号外、WBC、ワールド・クラシック。ベースボール決勝戦観戦記#2号外、WBC、ワールド・クラシック。ベースボール決勝戦観戦記#2

木庵に次のメールが届いていた。

「本日の韓国を破ってのWBC優勝は本当に痛快でした。日本人に勇気と自信をよみがえらせてくれた日本選手の頑張りに心から賛辞を送りたいと思います。
 しかしながら表彰式での小笠原選手の不遜な態度には心底腹が立ちました。君が代が流れて他の選手が胸に手をあてて日本国歌に敬意を表しているのに一人小笠原選手のみはガムをくちゃくちゃかんでいました。そのシーンが世界に放映されたのです。これほど世界に対して恥ずかしいことはありません。折角の優勝に汚点を残してしまいました。負けた韓国選手はきちっとマナーを守っており、表彰式では日本選手より彼らの方がよほど立派でした。
 国際大会での礼儀を知らず、日本国歌への「リスペクト」もない、まさに日本人の恥さらしです。小笠原選手に帰国次第厳重注意するよう日本プロ野球選手協会に抗議のメールを送りましょう。」

   <そういえば、小笠原選手、ガムをかんでいたようであるが、トップデッキからはそれほど気にはならなかった。しかし、選手の一挙手一投足は世界に映像として流れていることを考えれば小笠原選手の行動は、非難されるべきである。アメリカに住んでいる人間にとって、アメリカ国歌が演奏されているときは気を使う。胸に手を当て、国旗に敬意を表す。小笠原選手、日本にいるような感覚であったのだろう。恐らくこの行為を叩く日本のメディアはないであろう。それほど日本人には国歌とか国旗に対する感覚が鈍ってしまっているからである。
    ドジャーズ球場の日韓双方の人が相手国の国歌演奏のときに邪魔をするような行為はなかった。それはよかった。球場内でまた場外で両国の人がいがみ合うようなことも一切なかった。ただ自分のチームへの応援はすごかった。試合前、選手の紹介のとき、イチロウの名前が呼ばれたとき、韓国側の観客からブーイングが少しあったようであるが、それも気にならない。アメリカでは敵チームの特にスター選手に対するブーイングはあたりまえである。
   試合は日本チームが押し気味で、7回ぐらいであったかな、韓国4日本12と韓国の3倍の安打数を日本は誇っていながら、3対1と点数に余り差がなかった。その理由を原監督の采配のまずさと、木庵は決めつけている。その理由として、犠打をやりすぎ失敗が目立っていた。日本代表にまでになったような選手は長打者で、普段からバンドの練習などしていない。そのような選手に何故バンドなどさせるのか。それに名前を忘れたが、故障者の埋め合わせに一人補充選手がいた。彼は2日ほど前に急遽アメリカにやってきたという。だとすると、まだ時差ぼけで、体調はよくないはず。そのような選手を何故スタメンに選んだのか。現に彼は殆ど打てなかった。それに引き換え、韓国は少ない安打で効率よく点をとっていた。もう一つ、原監督に采配力を疑うことがある。最後の抑えに、ダルビッシュを起用したことだ。友達によれば、ダルビッシュは最初乱れるのだそうだ。現にボールが先行し観る者をひやひやさせた。もう優勝が決まり、セレモニーと思っていたのに、打たれ同点となってしまった。
   延長10回表、日本は1、3塁に打者を進めてイチロウという場面であった。韓国のピッチャー、名前は忘れたというより、韓国名などわからない。リーとかパクという名前なら少しは記憶に残るのだが、分からない発音の名前であった。現在ヤクルトの抑えのピッチャーらしい。これも友達から聞いたところによると以前メジャーにもいたという。普通ならイチロウを敬遠するところだ。1点とられようが、2点取られようが、韓国にとって同じこと。イチロウを歩かせて、満塁にしたほうが守りやすい。ところが、韓国の投手、勝負にでてきた。恐らく、ボールに逸れるような玉で勝負しようと考えたのだろう。一塁走者岩村も盗塁しようとしない。盗塁すれば、イチロウを敬遠する可能性が高いとみたのだろう。ところが、敬遠せずと判断した岩村は結局盗塁した。この状態でも投手はイチロウと勝負していた。このあたりが爽やかというか、韓国にすれば作戦ミスということになる。決勝までイチロウはあまり活躍していなく、日本では批判の声が上がっていたという(これも友達の話)。ところが決勝戦はよく当たっていた。特に彼のスクイズは見事であった。他の日本の選手のスクイズのまずさに比べると、イチロウのスクイズは芸術的と表現してもよいであろう。それも自分も生きている。このような小細工だけの選手でもない。一つライトオーバーの二塁打も打っている。打球も早い。その早い打球がフェンスに当たる頃には、もうイチロウは一塁ベースを蹴っていた。守備においても、見事であった。結果的に相手を殺すことができなかったが、木庵の目には、これも芸術と映った。イチロウの頭を越したボールがフェンスに当たり、それがリバンドしたのをグローブにおさめ、素早く二塁に投げた。動きに一切の無駄がなく、投球も一寸の狂いもなかった。そのイチロウがバッターボックス。ツウストライクと追い込まれた。ピッチャーは執拗にきわどいコースを投げてくる。イチロウはファールで逃げる。5つぐらいファウルしたであろうか。ツースリ、アメリカ流に言うと、スリーツウ、センター前にはじき飛ばした。「ヤッター」、友達も私の近くの日本人も総立ちになった。木庵は立ちはしなかったが、このゲームで最初の興奮状態になった。そして、少し離れたところで応援している韓国応援の表情を見るほどの、冷静さもいくらか残していた。
   試合が始まってから、留学生か、アメリカ生まれなのか、数人の若者韓国人が、上半身裸になりだした。体にKoreaとペイントしている。彼らは、韓国で兵役を終えた人間には見えない。筋肉を鍛えたあとがない。どちらかというと、体育系の学生でもない。ごく普通の虚弱な体格の学生たちである。Korea



とペイントしていなければ日本の若者にも見える。彼等は、ゲームの最初から最後まで裸で通す覚悟であろう。ゲームが日本のペースで運ばれているので、彼等のパーフォーマンスはそれほど目立たない。球場全体の応援の歓声は韓国側の方が大きい。しかし、前半戦で韓国の選手がソロホームランを打ったときぐらいしか盛り上がりがなかった。8,9回、ようやく韓国側の声援は最高潮に達した。9回裏に同点にされたところで、木庵は「日本もこれまで」と殆ど諦めかけた。接戦のときは精神力がものをいう。優勝すれば兵役が免除されるとすれば必死だろうと木庵は思った。友達の解説によると、今回たとえ優勝しても兵役は免除されないという。「でも本当に優勝すれば、免除されるだろうと」とも解説してくれた。そこで木庵は今考えた。韓国チームの殆どは北京オリンピックのメンバーだろう。そうだとすると、北京で金メダル獲得、兵役免状も確定しているはず。ということは、それほど必死になる必要がないということになる。そういえば優勝を逃したときも、わりとあっさりした反応であった。優勝セレモニーでも悔しさを露骨に表すような選手もいなかった。日本の勝利を冷静に祝福していた。 
   10年ほど前、日韓米高校野球の試合が夏の甲子園のあと、日本の選抜チーム、韓国の選抜チーム、それにカリフォルニア選抜チームが試合をしたことがあった。それらの試合を観戦した木庵は思った。「韓国の選手が一番礼儀正しい」と。韓国の監督は教育者らしい顔をしていた。それに対して日本の監督は、マスメディア慣れをしているというか、高校の教師というより、「野球コーチで飯を食っている人」という印象を受けた。
    今回の日韓の試合で、印象深かった一つに、試合前に前回の優勝監督、王さんが紹介され、王さんが、韓国監督と握手し、韓国の監督が王さんを尊敬する態度で接していたことであった。今竹島問題などで政治的に日韓はギクシャクしているが、スポーツの世界ではそのようなものが一切ない。そのことが見られただけでも観戦の価値があった。
   隣の韓国の若者、寒さのために体を震わせていたが、「最後までよく頑張った」と声援を送りたい気持ちであった。戦力的には日本の方が優れているのに、よくここまで戦った韓国チームにもエールを贈りたい。日本が勝利に酔うこともよいが、敗者に健闘を祈る気持ちも必要だ。ただ喜びに湧いているだけなのも何か寂しい。
  実は私の右横には4人アメリカの若者も座っていた。その私と接する一人と少し話すことが出来た。「貴方は日本応援ですか韓国ですか」、「韓国です」、「それはなぜですか」、「僕のベストフレンドは韓国人だから」、「別に戦争ではないのですから、どうぞ、韓国を応援してください」。
  日本の選手が見事なプレーをすると、このアメリカ人は拍手をした。「貴方、確か韓国の方を応援していたのでしょう」、「見事なプレーに対して、韓国も日本もないです」。爽やかに返事であった。顔だけで判断するのはよくないが、彼たちは、高校生か大学生か分からないが、優秀な学生に見えた。そのベストフレンドが韓国人というのもよい。以前日本から来た所謂帰国子女に、「君たちの友達の韓国人は反日の子供が多いだろう」と言ったことがあった。「そんなことないですよ。彼たち日本のことが好き見たい。日本のアニメが大好きなようです」という返事が返ってきたことがあった。
  韓国人、日本人の子供が大人になれば、国家主義に汚染され、反日反韓になるのだろうが、子供のときぐらい、人類は平等、人類は兄弟と、人種的偏見でものを見るのではなく、人間として平等に接して、誰もが仲良く暮らせる社会を作ろうという希望を持ってもらいたいものである。
  今回の野球観戦は、心の中に日本ナショナリズムと人類は同朋だという世界主義という二律背反の矛盾を持ち続けている木庵が、日本勝利を通して、日本、韓国、アメリカ文化の違いを、少しは考えさせてくれたように思う。
木庵