自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編(特別編;皇室論#3)#5

自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編(特別編;皇室論#3)#5

  環境不適応のうつ病の妻を抱えた夫の悲劇なら世間に幾らも例があり、どうか転地療養などしてゆっくり時間を掛けて治して上げて下さい、と言っておればいいのだが、残念ながら皇太子ご夫妻は普通の人ではないのである。国家の象徴となられる方とその配偶者である。会社の社長レベルの人であっても、うつ病になったら辞職するであろう。

 雅子妃殿下は平成15年9月から宮中祭祀には一切ご出席ではない。一般のご公務も滞り勝ちだが、宮中祭祀はご公務よりもはるかにハードルが高いと聞く。何時再び可能になるか分からない。しかも天皇家で最重要なのは、祭りである。伝統と歴史に則った密儀秘祭の主宰者であられる天皇陛下が一番ご心配になっているのは皇太子へのこれらの伝授である。雅子妃の主治医が既に5年目に入る病の見通しについて無言でいることは許されない情勢になってきた。総理大臣が知らん顔をしていることも難しくなってきた。

 指し当たり雅子妃の主治医を複数にすることを私は提言する。斉藤医師は物ごとを善意で見すぎている。この問題は言うまでもなく、一人の人間の治療に最終目的はなく、国家の安泰に本来の目的があることを忘れないでおきたい。

・ 引き取るのが筋
雅子妃問題は生じてからその病気と治療がもっぱら話題の中心になってきたが、皇統の将来への憂慮の方が優先されるべきである。本末転倒に陥ってはならない。
過日、宮内省関係者から次のような言葉が飛び出したという。
「これはもう雅子妃のご両親がいけません。小和田家は『皇室の仕事ができないなら、娘を引き取ります』と言うべきでしょう。皇后になったらそれこそ過密なご公務が待っている。勤めが果たせないのなら引き取るのが筋です」(「週刊現代」3月22日号)

 私も同じ考えである。しかしもう一つ別の理由がある。皇室が日本人の信仰のすみかであり続ける伝統の流れを小和田家によって突然中断される恐れを抱いているからである。
異質のものの侵入が始まりはしないかという恐れである。

 環境不適応のうつ病とは言い得て妙である。皇室と官僚、言いかえれば信仰と近代という相容れない原理に立つもの同士の交錯が、不適応の環境を作った。そのために不幸が起こり、犠牲が生じた。私は永い目で見てそうしたことだと理解していると書いた。
それなら不幸や犠牲は個人の側にだけ起こるのだろうか。皇太子ご夫妻だけが傷ついたのだろうか。そうではあるまい。天皇制度そのものが今度の件で傷ついている。天皇皇后両陛下がお身体をおこわしになるほどご心配になっている事実にそれは現れている。

・ 官僚による皇室の侵害
失礼ながらご結婚後の皇太子殿下は妃殿下に台詞をつけられているような気がする。
外から見ている我々のような者にはこれは痛ましく、官僚による皇室の侵害に思える。
天皇制度そのものが傷ついているのではないかと言ったのはこの意味である。そしてこれらの、「プライベートな事柄」、「家族内の事柄」「人格否定」「時代に即した新しい公務」「プライバシー」に至るスローガンめいた言葉から、天皇家が絶対に使ってはならないあの言葉、もっとも無縁であるべきあの言葉へはあとほんの一歩である。すなわち「人権」―。

 私がいつもテレビでお姿を見て思うのは、ご長身の妃殿下があえてヒールの高い靴をお履きになって皇太子殿下の直ぐ横に立たれる余りの遠慮のなさである。つつましさ、控え目、奥ゆかしさ、慈悲深さ・・・、皇族に対する私たち日本人一般の期待はここにある。
皇族のご親族、ご縁者に対しても同じ期待を抱く。個人の自由を越えている王朝の歴史への祈りと敬意を共にしているからである。

 皇后陛下のご実家の正田家のご両親がいかに謙虚で、娘に私的に会うことも可能な限り避け、お父上はご成婚後企業の代表を退かれたのは語り草になっている。
それに引き換え、というのは余りにも絵に描いたような話しになるのだが、小和田亙氏はご成婚の9ヵ月後に国連日本政府常駐代表特命全権大使になった。そしてその後も官僚としての経歴の上昇を重ねていった。天皇家に嫁がせた者は、そこで人生の経歴を終わらせるのでないならば、何らかの卑しい野心を疑われるというのが日本の歴史の教訓である。

 小和田氏は日本は「普通の国家」にはなれない。「ハンディキャップ国家」である、という卑屈で奇妙な否定的日本論をかって展開した人物である。それによれば日本は中国に謝罪し続けなければならない。靖国参拝もいけない。昭和60年には土井たか子の質問に答えて東京裁判史観を肯定するようなことも言った。進歩主義反日思想の持主であることは紛れもない。天皇制度を廃止しようとしている共産党以下の左翼は革命的なスローガンなど今は何一つ掲げようとはしない。そんな必要はなく、皇族の「人権」を認めよ、というのが一番通りがいいことを知っている。皇族を解放し、彼らの「人権」を取り戻し、一般人と同じ信仰の自由、言論の自由、離婚や再婚の自由を与えよ、と密かに言い続けていりし、機会を掴めばその声は朝日新聞NHKを中心に一気に大きな声に高まるだろう。

 事実、年来の「天皇制否定論者」の奥平康弘氏は皇族に「脱出の自由」を認める方向で手続き規定がなされるべきだとさえ書いている。雅子妃の「環境不適応」のうつ病の問題は彼らの目には絶好の好餌と映るであろう。まさに「人権」の問題であると。
皇太子殿下は政治的罠にはまっていることにお気づきでないようにみえる。雅子妃殿下は天皇制度の内部に入ってそれを内側から少しずつ崩しているいわば獅子身中の虫とあえて言っても、今までの流れからして暴言とは思えない。小和田亙氏と外務省の「反日思想」がそこで小さくない役割を果たしているに違いない。

 実際、得たりとばかりに左翼フェミニスト上野千鶴子は書いている。
「戸籍も住民票もなく、参政権もなく、そして人権さえも認められていない皇族のひとたちを、その拘束から解放してあげることだ。住まいと移動を許され、言論の自由職業選択の自由もなく、プライバシーをアレコレ詮索され、常に監視下に置かれている。・・・
失語症適応障害になるのも無理はない。天皇制を守ることで、日本国民は、皇族という人間を犠牲にしてきたのだ」。(「朝日新聞」05年8月17日、夕刊)

・ 私が一番心配していること
ご覧の通り雅子妃問題は左翼の恰好のターゲットとして利用され、予想以上に天皇制度の廃止論の危険の水位は上がっている。知らぬは安心し切っている保守系の人々だけである。しかし、今回の件は学歴能力主義と高級官僚の家系が「反近代」の天皇家とクロスしたがゆえに起こった例外的な災厄であって、雅子さん個人の問題である。秋篠宮家の紀子妃殿下には不適応病理は全く生じていない。

天皇家の人々は天皇制度という船の乗客であって,船主でないと私は言った。皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏が「場合によっては秋篠宮への皇統の移動も視野に入れる必要がある」と大胆に提言しているのは納得がいく。


つづく