自然農法(わら一本の革命)#13

自然農法(わら一本の革命)#13四章 誰にもやれる楽しい農法(世界が注目する日本の自然農法)
「麦刈りの手を休めて腰下ろしているとき、私は青年たちに話しかけました。『君たちが手をついている手のひらの下に、何匹ぐらい虫がいるか数えてみないかな』 皆んな、土に顔をつけ、目を皿のようにして数えだしました。『手のひらの下、約十平方センチに、百匹ぐらいかな・・・歩き廻るので分からない』『二百匹以上もいるよ、数えきれないよ・・・驚いたな』『どんな虫が・・・』『アリなんかだ』『アリじゃないよ、こりゃクモの子だよ』『ハリガネムシ、ゾウリムシ、トビムシ、ハサミムシ、アザミウマ、ウンカ等いろんな虫がいるだろうが、一番多いのは、クモの子だろう』『すごい虫の数だな。・・・隣の田はどうだろう。・・・やっぱりきれいに田鋤きした田には殆どいない』・・・ごらんなさい、この大地と青空の下で、発散させている麦のこのエネルギーを、圧倒されるでしょう。反(10アール)あたり10俵以上出来ていますよ。この麦の足もとをかきわけてみてください。麦の足元にはクローバーが生い茂り、ハコベやスズメノテッポウなどの雑草も、ちらほら混じって生えています。そしてそのクローバーの下には、昨秋播いた稲わらが、よく腐熟した堆肥のようになっているでしょう。麦があり草があり、堆肥があるから、いろんな虫が、うようよするほど生活できるのですよ。これが自然の姿です。・・・もう一つこの麦田の中には大切なことがあります。よく見てください。土の中に播かれた粘土団子から、稲苗が2,3センチに芽を出しているのが見えるでしょう。結局これはどういうことになっているのかと言いますと、米麦が同時に混植さえているわけです。・・・秋のまだ稲がある内に、十月上旬頃ですが、稲の頭からクローバーの種を十アール当たり五百グラムほど播いて、つづいて十月中旬に麦種(早生の日之出種、六〜十キログラム』をばら播きします。普通、稲刈りの二週間ほど前に播いておきますと、稲を刈るときに、クローバーも麦も2〜3センチ以上にのびておればよいのです。麦踏をしながら稲刈りをすることになりますが、脱穀がすんで、出来た稲わらは、長いそのままで、田全面に振り播きます。その前後に、十一月中旬以降がよいのですが、稲の籾種(六〜十キログラム)を、粘土団子にして播いておきます。その後で乾燥鶏糞をアール当たり二十〜四十キログラム散布しておけば、種播きは終わりです。籾は正月前に播くと、そのままでは鼠や鳥のえさになったり、腐ったりしますので、粘土団子にするわけです。粘土団子は、粘土に籾をまぜ、水を入れて練り、金網からおしだして半日乾かしてから、一センチ大の団子にするか、水に湿した籾に粘土の粉をふりかけながら、回転させて団子を造る。5月の麦刈りの時は、稲の苗を踏みますが、やがて回復します。麦刈り、脱穀がすめば、そのとき出来た麦わらを、長いままで、田全面に振り播きます。クローバーの繁茂が激しくて、稲苗が負けるときは、四、五日か一週間、田に水を湛めて、クローバーの生育を抑制します。元肥の鶏糞は麦のときと同じです。六〜七月はあまり水をかけず、八月以降、時々走り水をかける無滞水(一週間に一度ぐらいの走り水でもよい)にして、稔りの秋を迎える分けです。・・・こんな簡単な方法にしぼるまでに、私は四十年間費やしたのです。無手勝流の農法になっていますが、無手勝流は、一番簡単だが一番難しいものでもあります。一番きびしい農法と言ってよいと思います。」

<土の中にこれほどの生き物がいることは驚きである。土とは凄い生命力がある。木庵は引越しの度に開墾したことを述べた。引越しした所にもよるが、ロスは一般的に粘土質である。そのままの土地では、粘土質の土地が水と混ぜりあってコンクリートのように硬くなる。畑用の土を売っているが、そのようなもの買うと高くつくので、木庵は近所の人が捨てる、枯葉とか芝生を刈った葉っぱをもらってきて、畑にばら撒いていた。ロスは夏には相当暑くなり、野菜のまわりに播くと水分の蒸発を防いでくれるのと、直射日光の暑さを直接土に当たるのを防いでくれる。その量は相当である。落ち葉や緑の葉っぱの上に水をかけると、夏場であると一週間ほどでそれらが腐り腐土になる。粘土質の土地もすぐに、保水性のある植物によさそうな土地になっていった。土の有機物の分解する力は凄い。腐土にはミミズが大量に発生して、ミミズトンネルを作ってくれる。ミミズぐらいしか見えないが、ミミズが排出した糞を媒介に多くのバクテリヤが発生し、植物に最高の温床を造っているのであろう。福岡氏のあみ出した粘土団子といい、米麦混植栽培、なかなか思いつくものではない。自然を真剣に見詰めた結果自然がこうしてくれと福岡氏に囁いたのだろう。木庵の場合、まだ農業が分からない。もっと自然の声を聞かなければならない。木庵>

自然農法の四大原則
「第一は、不耕作起(無耕転あるいは無中耕)です。・・・大地は、耕さなくても、自然に耕されて、年々地力が増大していくものだとの確信をもつからです。即ち、わざわざ人間が機械で耕転しなくても、植物の根や微生物が地中の動物の働きで、生物的、化学的耕転化が行われ、しかもそのほうが効果的あるからです。第二は、無肥料です。人間は自然を破壊し、放任すると、土地は年々やせていくし、また人間が下手な耕作をしたり、略奪農法をやると、当然土地はやせて、肥料を必要とする土壌になる。しかし本来の自然の土壌は、そこで動植物の生活環境が活発になればなるほど、肥沃化していくもので、作物は肥料で作るものだとの原則を捨て、土で作るもの、即ち無肥料栽培を原則とします。第三は、無農薬を原則とします。自然は常に完全なバランスをとっていて、人間が農薬を使わなければならないほどの病気とか害虫は発生しないものです。耕作法や施肥の不自然から病体の作物を作ったときのみ、自然が平衡を回復するための病虫害が発生し、消毒剤などが必要となるにすぎない。健全作物をつくることに努力する方が懸命であることは言うまでもないでしょう。第四は、無除草ということです。草は生えるべくして生えている。雑草も発生する理由があるということは、自然の中でも、何かに役立っているのです。またいつまでも、同一種の草が、土地を占有するわけでもない、時が来れば必ず交替する。原則として、草は草にまかしてよいのだが、少なくとも、人為的に機械や農薬で、殲滅作戦をとったりはしないで、草は草で制する、緑肥等で制御する方法をとる。この四原則について、もうちょっと説明を加えておきます。田畑を耕さないというと、誰でも、一時的なものだろうとか、原始農業だろうと思うようですが、山林の木は耕さなくて、肥料をやらなくても、年々成長していますが、この成長量を計算してみると、十アール当たり、ミカンだと二千キロ、米に換算すると十俵近くが、ただで出来ている勘定になるのです。自然の力は予想以上にあります。しかし、どこでもというわけにはゆかず、はげ山は、放置しておけば百年たってもやせた赤土で、一俵の米も出来ない。松の木を植え、雑草やクローバーを生やして、十年経ってみると、十センチの表土(黒土)が出来ていたことがあります。雑木山は杉山や檜山より土地が一番早く肥沃化します。杉や檜をつづけて植えると土がやせてしまうことは、山林家がよく経験することです。・・・この頃、松喰虫で、日本の松が激しい被害を受けています。・・松喰虫の害は、この頃の研究では、直接の虫害ではなく、松喰虫が媒介した線虫が、猛烈に松の幹の中に繁茂して、水道管が詰まったような状態で松が枯れるのだと言われていますが、だが、まだまだ真の原因が本当にわかったということではありません。・・・まだはっきりしませんが、黒線菌などが異常に発生したためと思えます。この害菌の発生は土壌微生物界の異変に出発するものでしょう。酸性の雨で土壌が強酸性になったことが引き金になっているようです。強酸と高温で松茸菌が死滅したことがきっかけになって、根が腐り始めたのかもしれません。こうなると何が原因やら結果やら皆目わからなくなる。線虫の餌になる微に寄生する微もいる。微を殺すヴィールスもいるとなると、線虫激発の出発点はどこにあるのか、自然の生物連鎖のどこから狂い始め、あらゆる方面に影響して、異常に松が枯れるという現象がおきたのだというしかなくなる。一種の公害病ともいえるでしょう。松茸菌が死に、幹に侵入した黒変病菌で松が衰弱し、弱り目に松喰虫がついただけで松が枯れ死んだとしか思えません。松が枯れた真因は何か、枯れたのが自然破壊なのか、自然復元だったのか、松が枯れた方が良いのか、悪いかすら分からないままで、下手な手出しをすると、更に大きな禍根の種を蒔くことにもなるので、私は今慎重に見守っているだけです。」

<松喰虫によって単純に松が枯れると思い、農薬で退治しようとするのが、自然を知らない人間の対処の仕方であるが。どこまでもその原因を多角的、総合的に探ろうとする福岡氏の態度は、科学を否定しているが、まさしく科学の態度であると皮肉にも思う。木庵>
つづく