もしてきたんです。で、この畜産と、それから作物と人間と、この三者を一体にしたところの農業というものが、従来の日本の農業の主流を成していたわけです。これをまねたのが外国の有機農法であったともいえるわけです。・・・結局、有機農法は、聞いた範囲内では、西洋哲学の考えに出発し、科学農法の一部に過ぎないのではないか、と。科学農法と次元が同じである、と。・・・私が考えている自然農法というものは、実をいうと、いわゆる科学農法の一部ではないんだ、と。科学農法の次元からはなれた東洋哲学立場、あるいは東洋の思想、宗教というものの立場からみた農法を確立しようとしてるんだ。自然農法の中には,強いて言えば、仏教で言う大乗的な自然農法と、便宜的な小乗的名な自然農法がある。実践の上からいうと、小乗的な科学的自然農法でいいけれど、最終の目標っていうのは、単に作物を作るだけじゃなくて、人間完成のための農法になってなきゃいけないんだ。そういうことになると、一つの哲学革命である、宗教革命である、というようなことを話しましたら、そのフランス人(注:フランスのパリにある有機農法の本部の人)は理解もするし、非常に感激して喜んで帰ったんですが、ただ単に、有機物をやればいい、家畜を飼えばいい、そして、それらの三者が一体になったような農業というのが、一番いい農法である、という程度の考え方にとどまるのであるとすれば、この有機農法というものは、自然農法というものの主旨は維持できないのではないか。時がくれば流されてしまう科学的な次元の一農法にしか過ぎないのではないかと思ったわけなんです。」
<福岡氏は農業を「人間完成のため」と考えている。人間生きるために一番大事なのは食である。その食を自然から頂くという人類始まって以来の原理を大事にし、自然の法に則った生き方をすることが人間完成の道なのであろう。有機農法を科学の次元でとらえるなら、健康食物、食物増産の次元にとどまる。福岡氏の「自然農法(わら一本の革命)」には、ただ単なる農業の本ではなく、人生の奥義を示してくれるようで、なかなかこのシリーズが終らない。また、福岡氏独特の語り方に引かれてしまう。木庵>
つづく