GHQ焚書図書開封(西尾幹二)#3

GHQの民間検閲支隊Civil Censorship Detachment(CCD)の主な活動はマス・メディアのチェック、すなわち目の前の情報の「検閲」であった。これは私信開封にまで手を伸ばしていた。実はこのCCDの一部門にプレス・映像・放送課Press,Pictorial&Broadcast Division(PPB)があり、その下部組織として、戦前の本にまで手を伸ばし、「焚書」のリストを作成しようとする調査課Reserch Section(RS)が存在していた。CCDは目の前のマス・メディアの監視に精一杯で、RSにはわずかアメリカ陸軍軍属6人(上級係官2人、その他4人)の専属スタッフを割くだけで、没収の作業に取り掛かっていたが、手がまわらず、RSは日本人パワーに頼るしかなく、9−25人程度の日本人を加えて編成されていたようだ。PPB、RSの作成した没収指定図書リストは、終戦連絡中央事務局を通じて、日本政府に指示命令として伝達された。46回に分けて細かく指示命が出された。初めのうちは日本の警察が本の没収をおこなっていたが、昭和23年6月を境に、文部省社会教育局にこの件の業務が移管された。それに伴い没収行為の責任者はこれから都道府県の知事に定めるという文部次官通達が出された。この通達は知事に対し警察と協力して行うことを指導し、知事は教育に関係のある市町村の有識者を選んで、「没収官」に任命することを求めている。ただし、現場の教師は任命から外すように、学校の図書室からの没収は慎むように、といった細かな指示を出している。没収であるから金は払わない。「もし被没収者が捜査および没収を拒み、または没収者に危害を加える等の恐れのあるときは警察官公吏の協力を求め、その任務の完遂を期する」などと書かれている。これらの没収活動が日本国民に知られないように、秘密のうちでなされた。文部次官通達の第9に、「本件事務は直接関係のない第三者に知らせてはならない」とあった。 この秘密主義には罰則がなかったにもかかわらず、戦後60年間、一般日本社会に知れ渡ることはなかった。アメリカ占領軍の心理的罠の掛け方が巧妙だったのか、集団殺戮というようなものではなくたかが焚書だと思ったのか、軍国主義の悪い本だと乗せられたのか、日本人自らが自己規制に過剰に働いたのか、見事に焚書のことを今まで知られることはなかったのである。
   個人が所有していたものと図書館が所蔵していたものは現物の形で日本に残り、GHQに押収されたものはすべてパルプとなって、日本の学童用の教科書に再生されたという。
  ある文献によれば、没収判定の見本となったオリジナルはCCDライブラリーにいったん保管された後、メリーランド大学に運ばれたと記述されている。占領期の日本で接収された図書、雑誌、新聞、その他がアメリカに移送された経路には大体二つあった。一つは、メリーランド大学教授でGHQに勤務していたゴードン。プランゲ(Gordon W.Prange)を 通してメリーランド大学に移送された(図書、パンフレットが約7万1000タイトル。雑誌が約1万4000タイトル。新聞が約1万8000タイトルの他、地図やポスターや写真類もある)。もう一つはワシントン文書センター(Washington Document Center【WDC】)にいったん収集され、米国議会図書館、および国立公文書記録管理局へと送られた。WDCコレクションは戦前・戦中の出版が中心である。
簡単には言えないが、「検閲」の部門はメリーランド大学に行っていわゆるプランゲ文庫となり、「焚書」の対象となった没収指定図書は、日本でパルプ化を免れたものがワシントン文書センター(WDC)に回ったと言ってよい。WDCに回ったものは終戦直後、すなわち1946年という早い時期に、米議会図書館に移管が始まっており、当初は書籍と冊子を中心に27万点の文書群があったという。こうしてみると日本の歴史、ことに戦意形成の背後を知るに価する昭和史の文書類は根こそぎアメリカに運ばれたままになっているのは事実のようだ。
  プランゲ文庫の中の占領期「検閲」以外の文献、つまり戦前・戦中の本について、エイコ・サカグチという人の調査報告がある(The Australian National Unibersity, Newsletter NO・48【Dec・2005】)。それによると、プランゲ文庫中にある昭和20年8月15日以前の書籍はわずかに37冊を数えるのみで、それらは昭和22年の日付の「没収図書」であることである。ただし、それが4500冊の中の37冊なのかどうかはっきりしていない。
  プランゲ文庫の主たる収蔵文献、占領期の「検閲」に用いられた資料は、日本側に昭和40年代半ばからその存在が知られ、昭和47年に返還要求が国会でも取り上げられた。国立国会図書館はその重要性にかんがみ、マイクロフィルム化を開始し、現在までに雑誌、新聞の部門はほぼマイクロフィルム化が完了しているようだ。つまり、日本でいま閲覧が可能なのだ。
   しかし、「焚書」された戦前・戦中の本のほうの行方がどうもはっきりしない。ところでWDCに接収された文書類は主米議会図書館に移管されたことはもう述べた。27万点に及ぶといわれるこの文献の中には、旧陸海軍関係の文書約2万3000冊分は昭和49年に防衛庁に返還された。そしてようやく著者西尾はネット検索の結果、「焚書」された本の大半が米議会図書館に実在していることを突きとめた。全冊検索のためではなくサンプル検索であった。<日本の国会図書館に80〜90%実在していることは、西尾はもっと先に論じているが要約の都合上、ここで知らせる。>
 西尾は70冊の焚書のリストを載せているが全部書くと、スペースが多くなるので、木庵選のリストアップする。リストアップにあたって、興味のある著者名とタイトル名から選んだ。最初は著者名から選び、後はタイトルから選んだ。
<著者名>
長谷川了「日米開戦の真実」大日本出版
来栖三郎「日米交渉の経緯」東京日日新聞社
安岡正篤「東洋政治哲学」玄黄社
石橋湛山「長期建設の意義と我経済の耐久力」東洋経済
吉野作造「時事問題講座(七)對支問題」日本評論社
和辻哲郎「日本臣道・アメリカの国民性」筑摩書房
伊藤整「戦争の文学」全国書房
武者小路実篤大東亜戦争私感」河出書房
荒木貞夫「皇国の軍人精神」朝風社
鶴見祐輔「膨張の日本」大日本雄弁会講談社
内田良平支那観・国難来」若林半
柳田國男神道民族学」明世堂書店
菊池寛「二千六百年史一抄」同盟通信社
亀井勝一郎「日本人の死」新潮社
大川周明「日本精神研究」明治書房
井上哲次郎「修正増補 日本精神の本質」廣文堂書店
斉藤榮三郎「英国の世界戦略史」大東出版社
有田八郎「米英の東亜攪乱」
ボース・石井哲夫「印度侵略悲史」東京日日新聞社
つづく