自然農法(わら一本の革命)#5(特別編、傑女と安上がり人生の醍醐味 #1)

自然農法(わら一本の革命)#5(特別編、傑女と安上がり人生の醍醐味 #1)
   近頃、結構忙しかった。というのは、私の車が後ろの車に追突され、保険会社との交渉、新しい車(といっても中古車)の購入、修理と多くの時間を費やしたためである。ここまで書くと、木庵は大変な目に遭ったと同情してくださる方がいるだろうが、ご心配は無用である。大したこともなかったし、この事故を通して木庵は色々と興味のあることを学んだ。一言で言うと『安上がり人生の醍醐味』ということになるだろうか。読者の皆さんに、アメリカ生活、それも貧乏生活の一端を紹介するのも面白い材料だと思い、これからこの事件に関する四方山話を書いていく。
  では、交通事故の様子、保険会社との交渉、車の購入、修理と順序立てて、書いていく。なおタイトルに傑女とあるのは、今回の出来事に大いに貢献してくれた木庵のアパートの住民、アルハンドラさんのことである。
1) 交通事故の様子(過去の事故をも踏まえながら)
   3月18日午後3時15分、フリーウエーを走っていた。ロスでは3時頃から交通渋滞が始まる。しかし、車が完全に止まるということはめずらしい。その日完全な渋滞で車が動けない状態になっていた。おそらく前方で事故でもあったのだろう。警察車は渋滞をよそに路肩を通り私の車の横を通り過ぎた。別に緊急でもないのに警察車の特権である。しかし、前方右側にその警察車も止まった、路肩斜線がそこで切れていたためである。少し時間が過ぎたとき、『ガン』という音とともに衝撃が走った。よくあること、誰かが後ろからぶっつけたのだ。この程度ではバンパーが少し傷ついているぐらいだろうと思った。警察官が二人私の車の方にやって来た。警察官が一部始終を見ていたのである。「大丈夫ですか」「大したことはないと思います」「免許証と登録証を見せてください」「どのような状態か外に出て見てもよいですか」。アメリカでは警察官の指示なく勝手に車外に出れない。銃社会アメリカでは、警察官が急に銃で襲撃されることを警戒しているためである。外に出てビックリした。後ろのトランクが相当へこんでいた。トランクを開けることが出来ない。そのときに思った。「これじゃ今晩、フットネスセンターに行けないじゃないか。ロッカーの鍵が入っているバックがトランクの中にある」。馬鹿なことが頭に浮かぶものである。後で考えると座席からトランクの中のものは取り出せた。追突した車の運転手は太陽の光で前が見えなかったという。大型車であったため、ほんの少しの追突で大きな打撃を受けたのである。この程度の事故では驚かない。というのは今回を含めて5回事故に遭っているからである。ロスでは運転未熟者が多くて、よくぶつけてくるのである。といても私も一度ぶつけている。
   最初の事故は、中国人の女性が運転する車が一時エンジンが動かなくなり止まっている私の車の横を擦っていった。普通の人なら車に当たったと分かれば、すぐ止めるところを、この女性しつこく擦ったまま前進してきた。私の車はボロ車であるから少々傷つけられても問題はないが、相手は高級車、修理だけでも大変だと思った。自分が悪いのに、「何故こんなところに止めている」と興奮して抗議してきた。中国人の国民性なのだろうか。明らかに自分の過失と分かっていても相手のせいにする。このような事故で中国人一般を批判するのも木庵としてはお粗末な話であるが・・・。お互いの免許証番号、保険証番号、電話、住所の交換などをして、後は保険会社にまかせた。次の日に相手の保険会社から電話があり、保険会社の指定の所に行き、車のダメージを検査してもらった。検査官は私の車の状態を見て、その場で400ドルのチェックを切った。「この金で直しなさい」ということである。少々傷がついているが、元々ボロ車、外観を一向に気にしないので、車を直さず、その金で虫歯を治した。
  次の事故は私がぶっつけた。10年ほど訪れていない所から帰る途中、脇から来た車の横に私がぶつけたのである。私がストップせずに交差点を通り過ぎたためである。後で分かったのであるが、その交差点は私が止まらなければならないサインがあった。久しぶりに来たところで、そこが交差点であることが分からなかった。交差点は上り坂の頂上あたりのところにあり、周囲は住宅地帯で信号もついていない、サインは確かにあったが、道路わきの木の枝ぶりのため殆ど見えない状態であった。動転した。相手が相当のスピードを出していたので、私の車の突撃で相手の車のドアや前方車輪がひん曲がっていた。私の車も前が大破して運転不可能状態であった。相手の女性外傷はないが、心理的な衝撃で泣いている。大変なことをしでかしたと、頭が真っ白になった。周囲の住民が多く現れ、「私は見ていた。私が証人になる」と言う人までいた。彼等の視線は犯罪者を見るが如きものであった。警察車、救急車がすぐにやってきた。彼女は近くに住んでいるのであろう、主人らしき人がいつの間にか彼女の傍で介抱している。救急隊の人か彼女に「病院へ行きますか」と尋ねていたか、結局主人らしき人と家に帰っていった。彼女の車は牽引車がどこかに運んでいった。後は警察官がトリプルAという私が所属している緊急時に車を直してくれるとか車を運んでくれる会社に連絡してくれ、牽引車が私の車を私のアパートまで運んでくれた。私は車の保険に入っているが最低のもので、自分の車の補償はなく相手側だけカバーする。ということは、私の車を買い替えなければいけないことになる。それより、このような事故を起こせば保険金の支払いが急に上昇するだろうと覚悟した。後に保険会社の人の言うには、「事故の大小に拘わらず、ある一定の額だけ上がるだけ」だそうだ。結局大した額も上がらず、その後の処理も保険会社がやってくれた。私はただ事件の事情について、相手側の保険会社から電話でのインタビューを受けただけである。全て終わりと思ってから半年後ほどにしてから、私の保険会社から一通の手紙が送られてきた。「相手側が人身事故として裁判に訴えているので、裁判所に出頭することがあるかもしれない」という内容であった。結局はそういうこともなかった。私は自分の車を廃車処分にして、路上で売っている車を買うことにした。業者から買うと確かな車を手に入れることが出来るが、値段が高い。もちろん中古車の話をしているのである。車のことををよく知っている人を連れて車探しをした。2500ドルで手に入れた。業者を通すとおそらく4000ドルはする車である。よい買い物をしたことになる。
  3番目の事故が一番大きい。私が知り合いの家を訪問するために、右折しようとすると後ろから鋭いスピードでやってきた車に追突されたのである。私の車のスピードは低速であったが、相手は相当スピードが出ていた。追突されてから車は10メートルほど飛ばされた。後部座席に乗っていた犬は前に放り投げられた。この度の衝撃は相当であった。事故の音でかけつけた友人は警察に電話してくれたので、救急車や警察車がすぐにやってきた。後部が大破しているが、動くようである。「病院に行くか」と尋ねられたが、行くほどもないと判断して、相手の保険会社などの情報をお互いに交換した。友人はもしものために写真を何枚か撮ってくれた。相手側は動揺している。接近して情報交換をしているとき、少し酒の臭いがしたように思った。後で考えると彼は飲酒運転をしいたのは間違いない。私の右折サインを無視して突っ込んできたぐらいだから。「どうも相手は酒がはいているみたい」と友達に言うと、友達は現場検証に立ち会っていた警察官にそのことを言った。ところが、「そんなことがあるはずがない」と無視された。あとで、友達は警察署に直接抗議していたが、これも無視された。後部は大破しているが何とか動かせたので、アパートまで自分で運転して帰った。
   その後の相手側保険会社の対応の仕方は早かった。重大事故と判断したためであろう。保険会社の指定するボディーショップに車を運び、レンタカーを借り(もちろん保険会社の負担)、その車で保険会社のオフィスに行った。賠償交渉を私と係の人がやることとなった。首をやられているかもしれないので、カイロプラクチスの医者とも連絡しながら交渉が始まった。相手は弁護士を通そうが私が交渉しようが補償額は同じであると強気である。相手が提示してきたのは、車は廃棄処分として、4200ドル補償(最初は私の車の市場価値は3500ドルと査定していたが)する。それにカイロの治療代として1500ドルまでは出す。それに、賠償金として500ドルを支払うというものであった。カイロの医師に電話で相談すると、「弁護士を通せば、もっとおりるでしょう。でもそれで満足なさるならそれでもよいではないですか」という返事だった。弁護士を通して多くの賠償金を手に入れることに成功しても、きっと多くは弁護士の方に行ってしまうだろうから、保険会社の言うとおりにした。その決断をした背景のもう一つの理由は、2500ドルで買った車を2年乗って、4200ドルとはこれだけでも儲かっているからである。また、首も大したことがないと思ったからである。首は確かにダメージがあった。骨が少しずれていたので、治療に1ヶ月かかった。
つづく