自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編#21

自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編#21
<#20に対する読者からの反応があった。まずそれを紹介する。
自分の専門外のことに論評する危険性が、よく分かりました。野中氏に対しては、反日売国政治家のイメージしかありませんでしたが、苦労人らしいよい政策も行っていたのですね。勉強になりました。ミケ
MIKE

こんにちわ、この政治家はおかしいですよ。
北朝鮮べったりだし、同和利権のうわさもあります。
それよりも国際音痴なのはどうしようもないですね。
秦さんについては、最近、フライングタイガースについてガセネタを流したみたいですね。僕もひっかかりました。
禅僧の話 夏目漱石の猫の中でメイテイが八木ドクセンをからかってツ・ボの禅僧のたとえを出してます(笑)
2009/4/9(木) 午後 8:45
木庵さん
私は学生時代、北鎌倉の円覚寺坐禅の修行をしたことがあります。当時の管長が朝比奈宗源老師でした。老師の指導は厳しい中にも温情溢れるものがありました。そして世界連邦や日本を守る会の運動にも熱心でした。
無文老師が栄養失調で口数が少なかったといふことは、私はよく判りません。高い境地にをられる方は、低次元の話など、どうでもよくなるといふことも考へられます。
岡潔先生が鈴木大拙師に会って、なにやら生意気な議論を吹っかけたら(岡先生ご自身の言葉です)「遠ければ遠し」と一言でやられた。まもなく、大拙師はうとうとと居眠りを始めた。
しかし岡先生が退出するときには、実に懐かしさうな笑顔で見送って下さった。その笑顔で岡先生は日本文化にひとつの悟りを得られたやうです。
野中といふ人は、苦労人で気配りも相当できた人かもしれませんが、保守の立場からみれば、散々煮え湯を飲まされた想ひが消えません。坐禅については、また改めてお話したいですね。
2009/4/10(金) 午前 0:41 [ koreyjp ]
  ヒロシ氏も指摘しているように、秦氏近頃少しズレているようである。学者も引き際が大事なのかもしれない。かつての自分が発掘した情報、それに肉づけした理論が、他人が発掘したより新しい情報、より精密な論法に対して、素直に敗色を認めることは、沽券にかかわるのだろう。一時代前威力を発揮した武器で最新の武器を持った敵と戦うように、古い理論で、新しい理論と戦っているように見える。過去の栄光だけでは、新しい時代には対応できない。
  野中広務氏は園部町議会議員(3期)、園部町長(2期)、京都府議会議員(3期)を務めた。京都府議の12年間は野党議員として与党共産党蜷川虎三革新府政と対峙した。7期28年間の革新府政の蜷川虎三知事引退によって、1978年に革新から府政を奪還した林田悠紀夫知事の下で京都府副知事を荒巻禎一(後、林田の後任の京都府知事)との府初の二人制で務める。その後中央政界入りし、幹事長にまで上り詰めた自民党郵政事業懇話会の会長を務め、「郵政族のドン」としても知られ、特定郵便局長会に強い影響力を持ったほか、地方自治の長い経験や自治相経験から、自治省(後の総務省)にも影響力を持っていた。小泉首相の郵政民政化には反対し、「抵抗勢力」と批判された。2003年10月政界を引退したが、小泉内閣を『非情の政治』と批判を行った。また、自身の軍隊体験から国防に関しては「ハト派」であり、憲法の改正にも反対の姿勢であり、多くの対立点を持つ小泉内閣に対して異を唱え続けた。
  「弱者に対する眼差し」は決して同情からではなく、生まれ育った環境の中で辛さ苦しみを共有する中で芽生え体に染み付いたもののようである。野中氏は京都府議会議員、京都府副知事時代に被差別部落出身であることを話したことがあった。しかし、地方政治家時代から部落解放同盟などとは一線を画しており、京都府議時代には蜷川府政の同和対策事業と部落解放同盟を「一般の人が理解をするものでなければ、新しい差別を呼び起こす」と厳しく批判している。また、京都府副知事時代には部落解放同盟幹部のいる席で「部落問題をダシにして利権あさりをしたり、あるいはそれによって政党の組織拡大の手段に使う人を憎みます。そういう運動を続ける限り、部落解放は閉ざされ、差別の再生産が繰り返されていくのであります」と発言したこともある。2008年8月24日、TBSのテレビ番組『時事放談』で「日本の不幸だと思っている。私個人としても、麻生総裁になったら、私は生命を賭けて国民に分かるようにしますよ」と発言している。また、同年9月29日、同じくTBSのニュース番組『NEWS23』のインタビューで麻生首相所信表明演説を厳しく批判し、同首相について「天敵ですよ。天敵です」と答えた。(ウイッキぺディア参照)
  野中氏は叩き上げの政治家であると断言できる。戦後の日本の政治の流れを大まかにみると、叩き上げ政治家と官僚出身、二世議員などの上流階級出身政治家の混住混戦政治体制(木庵が勝手に作った造語)であったと見るべきである。自民党はある特定のイデオロギーを共有する政党とは思えない。野中氏の考えを見ていくと、寧ろ社会党の議員ではないかと思うほどである。京都府議時代府政に君臨した蜷川共産党府政と比較すれば右であるが、自民の中では左に位置するであろう。野中の出生とも関係するのだろうが、彼には反権力主義が強いようである。そして彼の国家観は民意を反映したものでなければならないということに徹底している。政治力学的に言うと、上層階級と底辺階層において、前者が後者よい強い関係が安定した国家ということになる。その逆は、不安定な国家になる。野中氏の底辺の人たちへの思いやり政治を目指すことは間違っていない。それでこそ民主主義の根幹とするものである。ところが国家として、特に外交の場に立ったとき、国家の不安定要因は外敵の格好の餌食になる状況を与えることになる。底辺の人々のことを考えることはそれでよいのだが、その底辺の人々の無知なる政治への考えを助長し、他の国の餌食になるような要因を助長させることは、それがたとえ純粋な動機から出発しても国賊売国主義者と烙印を押されても仕方がない。それに底辺の人に焦点を絞り過ぎれば、革命思想とも結びつき、国家存立への危険思想ということになる。
  そう考えると、MIKE氏の言う野中氏を「反日売国政治家のイメージ」と捉えるのは正しい。特に北朝鮮、中国への野中氏の偏狭なまでの近づきは、両国の人々たちの底辺の人々たちへの純粋な思いとは裏腹に、やはり反日売国主義者と烙印を押さざるをえない。
北朝鮮に関連する発言 (ウイッキペディアによる)
• 「拉致疑惑があるから食糧は送るなとの意見は強いが、(北朝鮮とは)従軍慰安婦や植民地、強制連行があった。近くて近い国にしたい。日本はコメが余っているのに隣人を助けることができないのは恥ずかしい。壁を破ってでも食糧援助をすべきだと思って環境整備をしている」。
• 「隣国が困っているのに援助せず、心を通わせないで、拉致疑惑をはじめとする問題が解決するか」。
2000年3月、島根県での講演において、北朝鮮へのコメ支援に反対して拉致被害者家族が自民党前に座り込みをした事に対して「日本人の拉致問題を解決しないでコメ支援はけしからんと言うが、日本国内で一生懸命吠えていても横田めぐみさんは返ってこない」
中国に関連する発言 つづく