自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編(特別編;皇室論#8)#10

自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編(特別編;皇室論#8)#10
<西尾氏の指摘する「小和田恒氏が『進歩主義反日思想の持ち主』」という論点は興味がある。皇室問題を別にして、外務省の近頃の歪み現象を、木庵自身も感じている。簡単にいえば、「外国に媚び諂うことが日本の国益に繋がる」という姿勢がある。小和田恒氏の考えを余り知らないが、木庵の独りよがりの妄想で述べさせてもらえれば、西尾氏が指摘するように進歩主義者と考えてよい。明治維新以降、日本は矛盾する二つの柱を設置した。一つは天皇を中心とする伝統を重んじる国であること。もう一つは未来を志向する西洋型の国であることである。それは大東亜戦争敗戦後も、前者のウエイトが少なくなったとはいえ、両者を国の両輪として機能させようとしている。ウエイトの仕方、つまり前者と後者のどちらに重きを置くかによって、保守としての色合いが違ってくる。近頃の外務官僚は後者の方に重きを置くようになったようである。その象徴的な話がある。木庵の知り合いに、戦前の日本精神の良さをよく知っている80歳の女性がいる。彼女、一度ロスの領事館に招待されたことがあった。日本国総領事館らしく、日本国旗が飾られていた。ところがこの女性が驚いたのには、そこに飾られている日章旗は規定のサイズで作られたものではなかったという。白地と赤丸との割合、それにどの位置に赤丸があるという規定がある。そのことを、領事館の人間に伝えたが、あまり深刻に考えなかったという。もしこのようなことがアメリカ国旗で発生すれば、大変なことになる。国旗とは国家の顔である。サイズや位置が違っていることは、日本の精神を侮辱していることに他ならない。この例だけから、外務省が前者をないがしろにする、後者だけを追い求める集団と考えるのは論理の飛躍かもしれないが、戦前の領事館でこのような不都合なことは起きるはずがない。恐らく西尾氏あたりになれば、日章旗不都合事件のような、外務省が伝統をないがしろにする証拠は色々と握っているに違いない。また小和田氏の思想的背景が皇室の伝統と相容れないものを持っていることをも知っているであろう。だからといって、小和田氏が反日、反皇室論者であると決めつけるのはどうかとも思う。元々日本の国家そのものが二つの二律背反する価値観を共有し、ある人間(例えば、小和田氏のような人)が、西洋合理主義のエキスパートであれと国家が望み、彼等が伝統文化から離れているからとして、反日とレッテルを貼るのはどうかと思う。天皇とは、この二輪の上におわすものであるから、片輪に力を注いでいる人間を反日とするのはおかしい。また、伝統、皇室のあり方を正したいと考える西尾氏を反日と考えるのもおかしい。木庵>

5)船と乗客のたとえは不適切<不毛の議論。木庵>

6)患者に対する配慮に欠ける
<ある程度賛同。木庵>

7)皇后は「祭り主」ではない

天皇の本質は「祭り主」であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿である。しかし、それは天皇の話であって皇后や東宮妃の本質は「祭り主」ではない」(竹田氏の指摘)
<このことを、木庵は初めて知った。東宮妃(雅子妃)は陪席あそばす存在であるという。竹田氏のこの指摘は説得力がある。元皇族の子孫だけあっての指摘である。このような庶民が分からないようなことを、堂々と披露なさるのはよい。木庵>


8)必ずや立派な天皇
      
<木庵も皇太子は立派な天皇になられる方であると思うし、それを信じる。一夫一妻制が現代の社会通念であるとすれば、皇太子もそれにあわせ、妻を愛し、子供を愛する、その姿は別に悪くない。若い世代の理想的な家族の長として、皇太子様が雅子妃に接しておられる姿勢を多くの日本人が好感をもっている。それを皇太子の態度がどうの、雅子さんの態度がどうのというレベルで非難することは慎むべきである。二人の態度に人権思想が入っていて左翼の突っ込む材料を提供しているということに関して、たとえそうであったとしても、慎むべきであろう。左翼との戦いは違う場で行うべきで、皇室問題の土俵で行うべきものではない。何はともあれ我々庶民の側も、皇室への思いやり、心遣いが必要である。

9)読者よ日を覚ませ!

 「皇室の諸問題をスキャンダラスで騒ぎ立てることは逆効果であり、そのことこそが本当の問題なのである。西尾論文は結果として皇室全体のイメージを低下させただけだった。保守論壇はそのような無益な騒ぎを抑える方向に世論を導くべきである。  皇室の最大の問題はお世継ぎ問題であり、先述したとおりこの点で西尾氏と私は意見が一致する。私は西尾氏には品格のある発言者として今後も活躍して頂きたいと思っている。
 私のような三十二歳の青二才が、人生の先輩にこのようなことを言うのは申し訳ないが、もし私のこの注告を読んで少しも思いを致すところがないとしたら、そろそろ世代交代の時期が来ているのかもしれない。そして、皇室を尊崇する良識ある読者よ、目を覚まして欲しい。」(注:竹田氏の文章からの引用)

[ koreyjp ]氏からの新しいコメントが入った。

さすがに竹田恒泰氏は物事の本質を的確に見抜いてをられますね。この西尾といふ人は、インテリやくざみたいなところがあり、品格が疑はれます。以前、保守の側で『新しい教科書』を作ったとき、彼は古事記を紹介するくだりで、「オオゲツヒメはおしりから食べ物を出してスサノオノミコトに食べさせようとしたので、怒ったスサノオノミコトに殺された」といふ筋のところ「だけ」を書きました。「群盲象を評す」のたとへで言へば、尻尾の先だけを持って、「象とはこんなものに違ひない」と言い出すやうなものです。彼のバランス感覚を疑ふゆえんです。自分を何様と思ってゐるのか、天皇に比肩する大王とでも思ってゐるのか、知りませんが、戦後といふ「自由主義時代」が生んだ鬼子とでも呼びたくなります。

<ここで、[ koreyjp ]氏が竹田氏よりの考えであることが分かった。皇室問題は実に難しい。何かを述べれば何かが欠け、述べなければ、政敵に利用されてしまう。竹田氏のブログを偶然見つけることが出来、開けてみた。その中でも竹田氏を支持する人と非難する人たちの熱いやり取りがある。竹田氏の西尾氏への批判の言葉も辛らつで、これからどこまでボトルが続くのか分からない。またあるブログでは、雅子妃の父君である大和田氏がある新興宗教の信者であるとか、外務省にはこの新興宗教の信者が多くいて、雅子妃が極秘で食事をなされた人は、外務省職員でこの新興宗教信者であるとか、雅子様自身もこの信者であるとか。ブログでは色々なことが行きかっている。西尾氏の論文が影響して、本質的な皇室論からゴシップ的な皇室論が日本国民の中で入り乱れている。そういうときにあって、竹田氏の言葉、「天皇とは、そこに存在されるといふことが重要なのであり、その他のことは小さい小さいことになるといふことです」は、心して考えるべきであろう。また、西行法師の伊勢神宮参詣に際して詠んだ句も、皇室に対する本質的な見方を我々に与えてくれているようである。

何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

つづく