自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編#22

自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編#22
中国に関連する発言
野中は2008年4月17日、中国共産党中央対外連絡部部長王家瑞との会談の席でチベット問題に触れて「胡錦濤総書記をはじめ、中国政府の指導者は日本との関係発展を非常に重視している。チベット問題は中国の内政であり、われわれはこの問題を利用した オリンピック大会のボイコットと破壊に反対する」と発言している。
• 2008年12月13日、東京都内で市民団体が開催した「南京事件71周年集会」で、野中は1971年に後援会の人々と南京を訪れた際、日本軍兵士だったという1人が「女子供を百数十人も殺した」と告白したエピソードを紹介。野中は「非人間的な事態があったことを知ることができた」とし「国の将来を思う時、歴史に忠実でなければならない」と主張した。
<先日北朝鮮人工衛星と称してミサイルを発射した。日本国中が大騒ぎになっていたようだが、田母神氏はこのような状況に対してどのような認識をしているのであろうか。木庵>
同盟とは共に血を流すこと
「日米同盟も盤石ではない。憲法解釈によって『集団的自衛権』は行使できないとされているためだ。『戦争放棄』を定めた憲法九条はこうなっている。
第二章 戦争放棄
『第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力に行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』 
自衛隊は未だに『軍』とは呼ばれず、武力行使集団的自衛権も行使できないのは憲法解釈からきている。集団自衛権とは、簡単に言えば戦場で友軍としてお互いに助けあう行為である。日米安保条約にも国連憲章にもその権利が謳われているが、政府は日本国憲法で集団自衛権は、権利はあるが行使できないと解釈している。このため何が起きているかというと、日本海護衛艦と米軍艦が並んで航行中に、米軍艦が北朝鮮の攻撃を受けたときに、自衛隊は米軍艦を助けるために反撃するわけにはいかないのである。空でも同様である。米軍の輸送機が攻撃さえてもそばにいる日本の戦闘機は反撃できない。もちろん逆のケースなら米軍は直ちに反撃するだろう。米国に向けて大陸弾道弾が発射され、日本上空に指しかかっても日本が撃ち落とすことはできない。また、イラクへの陸上自衛隊の派遣でも集団的自衛権は認められていなかった。イラク派遣の自衛隊はオーストラリアやオランダに守ってもらって復興支援活動を行ったのだが、仮にオーストライアやオランダが攻撃されていても反撃する権利は与えられていなかったのである。日本国民が考えなくてはいけないのは、同盟とは『戦友感情』であり、『連帯感』だということである。換言すれば共に血を流すことでもある。これで本当に有事に日米同盟が機能するだろうか。米軍の大多数の兵士は、日本は集団的自衛権が行使できないなどということすら知らないから、もし自衛隊が米軍を見捨てる自体が発生すれば、日米同盟はその瞬間に瓦解することになるだろう。それと同時に考えておかなくてはならないのは、本来、国家というのは自分で自分の国を守る体制を持つことが重要だということである。自立をして足らざる部分を同盟で補うのだ。日本はここまで国防をアメリカに依存してきたが、今後一歩ずつ自立の方向に向かって手を打っていくことが必要である。もちろんこれは一挙には出来ない。十年、二十年あるいは三十年の永い歳月を必要とするかもしれない。しかし、在日米軍を少しずつ減らしてその肩代わりを日本が行う方向に行くべきだろう。今思いやり予算など米軍にかけている経費の半分でも自衛隊の強化に振り向ければよい。自分の国に他国の軍隊が駐留することは恥ずかしいことだとは思わなければならない。」
<九条を平和憲法の要であり守っていかなければならないという世論意見が強い。しかし世界のどこを探しても、交戦権を認めないという非現実的なことが書いてある憲法などない。たとえ永世中立国のスイスだって、強力な軍隊をもっていて、自衛のためには交戦権は認められている。それも専守防衛というようなあいまいなものでなく、敵が攻撃を仕掛けてくることが分かっていれば、敵ミサイル基地を攻撃できるはず。戦後60年経って、日本の国防は日本の責任の基で行う時代になっている。米軍への思いやり予算自衛隊の方に振り向けようとする考えは現実的な考えである。『戦友感情』とか『連帯感』という言葉を、野中氏の場合、中国や北朝鮮に向けているのであろうか。「同盟とは『共に血を流す』」と田母神氏が言えば、戦争経験者の野中氏は「日本は危険な方向に向かっている」とコメントするのだろうか。野中氏の唱える平和主義は「平和憲法」があるので効力を発揮しているのであろうか。「血を流す」ことは国防にとって避けては通れない定めである。ぼつぼつ日本人は平和ボケから脱して厳しい世界の現実情勢に目を向けるべきである。木庵>
国際関係は性悪説が前提
「もちろんアメリカは、日本の基地が自由に使える現状を変更したくはない。アメリカにとって大きな利益があるからだ。アメリカはお人好しで日本に駐留しているのではない。したがって、アメリカとしては日本が今後ともアメリカに依存する方向に手を打って来るであろう。その一つが、米国製の兵器を日本に購入させ、使わせることである。アメリカは先ず、日米が共通に使えるインターオペラビリティーが重要だと言って、日米ができるだけ共通の装備品を使うことを提案してくる。そうするとほとんどアメリカ産の兵器を使うことになる。インターオペラビリティーとは日本語で「相互運用性」と訳しているが、「アメリカ製品の使用」というのが適切な日本語訳かもしれない。もう一つは装備品のブラックボックス化である。これは防衛省アメリカ国防総省との間で締結される覚え書きで決められるのが、技術移転及び秘密保全の観点から、部品の相当部分がアメリカでのみ整備できるという契約である。ブラックボックス部分が故障しても、日本では修理できないのでアメリカに送って修理することになる。このため時間も経費も余分にかかり高いものにつく。これは装備品導入後、十年、二十年たっても続くことがあり、アメリカの会社が儲かる仕組みになっている。・・・・最もこのような懸念も、日本の武器輸出三原則が見直され、武器の輸出や国際共同開発が可能になれば、消えてゆくものである。今後経費節約の関係で先進諸国の武器共同開発は次第に増えていくに違いない。そうなれば日米の防衛関連会社の間で利益調整が行われることになる。現状の国の経由する製造分担、修理分担では、日本の国が弱い分だけ日本の会社が損をしている。戦闘機など大物の機種選定は、防衛省のみならず、他省庁も巻き込んで、国を挙げて頑張らないとアメリカには勝てない。二十一世紀に世界はどう動いていくのか予測することは極めて困難である。日米安全保障条約は我が国の安全にとって極めて重要であるが、国の守りをアメリカに依存していては、アメリカの国益に反する行動はできない。アメリカに振り回されないためには、日米同盟を前提として日本の力で日本を守れる体制がどうしても必要である。かつて竹島尖閣諸島などは日米安保の対象外だと語って更迭された駐日アメリカ大使がいたが、それが本音だったとしても不思議ではない。アメリカにとって「最も重要な二国間関係」と言われたのは、かつて日米関係のことだったが、今は同じ言葉が中国に対しても使われている。北朝鮮が核を持ち、中国が経済大国となるなかで、この先、米国の対日姿勢が変わることは充分に考えておかなくてはならない。国際関係は性悪説を前提としておくことが必要である。」
<日本人の多くは性善説を信じている。ところが外国人は性悪説を信じている。性悪説を信じる国民は、人間関係や国家関係が正義ではなく、力、暴力、悪によって踏みにじられた経験のある人々である。「人を見れば泥棒と思え、強奪者だと思え、殺人者と思え」というのが、荒れはてた諸外国の現実的歴史なのである。日本ほど、他人を信じ、お互いに助けあった歴史をもった国は世界にないであろう。四方を海に囲まれ、他国の侵略を殆ど受けなかった日本の特性である。そのような日本人気質をアメリカで暮らしていると実感する。平和国家の中で国家の優しい保護の下に育った日本人はお人好しであるので、国際舞台の荒波の中に入ると、簡単に他国の餌食になってしまうのである。木庵>
つづく