自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編(特別編;皇室論#5)#7

自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編(特別編;皇室論#5)#7
  <明治天皇の玄孫に当たる竹田恒泰氏が、西尾氏への批判文を書いている。主に西尾氏と論争になっている部分だけ掲載し、論争に足らずと木庵が判断したところは、カットする。後、木庵が感想を書く。ところで、【この私も中核から崩れ始めた国家の危険を取り除くために天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない】と西尾氏が言ったとして、竹田氏は引用しているが、OG氏の要約の段階でこの言葉はない。木庵>
西尾幹二さんに敢えて注告します
これでは「朝敵」といわれても…

竹田恒泰
作家・慶應義塾大学講師(憲法学)
【たけだつねやす】昭和五十年、旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫に当たる。慶應義塾大学法学部卒業。現在、作家、慶應義塾大学講師(憲法学)。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)(山本七平賞受賞)、『皇室へのソポクなギモン』(扶桑社、共著)、『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP)などがある。

保守派を装った左派の論文

 私(竹田)は『WiLL』の編集室に電話をかけた。というのは、?西尾論文が大きな反響を呼んでいるということ、しかもそれが?保守派の読者の心を捉えていることが分かったからである。編集部に問い合わせると、さらなる驚きの事実が判明した。編集部に寄せられた読者からの反応のほとんど全てが西尾論文に賛成の立場を取っているというのである。

百害あって一利なし

 否、西尾論文は東宮を貶(おとし)め、徒(いたずら)に国民の不安を煽り、不要な誤解を生じさせるのみであり、何も良い方向に導くものではない。

東宮に対する不信

 もし百歩譲って西尾論文の内容が大方事実だとしたら、直接両殿下に申し上げるべきだ。もし書かれていることが誤りであったらどうであろうか。それこそ不敬の極みである。

一言でいえば「卑怯」

 反論することが出来ない相手に容赦なく非難の言葉を浴びせるのは卑怯ではないか。
 保守派を装った保守派でない論者が、保守の論壇に入り込んで発言することで、そこに【反日左翼の思想が芽生え、根づき、葉を広げ、やがて時間が経つと取り除くことができなくなる】と危惧し、私は筆を執った。
 本当に皇室のことを心から憂いているのなら、両殿下には直接諌言を申し上げながらも、雑誌では只管(ひたすら)皇室を擁護して、「如何なる困難があっても皇室は大丈夫」と発言するべきではないか。

西尾論文の構造

 さらに東宮妃殿下に反日左翼のレッテルを貼り付けた上で、【学歴主義と人権意識が皇室に流れ込んで、異質なものによる占拠と侵害が始まったのではないか】とまでいうのである。そして結論は【天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない】ということになっている。

お世継ぎ問題こそ本質

 皇室の歴史において、お世継ぎの期待は常に複数の皇族女性に分散していたため、現在のように、特定の女性一人にその責任が集中するような事態は起きなかった。
 皇室典範を改正し、一定の皇族を確保することが目下必要であり、それによりお世継ぎの期待は複数の女性に分散することになるはずだ。

東宮妃殿下は反日左翼か

 問題は、東宮妃殿下を反日左翼と決め付け、【日本人の信仰の中心であるご皇室に反日左翼の思想が芽生え、根づき、葉を広げ、やがて時間が経つと取り除く子とができなくなる「国難」について私は語ってきたつもりだ。それは皇太子妃殿下の心に宿る「倣慢」の罪に由来すると見た。ときすでに遅いのかもしれない】と結ぶところである。
 東宮妃の思想を【反日左翼の思想】と決定するからにはそれなりの根拠を示すべきだろう。しかしながら、西尾氏はその理由として次の二点を示すのみである。すなわち、東宮妃殿下の父親でいらっしゃる小和田恒氏が【進歩主義反日思想の持ち主であることば紛れもない】ということ、そして東宮妃殿下が足繁く出向かれる【国連大学反日左翼イデオローグの集会の場と聞いている】ということのみである。
 西尾氏は殿下の一体何を見、知っているのか。論文に示された根拠は全て根も葉もない噂話の領域を出ていない。

妄想に始まり妄想に終わる

西尾氏こそ反日左翼では?

西尾氏は何らかのイデオロギーによってそのような妄想を国民に植え付けようとしているのではないか。
 

船と乗客のたとえは不適切

 西尾氏は哲学者だけあって、物事を抽象化・単純化させて説明しようとする傾向がある。先述の【学歴主義と人権意識が皇室に流れ込んで】云々というのも抽象化・単純化の表れであろう。たが、実際の物事はそのような単純なものではない。
 西尾氏が繰り返して述べている、【天皇制度と天皇との関係は、比喩でいえば船と乗客との関係である。乗客はいまたまたま船に乗っているが、船主ではない。天皇家は一時的に船をお預かりしている立場である】というのも、天皇の本質を無理に単純化させた結果生じた誤りである。
 皇室の制度は時代と共に常に変化している。現在の制度は昭和二十二年の憲法改正によって大きく変更されたものであり、明治維新によっても皇室の制度は大改革を経た。皇室の制度は政体の一部であって国体そのものではない。国体とは「天皇が君臨すること」であり、天皇は制度なのではなく、制度が本質なのでもない。つづく