白洲次郎論#6

白洲次郎小林秀雄と親交があったことは興味がある。小林秀雄の娘(息子かもしれない)と白洲の息子(娘か?)が結婚している。要するに親戚なのである。 [ koreyjp ]さんも書いておられるように、二人はお互い、向う気の強いところがウマがあったようである。小林は次郎の妻・正子の文学における師匠でもあり、正子は小林から薫陶を受けたようである。次郎、正子ともに小林との関係があることから、次郎研究のため、木庵は今小林の本を読んでいる。文学とは縁のない白洲と、文学、批評の神様小林との間にどのような引き付けあいがあったのだろうか、興味のあるところである。小林秀雄について、木庵が大学時代、父親の勧めもあり読もうとしたが、本は2,3冊買って読み始めたものの難しすぎて、結局分らずじまいで投げ出してしまった。大学時代から相当の年月を重ね、国語力もついたのか、今は小林の文章を何とか理解できる。もっと先で告白する予定であったが、白洲次郎論が終わってからか、途中で小林秀雄論を展開しようと思っている。小林文学における、うっすらとした考えが今木庵の頭の中で徘徊しているが、何か書けそうである。

   [ koreyjp ]さんも指摘されているように、戦前の人間は勝つか負けるかといういたって判り易い判断基準で考える傾向があった。ある意味で人間の本質に根ざした心理作用であろう。木庵が現在のアメリカ人と接して、彼らもこの勝ち負けが大きな意味を持っていることを感じる。それに対して、戦後の日本人の頭脳構造は白黒をはっきりすることを軽薄であるとか、正しくないとかいうように変わってしまったようである。勘ぐって考えれば、物事をクレアーに理解できないように誰かが仕組んだようにさえ思う。忍者が煙を噴射して相手を誑(たぶら)かす、混乱させるような仕打ちを受けているように思う。ようするにありのままにものが見えないようにされているのである。霧の中でものが見えない現代日本人がより見えるようになるには、小林秀雄白州次郎の世界を覗く必要があるのかもしれない。ところで、小林秀雄の文章は難しいが彼の生き様は判り易い。彼の判り易い人間性を次の逸話は語っている。戦争に負けたとき、小林は言っている。「多くの日本人は戦争に負けた後反省したが、俺は頭が悪いから反省などしない」。小林秀雄にとって大東亜戦争は勝つと心から思っていたし、負けても反省などしない。戦後ある程度の年月の間は、判り易い戦前型日本人がまだいくらか生き残り活躍もしていた。ところが、戦後60年経った現在、果たして、小林や白洲のような戦前型人間(?)が生存しているのであろうか。近頃の白洲次郎ブームは戦前人間の懐古なのだろうか、ただ単なる、遺物としての戦前人間の展示なのだろうか。現在の日本人が煙の中で生息しているとするなら、果たして小林や白洲の世界に辿り着くことが出来るのだろうか。

   先ごろ、『朝まで生テレビ』を観た。田母神氏を中心に日本の防衛問題について議論していた。出席者の中で一番明瞭な意見をもつ田母神が、曇ったあいまいな意見を持つ国会議員、学者、ジャーナリスト、司会の田原総一郎氏に押し切られていた。議論をするときに白黒をはっきりするとよくわかるのだが、田原は、灰色の議論を持ち出していた。実際は他の人たちの介入があり、議論は複雑だったのだが、より判り易くするために、内容を変えずに、議論の様相を二人の対話形式にする。

田母神:「日本が戦争したのは、アメリカ、イギリスの侵略主義に対する防衛戦争であった」
田原:「自分はハト派でもタカ派でもない。田母神氏が今回の戦争が侵略戦争でないというのはそれでよい。侵略戦争であったか侵略戦争でなかったかどうかはどちらでも言えるからだ。ところで、負ける戦争をなぜしたか、それが問題なのだ。そこを田母神氏に聞きたい」
田母神:「ハルノートを突きつけられ、戦争するしか仕方がないように締め付けられたからだ」
田原:「でも負けただろう。負けたということは悪い戦争ではないか。そのような悪い戦争をしたのは、戦略がなかったからだ」
田母神:「しかし、その選択しか方法がなかったのだ。戦争を回避する方法があったのだろうか。もし、日本が戦争をしていなければ今は奴隷になっている」
田原:「それは玉砕思想だ。つまり負けると判っていながらなぜ戦争をしたかが問題である。日本がアメリカやイギリスにではなくドイツと結びついたのが問題なのだ」

  この議論の最初に田原は自分は「ハト派でもタカ派でもない」と灰色宣言をしている。「侵略戦争侵略戦争でないかのどちらでもよい」という発言も灰色宣言である。ただ、戦争に負けたのが悪であり、日本がドイツの組んだのが悪であると、ようやく白黒議論をし出しているようだが、これも白黒がはっきりできない灰色宣言である。田原という人物は、時代の動きに敏感で、田母神の意見が日本国民に大分受け入れられるようになったのを敏感に感じ取り、いくらか田母神理論を受け入れながら、その欠陥を指摘し、斬新さを売り物にしようとしている。ここで大事なことは、田原が言う、日本がアメリカやイギリスと同盟を結ぶのではなくドイツとなぜ結ばなかったという考え方は田原の独創的なものではない。戦後よくもてはやされた考えである。それより、戦前から白洲次郎が力説していた論点であったのだ。後で触れるが、白洲や白洲を弟分にように使った吉田茂は戦前、戦中、英米派であった。現に彼らは英米との戦争を回避するために命がけで戦った。小林秀雄はおそらくドイツ派というより、当時の鬼畜米英の流れの中にいた人物であろう。何はともあれ、吉田、白洲、小林は考え方は違っても白黒のはっきりした人物であった。それに対して、田原は時流に流される、白黒をはっきりすることができない灰色論客なのである。しかも、「朝まで・・」に登場した人たちは灰色でありしかも色の薄い灰色論客たちである。田母神を除いて。彼らの語っている内容に注目しながら同時に表情も観察していた。ある人物などは、「日本を守るためには、平和憲法しかない」とか、「今6カ国協議で北に核をもたせないようにしているのに、なぜいま 日本が保有国になる必要があるのか」などのピンボケの議論をする人もいた。そのようなことを言う人物の顔はどことなくバカ面に見えるのは木庵の偏見であろうか。ぬるま湯につかった人生を歩んでいるから顔にもそれが出ているのである。しかしこの程度の人間が大きな顔をして全国ネットのテレビに出てきているということは、彼たちを支持する人間が多いということである。また彼たちの言うことの幼稚さを見抜けない視聴者が多いということである。もしこの番組に小林秀雄白洲次郎が登場するなら、どのようなことを言うであろうか。木庵の妄想を膨らませてみよう。

まず小林秀雄に登場してもらおう。

「戦争が終わって、60年経って、ドイツについたのが悪かったかどうか何をほざいている。当時、ドイツが一番強いと思ったんだ。アメリカやイギリスなどくそくらえだったんだ、特にアメリカは映画をつくったり、物質文明かどうかしらないが、へなへなしてこいつら日本の大和魂とは合わない人種だと思ったんだ。どこかずる賢くて、竹を割ったところがない奴らだよ。こいつらとなぜ仲間なんかになれるか。それに対してドイツ人は勤勉で日本人と気質が合うところがあるんだ。資本主義への乗り遅れも日本と似ている。ドイツ人もヨーロッパ人だから本質的には信用できないが、イギリス人やアメリカ人に比べればましだと思ったんだ。俺はどちらかというと政治に疎く、文学に集中していたので、その点では日本の大衆と同じレベルであったことを認めるが、それがなぜ悪い。この度の戦争も結局軍部が悪い、政治家が悪いと戦後になってほざいているが、結局は日本人全員の総意で戦争をしたのだ。戦争をしなければ日本が滅びると思ったからだ。結果は無残な敗北であったが、よく頑張ったと思うよ。もし戦っていなければ田母神君が言っているように、日本人はアメリカやイギリスの奴隷になっていただろうな。男らしく戦ったから、敵も恐れをなして、敬意を払うようになっただろう。」

次に白洲次郎はどう言うだろうか。

「田母神君は『戦争回避の道はなかった』と言っているが、私や吉田の親父さんは必死になってドイツに組することが如何に無謀であるかを軍部や政治家に説き、陰でも動いたが、駄目であった。我々のような米英派は少数派であったからな。でも考えてみれば、戦争なんてものは我々のような良識派がいくら頑張ってもどうすることができないところがあるんだ。ただ言えることは、当時、私や吉田の親父さんのような人間が少なくとも2倍いれば、戦争を回避することが出来ただろう。それも、日本がアメリカやイギリスにつくことによって、戦勝国になる可能性もあったのだ。その当時のことを振り返ると、今でも悔しい思いをするんだ。

木庵の勝手な妄想、読者の皆さんはどう思われただろうか。小林の言い方はヤクザ調で、小林崇拝者から叱責されるだろう。#7では、次郎のケンブリッジから帰国の後を辿る。
つづく