自然農法(わら一本の革命)#1

自然農法(わら一本の革命)#1
  <いつも受動的な読書傾向にある木庵は、このたび『自然農法、わら一本の革命』という本を友人より借り読んだ。著者は福岡正信、発行所は株式会社春秋社(第一冊発行1983年5月30日)である。著者のことについて以前テレビ番組で観たことがある。色々な種類の種をいれた土団子をつくり、それをばら撒くだけで、ばら撒いた土地に一番適した種が発芽し成長していくという農法を開発した。福岡氏が砂漠を緑にすることに貢献しているというような番組であった。木庵のテレビを観た理解として、福岡氏の自然農法とは団子を作るだけで、後は一切人間の手を加えずに、収穫するというものであった。この本を読んで、大体の私の理解は当たっていたが、彼が米や麦まで作っていることを初めて知った。それよりも彼の哲学、宗教観に興味のあるところが多くあるので、これから著書を通して、福岡氏の考えを紹介しながら、彼の思想に木庵も絡まっていきたいと思う。木庵>

  序にかえて
 「地球的規模での砂漠化、緑の喪失が深刻化している中で、かつて風光明媚を謳われた日本列島の緑も、今、急速に枯渇しようとしている。しかし、それを憂うる者はあっても緑の喪失を惹起した根本原因を追求し撃破する者はいない。ただ結果のみを憂い、環境保護の視点から緑の保護対策をとなえる程度では、とうてい地上の緑を復活させることは出来ない。飛躍しすぎた言葉ととれようが、地球の砂漠化は、人間が神なる自然から離脱して、独りで生き発展しうると考えた奢りに出発するものであり、その業火(ごうか)が今、地球上のあらゆる生命を焼き亡ぼしつつある証(現象)だと言えるのである。生命とは、宇宙森羅万象、大自然そのものの合作品である。その意味(過去)と意志(未来)を知らないまま、自然の対立者となった人間は自らの手で自然を利用して、生命の糧、食物を作り、生きようとした。このときから人間は、自ら母なる大地に反逆し、これを破壊する悪魔への道を進んだのである。焼畑に始まる農業の発達、人欲に奉仕する農法の変遷、文明発達の歴史が、そのまま自然破壊の歴史となっているのも当然であろう。・・・自然破壊は、自然の生命と一体化した人間の生命の自殺行為であり、人間による神々の破壊、死を意味する。・・・先頭に立って自然を破壊してきた傲慢な人や耕人たちが、今反転して、森の守護人となり、緑を復活できるか否かにかかる。が、自然は本来人間の容喙(ようかい)を許さない。・・・自然農法とは、自然の意志をくみ、永遠の生命が保証されるエデンの花園の復活を夢みる農法である。しかし、私の自然農法への45年の道は、そのまま人間の復活をかける神への参道であったというよりは、自然から転落してゆく愚かな男の彷徨の過程でしかなかった。この書は、自然に還れるものなら還りたいと苦悩してきた一人の百姓のボヤキ記でしかない、百事を語るも、一事をも語りえず、何一つ残すことの出来なかった男の懺悔録である。」

 <最後の件がよい。「自然から転落してゆく愚かな男の彷徨の過程」「何一つ残すことの出来なかった男の懺悔録」。後で紹介するが、福岡氏は常識人とは程遠いある意味の狂人に属する人であろう。戦後日本人が歩んできた道とは逆の方向を歩んできて、それが偶然と言っては失礼だろうが、自然が本来持っている生命力を生かした農業を開発し、それに付属してと言ってもまた失礼だろうが、戦後の日本人が殆ど達しえなかった境地にまで達したのではないか。木庵自身も、日本社会が上向き現象を生じているときに、下向き人生を選択してきた。その意味でも福岡氏の生き方や考え方に非常に共鳴するところがある。木庵>

 自然農法
「自然農法の出発は、45年も前のことである。横浜税関植物検査課に勤め、植物病理の研究室で、顕微鏡をのぞいていた平凡な一青年が、なぜ、突然、人智を否定し、科学を否定する者に変身したのか・・・そのときのこと語る言葉もなく、伝えるすべもないが、とにかく、その時から、私は山に入り、無心、無為の生活を一途にめざしてきた。ただ生きてゆくための食糧を作って生きる百姓の道に入ったのである。自然農法という言葉も、当時、何気なくみたバイブルの中の一節「小鳥は、種を蒔かず、ただついばむのみ、何故人間のみが悩むか・・」という言葉から、自然に頭に浮かんだにすぎない。したがって自然農法はキリストが着想し、ガンジーが実践した農法とみてよい。真理は一つである。無の哲学に立脚するこの農法の最終目標が、絶対真理“空観”にあり、神への奉仕にあることはいうまでもない。」

 <木庵が日本での仕事を急に止め、アメリカに留学するに当たって、父が贈ってくれた言葉があった。「空の鳥を見よ。播かず、刈らず、倉に収めず。然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。」(マタイ伝6章26節)、「明日のことを思ひ煩ふな。明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦労は一日にて足れり。」(同34節)。アメリカで限られた金で勉学を続けなければならなかった当時、この言葉がどれほど励みになったか知れない。福岡氏は聖書の言葉を自然農法という観点から捉えていて、私との感じ方は違うのであるが、聖書の同じ箇所に触発されたという点で親しみを感じる。また、彼も木庵も仕事を止め、丸裸になったところも共通点であった。アメリカに留学とは格好がよさそうだけど、英語も出来ない、経済の基盤もない状況の中アメリカで勉強を続けることは、破滅行為であると周囲は思ったし、木庵自身もそう感じた。成功するなど夢にも思わない神風特攻であった。福岡氏も彼の決断をすることは崖を飛び降りるほどのものがあったと思う。両者とも破天荒の決断をしたことに共通点がある。木庵>

 一章  自然とは何か  無こそすべてだ
 「人間革命というのは、この、わら一本からでも起こせる、と私は信じております。・・・私は、百姓、40年近くやってまいりましたが、たとえば、田圃をごらんになって下さい。実は、この田圃は、この35年間、全く耕したことがない。科学肥料は全く使ったことがない。病虫害の消毒剤も使っていない。田も耕さず、草とりもしない、農薬も肥料も使わなくて、米と麦を毎年連続して作っているわけなんです。・・・一口に言えば、農機具もいらない、農薬も肥料もいらない、そして、やり方といえば、ただ稲を収穫したときに出来たわらを、その上にふりまいただけなんです。稲だって、やっぱりこの方法と同じです。この麦は5月20日頃刈る予定ですが、刈るその2週間ほど前に、麦の頭から籾をばらまいて、刈りとった麦の、その麦わらを、長いままで振りまいておく、ということなんです。まあ、麦作りと米作りとが、全く同じやり方である、ということがこの農法の一つの特徴かと思いますが、実はもう一つ、もっと簡単なやり方がありまして、よくごらんになったらわかりますが、この隣の田には、もう籾がまかれているんです。麦まきのときに、麦と籾とを一緒にまいている。つまり、正月が来る前にはもう、麦まきと籾まきがすんでいしまっているんです。さらに、よく観察された方はお気づきでしょうが、この田圃には、クローバーがまかれております。このクローバーは、麦まきをする前の10月上旬に、刈りとる前の稲の中にまかれたものです。順序から申しますと、この田圃には、十月上旬に、稲の中にクローバー(陸稲ではウマゴヤシ)をまき、中旬に麦をまき、下旬には稲を刈りとり、11月下旬に籾をまいて、稲わらを長いまま振りまいただけです。その結果が今ごらんになっている麦というわけです。ほんの一〜二人役で、米も麦も全部すませてしまっている。ここまできますと、もうこれ以上簡単な米麦作りは、おそらくないだろうということになってきます。これは全く、普通の農業技術といいますか、科学技術の農法というものを否定してしまっている。人間の知恵の所産である科学的な知識を、まるっきり捨て去ってるんです。人間が役にたつと思っている農機具とか、肥料、農薬、こういうものを一切使わない栽培方法ですから、これはもう人間の知恵と人間の行為というものを、真向から否定している、と言っても過言ではありません。少なくとも、それがなくても、それと同じ収穫、もしくはそれ以上の米麦ができる実践例が、今、皆さんの目の前にちゃんとあるんです。」
つづく