*白洲次郎論#5
<ロス在住で私のブログを見ておられる方もいる、その方からメールで次のようなコメントをいただいた。木庵>
木庵様

『次郎と正子・娘が語る素顔の白洲家』をお読みになるとおもしろいですよ。
私は去年すでに読んで、その本を友人にあげてしまいました。(戻ってこ
ないで行方がわからないためあげたことにしたのです)。

私達が住んでおりました家は白州邸(東京都町田市鶴川)の丘をはさんで
反対側でしたので、白州邸が今のように観光化される前から知っております。
娘さんはなかなかのやり手で、今や観光バスで白州邸見学に多くの人がや
ってくるそうです。このようにしたのはその娘さんとその旦那様だそうです。
わが娘が白州邸の近くに住んでおりますが、入場料1,000円は高いな
と言っておりました。
柿生、鶴川、は新宿から近いわりには、未だ自然がいっぱい残っている良い所ですよ。(ロス在住読者の一人より)
<この本はkoreyjpさんも読まれた本だが、木庵も読んでみたい本である。白洲の娘さんのビジネス感覚が伝わってきた。木庵>
#2の反応
木庵さん

丸暗記は精神集中によいと岡先生も仰ってゐますから、小さいときはそれでよいとして、ある程度判断力が身についてきたら、自分の頭で考へるのがよいと思ひます。
今日、白洲氏の娘さん・牧山桂子さんの書いた『次郎と正子・娘が語る素顔の白洲家』を読み始めました。これがなかなか面白いのです。忘れかけてゐた昭和が、なつかしく思ひ出されました。 [ koreyjp ]
[ koreyjp ]さん、白洲は丸暗記の日本式教育になじめなかったぶん、英国式の教育、文化を礼賛することになったのでしょう。その意味でいくと、白洲は戦後のアメリカ式教育(問題解決学習教育)を良しとする先駆者になるわけで、そのあたりのところ、これから分析していきます。とても良い観点ありがとうございました。『次郎と正子・娘が語る素顔の白洲家』読み終えたら、内容をお知らせ下さい。木庵
#3の反応
こんばんは。
私は、ドラマも見ていませんし、まだ本も読んでいません。
新聞か何かの雑誌で、チラッとみただけのような気がします。
外国の人達に対等に向き合った、スマートでおしゃれな男、ということしか知りません。記事を読ませて貰って、貧しい家庭の人間とは考え方の基本が違っていたように感じます。同じ環境で育ちながら、兄尚蔵との生き方の違いは、幼い頃からの育て方にも関係があるのかもしれないと思いました。長男という立場は、今とは比べられないほどに、重責だったのではないでしょうか。母親の接し方さえも、次郎とは違っていたのかもしれません。

写真の左のおおきな葉っぱはアボガドですよね?実はこんな風に付くのですね〜。初めてみました。ありがとうございました(^−^)
kayomiさん、写真、左から柿、ぐみ、ざくろ枇杷です。雑然としていますが、生命力を感じませんか。やはり次郎は二男ということで甘やかされたところはあると思いますが、私の考えでは、長男が生真面目であったのは長男であったというより天性のものだと思います。ただ長男・尚蔵のことをどの本もあまり書いていないのですが、次郎のことを書くのに長男と比較すると、次郎がより理解できると私は思うのですが。木庵
ほんとですね!柿です。
思い込みって、間違います(笑)おハズカシ〜^^;kayomi
kayomiさん、自然農法#48で載せたバナナ、今日3個熟していました。友達にあげると喜んでいました。昨日はズッキーニーがとれ、これから野菜がたくさん収穫できるようになります。柿今年は、50個はなるだろうと期待しております。ぐみはまだ実をならしません。木庵
今日、『次郎と正子』を読み終へました。白洲次郎の性格を現すエピソードをこの本から紹介します。(P.84より)

「私(娘の桂子)が、学校の宿題などで辞書を引くのが面倒くさいときに英単語の意味を聞きますと、父(次郎)は英語を日本語に訳せないことがしばしばありました。例えば "book" の意味を問いますと、「本」とは答えず、「 book は book だ 」と頑張るのです。こりゃ駄目だと、私も諦めてしまいました。」(かっこ内koreyjp補足)

ここにあるのは、やや誇張して言へば、皮相的な解釈に満足せず、常に本質を見ようとする眼です。かういふ人だったからこそ、マッカーサーが米国製の憲法草案を押し付けてきたとき、「今に見ていろ、と秘かに涙す」と日記に書いたのでせう。 [ koreyjp ]
[ koreyjp ] さん、また面白い次郎の逸話を教えてください。常に本質を見ようした目の逸話が特にほしいですね。木庵
こんばんは!
楽しく拝見させていただいております。白洲次郎もですが、小さな畑で野菜を育てている身には植物、野菜に関する記事も気になるところです。時間をかけてゆっくり読ませていただきます。 ゆず
私は今、このコメントを、ベートーヴェンの「運命」を聴きながら書いてゐます。この曲は、戦死した父方の伯父が「とても美しいところがある」と好きだったさうです。『次郎と正子』には、勝ち負けの話がよくでてきます。例へば「父の火好き」といふ章の話です。「父の火好きはその後も変らず、鶴川や軽井沢の庭の隅に焼却炉を据え、家中の紙屑を燃やすのを日課としていました。ある時は請求書の封筒に自分でお金を入れたものを、ゴミと一緒に焼却炉につっこんで出かけてしまい、(中略)また父は、勝ち誇った妻の非難を聞く羽目になりました。
ある日、母が水上勉氏から、火を燃やすのが好きな男は助平だという話を聞いて来て、また例の顔で、「次郎さん、あんたは助平よ」と言いますと、父はやったとばかりに報復の矢を射ました。「助平じゃない男など世の中に居るものか」。この勝負は父に軍配があがりました。白洲次郎小林秀雄と親交がありました。お互ひ、向う気の強いところがウマがあったのでせうか。この有名な評論家は、勝ち負けにこだはることで知られてゐます。たとへば、「ランボオ」?には、
「僕が、はじめてランボオに出くはしたのは、廿三歳の春であった。そのとき、僕は、神田をぶらぶらと歩いてゐた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男がいきなり僕を叩きのめしたのである」と、このやうな書き方をしてゐます。小林や白洲の場合は特にさうですが、しかし考へてみると、戦前までの日本人は、全てのことを、全ての理非曲直を、勝ち負けといふ概念で捉へてゐたと言へます。真剣に闘へば闘ふほど、勝負を意識する。それは単純ですが極めて判り易いことでした。ところが日本が戦争に負けると、勝ち負けの概念そのものを否定する風潮が生まれました。大体、敗戦と言はず終戦といふ事からして、負けたといふ事実を隠蔽する偽善であります。昭和が過ぎて、平成の御世になってから廿年を閲して、日本はシナや朝鮮からの反日思想の洪水に見舞はれるといふ情けない状態が続いてゐます。このことは、明日を担ふ青少年の心に、隠微な悪影響を及ぼしてゐます。このやうなご時勢にあり、白洲次郎が見直されるのも、故なしとしないのです。 [ koreyjp ]
< [ koreyjp ]さんのコメントはこれだけで、深い文化論になっている。この文化論に対しての木庵の反応は#6で書く。木庵>
つづく