GHQ焚書図書開封(西尾幹二)#16

  第一次世界大戦が終り、また講和会議締結によって、赤道の北にあるマーシャル諸島カロリン諸島マリアナ諸島は日本の委任統治領となり、赤道以南のニューギニアビスマルク諸島はオーストラリアの統治領、サモアニュージーランドの統治領になることが決定された。ここに、ドイツは30年もかけて獲得した領土をことごとく失うことになったのである。
   以前にも述べたように、白豪主義のオーストラリアが人種差別の国アメリカに急接近するという新しい展開が待っていた。オーストラリアにとってイギリスは宗主国であるが、あまりにも遠距離にあるため、いざというときには助けてくれないのではないかという不安があった。そこでアメリカと接触する関係が生まれたと見ればよい。またアメリカも日英同盟をもともと嫌っていたから、カナダやオーストラリアを唆(そそのか)して日英同盟を廃棄させる方向に持っていく画策をおこなったのである。
  アメリカの太平洋海路を考えるとき、西海岸を出た船はほぼ一直線に西に進み、ハワイからグアムを通ってマニラに抜ける。全部アメリカの獲得領土であるからまず安全ということである。ところがもし日米間で戦争が始まれば、日本にこの海路を押さえられてしまうことを恐れたのである。そこで、ハワイ、グアム、マニラという通常の航路の外に、新しい航路を開発する必要があった。ハワイからサモアニュージーランド統治)に南下して、ニュージーランド北東にあるオークランドへ抜け、されにオーストラリア北西岸ポート・ダーウィンを通ってシンガポールにいたる経路であった。
   「ABCD包囲陣」の準備が始まっていたのである。言い換えると、アメリカは第一次大戦が終るとすぐ、次の戦争相手は日本だと予感し、その準備を始めていたのである。それが、アメリカの対日政策「オレンジ計画」であったのである。 
  それにしてもオーストラリアという国は、歴史的に見てもわがままで、非道徳的で、身勝手でエゴイスティックな姿勢が被害妄想に近いレイシズムの自己幻想を生むが、その自己幻想がやがて激しい「対日敵意」に転化していった。そしてそれがアメリカの動きと重なっていった。
  第二次大戦への流れは、日本からでなく、このような向こう側から自然に敵意が形成さえていったと理解することができる。
<勿論「敵意が相手だけにあったのではなく、日本の動きがあったればこそ」という見方があるが、世界の歴史の流れをみるとき、自国に一切責任がなくても戦争に巻き込まれるケースの方が多い。そのような歴史を冷徹にみる訓練を日本の人はすべきであろう。自虐史観ではないが、何でもかんでもすべて「日本が悪うございました」という見方から脱却しなければいけない。ただ内省深い日本人は、朝鮮、中共のように、「すべてを他国のせいにする」道にも陥らないだろうが。>
第九章 シンガポール陥落までの戦場風景
   第一次世界大戦当時、次第に国力を失いかけたイギリスは、日本の力を借りながらアジアにおける自国の権益を守っていたところがあった。その意味でも日英同盟は有益であった。ところがアメリカにとって、第一次戦後処理の結果、旧ドイツ領のマーシャル諸島カロリン諸島マリアナ諸島といった島々が日本の委任統治領とされたことは、グアムとフィリピンを統治する上で邪魔であった。また中国大陸への野望も持っていたので、日本を納得させたうえで日英同盟を廃棄させたいという考えがあった。
  そこで飛び出したのが、ワシントン会議における「九か国条約」という代案であった(1922年)。これは中国の門戸開放を謳った条約であったが、その席上、イギリス、アメリカ、日本、フランスの4カ国の軍縮を行うようにした。4カ国はそれぞれアジア・太平洋に領土をもっていたから、1)お互いに、その権利を尊重するとともに、2)その権利を侵害され、脅威を受けることのないよう、軍事力をこれ以上高めないことは止める、という取り決めをした。「だから、日英同盟なんてもういらないじゃないか」というのがアメリカの言い方であった。
  この予備会議で、アメリカはグアムとフィリピンの防衛をこれ以上強化しないことを約束し、イギリスも香港における軍事力を高めることはしないと言明して、日本を安心させた。その代わりに、日英同盟を解消するという取り決めになった。
  ところが、米英の約束には、「ハワイ」と「シンガポール」が入っていなかった。グアム、フィリピン、そして香港での軍事強化はたしかに手控えるようになったけれども、それに取って代わって、アメリカはハワイの防衛、イギリスはシンガポールの防衛に力を入れ始め、この両地が日本に対抗する軍事基地として重要な意味が強くなってきたのである。
  そして、イギリスはシンガポールに大きな要塞をつくった。またアメリカもハワイの防衛に力を注いだ。それからもう一つ、付け加えるなら、ソ連ウラジオストックに軍港を築いた。ということは、日本はハワイ、シンガポールウラジオストックという三角形の真ん中に押し込められてしまったのである。その後、米英ソからの圧力を日本はひしひしと感じるようになるのである。
<地勢学的戦略から言うとまずかった。だまされたといえるであろう。しかし、だまされた日本が悪い。日本人はどうも既成にあるものにこだわり、一大転換する発想が弱いといえる。私はアメリカで生活しているのであるが、アメリカ人には屁理屈とも取れるような無茶苦茶であったり自由奔放の発想で日常的に生活しているところがある。このような発想が外交や軍事において、時には効を奏することがある。要するに日本人はまじめすぎたり、道徳的過ぎたり、発想面で少し貧弱なところがある。これはやはり改めるべきであろう。自己肯定ではないが、私は一応外国で長い間生活をしているので、外国人のものの考え方をある低度理解できる。だから、日本の人は私たちのような海外居住者の意見を参考にするとよい。つまり、海外とのネットワークが大事であるということだ。インドや中国、イスラエルなど、海外ネットワークをとても大事にしているが、日本の場合、海外に居る商社の人間からの情報は重要視するが、海外永住組みをもはや日本人として扱わないところがある。せっかく協力しようとしているのに、もったいないことである。>
<日本は真珠湾を攻撃すると同時に、シンガポールにも攻撃をしかけた。そして、シンガポールを陥落する前に、コタバル上陸作戦があった。コタバル上陸作戦について、西尾は「星港攻略記」という本(これも没収指定図書)に書かれていることを引用して、この戦いの様子を述べている。相当量の引用であるので、ほんの一部だけ取り上げることにする。本当は全文を紹介したいほどの生々しい戦闘の様子の記述がある。我々戦争を知らない世代にとって、戦争の状態を知るのに貴重な資料である。このような貴重な本が焚書されたことは、我々日本人の想像力を貧弱にしているという側面があることを、あえてここで書いておく。>
つづく