自然農法(わら一本の革命)#15(特別編、岡潔論#2)

自然農法(わら一本の革命)#15(特別編、岡潔論#2)

<Dr.Sからメールを頂いた。木庵は記事をブログとして一般公開しているのと、トピックスによっては木庵の知り合いにメールで送っている。Dr.Sは後者のケースである。二人のやり取り(Dr.Sの岡潔への感想も含めて)を紹介し、岡潔論を進めていく。木庵>

Dr.S

先生からのメール一部、私のブログに使わせて頂いてもよいでしょうか、もちろんDr.Sと匿名で書きますが。それにアメリカの研究機関で研究をなされたというところを書きたいのですが、本当のところ先生のキャリヤについてはよく分かっておりません。宜しかったら、簡単に会社名とか大学名は結構ですので、どのような方面の研究をなされていたのか教えてだけませんか。
木庵より

木庵先生
私はBiochemist で Medical Science (医科学)分野の研究に携わってきました。
1989年カリフォルニア大学アーバイン校キャンパス内にバイオメディカルの研究所(Hitachi Chemical Research Center)を設立するため渡米、1990年開所1997年まで所長、会長を務め退職、その後顧問。 この研究所では遺伝子関連の研究を中心にやっています。ここでは研究そのものは研究者がやりますので私が直接手をだすことはありませんでしたが。

取り急ぎ回答させて頂きます。

Sより <大学名を書いていただいたので、そのまま書かせていただいた。木庵>

木庵先生

日頃、貴重なご意見や資料をお送り頂き有り難うございます。

今回は岡潔先生に関する文章をお送り頂き早速拝読させて頂きました。

私にとりまして岡潔先生との出会いは、私の人生に大きな何かを植え付けられたという思いを今なお抱いています。
と言いましても岡先生との直接の出会いは、私が20代のとき(正確な年月は憶えていません)岡先生の講演を聴きに行った一度のことです。
しかし、その時の岡先生のお言葉と姿は今なお脳裏に焼き付いています。
「西洋の文化は五感の文化である、それに対して東洋とくに日本の文化は六感の文化である。その違いは非常に大きく、日本人はその六感が与えられている希少の民族である。日本人は世界をリードしていく役割を担っていて、それが出来る力を持っている。日本人はそのことをもっともっと自覚しなければいけない。」
と壇上から切々と説かれる姿には悲壮感すら感じられました。
その後、日本は高度経済成長期に突入、岡先生の説かれた日本人としての自覚はだんだん薄れていったと思われます。
日本人は今こそ岡先生の説かれる日本人としての自覚を取り戻す必要があります。
その為には日本の教育を根本的に考え直す必要があると考えます。

木庵先生に期待するところ大です。

Sより

アメリカで時代の最先端の遺伝子関係研究所の設置にやってこられたDr.S。先生が若いとき、岡潔の影響を受けられたことに興味を持つ。それも一度の岡の講演に触発されたとは岡潔の感化力も凄いが、それを深く感じられたDrSの感受性も凄いものがあると思う。「日本の文化は六感の文化である」ということ。科学とは五感を基礎とした観察を通して、自然のなぞを解くものであるが、それを岡潔は第六感が大事であることをあえて言っている。これは数学の発見とも共通するのだろう。#1で述べた、九州大学准教授高瀬正仁氏の岡への評価として、「真に優れた数学者は、無から問題を造形することが生涯をかけるテーマである。岡は造形に挑み成功した世界でも数少ない数学者のひとり」というように、無から造形をえるには、五感だけでは不十分なのだろう。五感を研ぎ澄まし、それを越えるものがないと、新しい発見にまで至らないのだろう。第六感とは表現の仕方で、情緒と置き換えても良いのだろう。Dr.Sは「日本人としての自覚がだんだん薄れ、それを取り戻す必要があること」を述べられている。それも「日本の教育を根本的に考え直す必要がある」と強調なされている。これも#1で述べたように、「岡先生が情緒の重要性を講演して、それを聴いた人は理解はするのだがリアクションが伴わなかった」と嘆いておられたが、ぼつぼつ行動を起こすときが来ているようである。少なくとも岡潔の説かれたことはどういうことだったのか理解しなければならない。[ koreyjp ]さんの反応も踏まえて考えていこう。
木庵さん
もう着きましたか。やはり岡先生は私たちの心のふるさとですね。今これから出勤しますので、帰ってからまたゆっくり書きます。今日は爽やかなよい天気です。
2009/4/27(月) 午前 6:54 [ koreyjp ]
岡先生は言はれました。スミレの花が咲いてゐる。これは「スミレ」といふ花だと思ふのは、知性の力である。ああ、いいなあ、と感ずる心、それが情緒であると。私も昭和20年代、30年代を生きてきて、まだまだ戦前の情緒が残ってゐる時代であったと記憶してゐます。それは子守唄を歌う世代と重なってゐるのかもしれません。子供は保育園に預けられて、テレビに子守をされて、情緒が育つ訳がありません。お母さんにだっこされて、おんぶされて、肉声で子守唄を歌ってもらい、その響きを体で感じて、初めて情緒が育つのです。
2009/4/27(月) 午後 11:16 [ koreyjp ]
しかしアメリカ人だって、情緒が分る人もゐます。私は大学生の頃、アメリカから日本にホームステイにやってくる高校生の留学生のオリエンテーションを手伝ひました。主に日本語を教へるのですが、「懐かしさの情緒」を一所懸命に説明しました。そして彼らが1年経ってアメリカへ帰る前に、テレビに出て日本の感想を話しました。一人の女の子が言ひました。「日本のお母さんはなつかしい」と。
私は、日本の情緒が世界を救ふ日が必ず来ると思ひます。
2009/4/27(月) 午後 11:25 [ koreyjp ]
<情緒というとアメリカ人にはなかなか理解できないところがある。木庵は20年以上アメリカ人の弁護士に日本語を教えている。彼は日本で1年半日本語を勉強したので、喋る、読み、書きはほとんど問題がないが、キリスト教文明に育った彼にとって日本文化はなか理解しにくいようである。たとえ10年来日本企業の顧問弁護士をして、毎日のように日本人と接していても日本の文化の底に流れるものが分かりにくいのだそうだ。木庵との勉強は主に木庵が書いた日本文化論のようなものが教材になるのだが、毎回「興味のある話であった」と感動してくれる。日本文化があまりにもアメリカ文化と違っていること、いつも接する日本人は良い人なのだが、日本文化の背景について説明してくれる人が少ないので木庵の説明に「目からうろこ」のように新鮮に感動してくれる。彼の反応を見ていると、やはりアメリカ人も情緒を求めていることが分かる。先日も[ koreyjp ]氏が送ってくださった明治天皇の玄孫である竹田氏の講演の内容について説明したが、「是非、日本の皇室についてもっと教えてくれ」と言われた。[ koreyjp ]氏はカセットを送ってくださったが、それをもうCDにしたので、今度会うとき(2週間に一度)、それをあげることにする。皇室といえば日本の情緒を一番自然に表現される家族であると思う。日本人が抱く情緒とは長い歴史によって培われたもので、歴史の浅いアメリカでは、羨ましくて仕方がないものなのである。日本は戦争に負けて、この一番大事な情緒をなくしてしまうとなれば、日本が日本でなくなってしまう。だからこそ、[ koreyjp ]氏のいう、「やはり、これからの日本、そして世界も、岡先生一本でいかなければ駄目な様子になってきました」という認識が一番正しいと思うのである。木庵>
つづく