自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編#16

自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編#16
  これは最高裁まで争われ、控訴人には請求権がないということで、結果として請求は棄却されたが、村山氏は裁判の課程で村山談話の正当性をまったく説明できなかった。ちなみに、やはり諸橋氏が東京地検に告発した「河野談話」については、既に7年の時効が成立しているという回答だったと聞いている。」

社会党が嘗て行ったことが全て間違っていたとは言わない。労働者の権利を擁護し、健全な(?)労使関係に貢献したという見方もある。ところが、「日の丸・君が代自衛隊」を否定する政策をとったことは、売国政党と非難されても仕方がない。この非現実的な政党が現実的な政治の上で活躍できたのも、究極的に言えばGHQのお膳立てがあったためである。また、戦前の軍国主義への反動として平和憲法を守る、日の丸、君が代の名の下で戦争に突入(アメリカに誘導されたが)していったことへの反動としての社会党の誕生も理解できる。ところが、伝統文化を否定する政党が日本国のためになる考えを、政策を編み出すことなどできるはずがなかった。木庵の父は社会党支持で、父が活躍していた時代は、社会党自民党批判勢力であり、日本の政治の舞台で反自民というバランスとしての政党の意味があったのであろう。しかし、自民との連合により与党になり、村山談話を発表したことは、これほど国家の誇りと威信を傷つけることはなかった。国賊そのものである。また河野談話における国益の損傷も計りしれない。河野氏はまだ衆議院議長としてクソまじめな面を引っさげて、国民の前に現れている。彼の厚顔無恥さにはあきれるばかりである。村山談話が行われた背景について田母神氏は書いていたので、少し引用文が長くなった。木庵>

栗栖統幕議長解任の事情と田母神氏の解任の事情を田母神氏は比較している。
自衛隊、とりわけ制服と政治の伝統的な関係を示す上で象徴的な事件が、昭和53年(1978)年の栗栖弘臣統合幕僚会議議長による「超法規的行動」発言に対する政治の対応であった。この事件は自衛隊制服組のトップである栗栖統幕議長が週刊誌上で、『現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない。第一線部隊司令官が超法規的行動に出ることはありえる』と述べたことがきっかけだった。この発言がたちまち政治問題としてメディアに取り上げられたのだが、栗栖統幕議長は記者会見でも信念を譲らず、当時の金丸防衛庁長官によってシビリアンコントロールに反したとして解任されたのである」
<田母神氏の更迭事件と似ている。栗栖議長は法の不備を指摘しただけで更迭。田母神氏は政府の見解と違うことを論文で発表して更迭。栗栖議長が指摘したことは、25年後の平成15年(2003年)に有事法制として実現している。田母神氏の指摘の正しさも後の世に証明されるであろう。田母神氏は指摘している。栗栖議長が更迭されたとき、猪木正道氏は「いくら純真な動機からの発言でも誤解される公算が大きければ逆効果をもたらすだけ」と述べ、防衛問題の専門家かと見られていた源田実参院議員らも栗栖批判派に回った。時代時代の趨勢に逆行する発言や行動をとるべきときが時にはある。普段から偉そうなことを言っていても、ここだというときに、周囲の渦に巻き込まれてはっきりとした態度をとらなければ、真の義人と認められない。猪木氏にしても源田氏にしても、優秀な保守と思っていたが、田母神氏の指摘が正しければ、結局はただの人という評価を下さざるをえない。木庵>
<田母神氏は教育についても彼の自論を展開している。「教育は『強制』から始まる」。教育のシンポジームで、ある官公庁の偉い人が、「価値観が多様化しているから、制服着用がないほうがよい」と発言した。それに対して田母神氏は「もし多様化を認めると言うなら、学校の開始時間も朝からではなく、昼からも認めるとか無限に対象が広がってくる。制服が要らないというのは無秩序を認知する姿勢がどこかに隠れている。教える側にも逃げの姿勢が感じられる。集団生活にはやはり礼儀、秩序、団結などの徳目が必要だ。・・・中学生や高校生の教育には『強制』が絶対に必要である。自衛隊の教育が強制を元にして大きな成果を挙げている。・・・ものを学ぶ場合に『守破離』の段階を踏む。武道を学んでいる人が知っている言葉である。『守』とは、先ず先生の言う通りに実施する。『破』とは、教えられたことをマスターすると、それを基本に自分に最も合った型を模索する。『離』とは、最後は自分流を確立する。要するに最初は強制であるということ。
  『守破離』は教育の基本である。戦後の教育は『離破守』と逆のことをしている。子供の時に、まだ人格も出来ていない子供の個性を尊重するのだと、自由気ままにさせる。そのうちに子供はある程度自分にあったものがあるのではないかと思い出す。しかし、自我という枠組みの中から抜け出さないので、精神分裂を起こす。そこで教師や親は強制的な態度で臨むが、もはや手遅れ。他者と調和しない自分が自分だと思い、動物的な自分を自分である思い、人間としての尊厳性に目覚めることもなく一生を終えることになる。強制という鋳型の中にはめる。この人格否定作用によって、子供は自分の存在の限界を感じる、つまり自己否定というプロセスを通して、自分の外の世界、つまり他人や自然に合わせようとする。ちょっときざな言い方をすれば、一即他、他即一という、宇宙と一体になる自分を発見することになる。そのような一即他、他即一の教育を日本人は古からしてきたのである。それを戦後、自我教育によって、日本人が日本人でなくなっているのである。木庵>
第2章 国家に参考人として招致さえて
「委員会で最初から私は釘を刺された。北澤俊美委員長は冒頭、こんな発言をしたのである。『参考人に一言申し上げます。参考人の論文をめぐる問題を機に文民統制について国民の懸念が高まりそのあり方を問われる自体になっています。参考人に出席を求めたのは、国民の代表機関たる国家の場で政府に対し、この問題をただす一環として招致したものであり、決して本委員会は参考人の個人的な見解を表明する場ではありません。さらに本日の質疑者、答弁者に対して一言お願い致します。論文事案は制服組のトップが自衛隊の最高指揮監督権を有する内閣総理大臣の方針に反したことを公表するという驚愕の事案であり、政府の文民統制が機能していない証であります。文民統制の最後の砦が国会であります。昭和時代に文民統制が機能しなかった結果、国家が存亡の淵に立ったのは、忘れてはならない過去の過ちであります。存亡の淵に立った最初の一歩は、政府の方針に従わない軍人の出現とその軍人を統制できなかった政府、議会の弱体化でありました。国民の負託を受けた国会が後世の歴史の検証に耐えうる質疑をお願いする次第であります」
文民統制違反をしたという前提で、北澤委員長は田母神氏を牽制している。それも、彼の個人的見解を述べさせないとは、何のために招致であったのか。このような茶番劇が、国民の負託を受けた国会がおこなったことこそ、後世に恥を残したことになる。軍事の専門家が、時の政府と違った見解を述べることは、文民統制違反ではない。以前にも書いたが、軍事予算とか、戦争遂行するかどうかの決定は文民がおこなう。それぞれの作戦、それに軍隊を強固なものにするための訓練や、精神的指導は制服組の管轄である。強い軍隊にするためには、正しい歴史的認識が必要であると説き、それが政府の見解と違っても、何等文民統制に違反していない。田母神氏は国会で自由に喋れなかったぶん、今は自由の身、どんどん自分の考えを発表してもらいたい。特に、立法府憲法で保証している「言論の自由を侵した」ことを暴露すればよい。そして、不当に解雇した浜田防衛大臣、麻生総理大臣を後世にまで、バカ政治家として伝えていくべきである。彼たちは法律論で田母神氏を解雇したのではなく、中国、韓国の目を気にしただけである。つまり政治的妥協を行っただけである。この妥協が日本の議会制民主主義の歪みを露呈したことになった。田母神氏に文民統制の定義について喋らせるべきであった。もし、田母神氏が正常に発言できていたとすると、不当解雇であることを国民に知らしめることになったであろう。つまり、口封じをおこなったのである。このような茶番劇は少なくともアメリカやイギリスの議会ではないであろう。木庵>