自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編(特別編;皇室論#2)#4

自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編(特別編;皇室論#2)#4

雅子妃殿下のご不満
それが錯覚だと妃殿下にお教えするにはどうしたらよいか。ヨーロッパと日本の歴史に関するありふれた通念を変えることをお勧めする。日本は一つの文明であり、それに対応しているのはさっき言ったようにヨーロッパ全体なのである。これが問題を解く鍵である。
ヨーロッパの各王家は日本でいえば大名家に相当する。だから婚姻関係があり得る。しかも各王家はたかだか中世末か近世である。日本のように古代に繋がっている例はない。

 たしかスエーデンの王家はナポレオンの家臣を出自とする。デンマークと戦争ばかりしていた。ナポレオンがそれまでのスエーデンの統治者に替えて、自分の信頼できる家臣を派遣したことに始まる。加藤清正が改易された、細川家が熊本城の城主になったようなものである。しかし日本の皇室は歴史の長さが全然違う。日本の天皇の系譜は神話によって根拠づけられ、神話と王権は連結しているのである。そして神話に繋がるということ、自然万物につながるという意味でもある。日本の天皇の場合が唯一そうで、世界の他の王権に類例を見ない。

 ヨーロッパでは神話の世界と繋がっているのは教会であって、王家は神格ではない。
日本人は自然に開かれ、全自然の中に我々とつながる命を見、そこにカミが宿る世界を見る。天皇がカミだという意味はわずかにそういう意味であって、キリスト教的な意味での絶対神でもないし、中国皇帝のような政治的絶対者でもない。
巨樹に注連縄をはって神様のように祈る日本人の宗教観念にどこかで関わるのが天皇の存在である。天皇は日本人の信仰世界、神道のいわば祭祀役なのであり、国際外交などとはどうあっても関わりようがないし、関わりがあってはならないのだ。

・ サイは既に投げられた
皇室の運命のサイは既に投げられている。運命を先取りし、意思で動かす打開策もある。妃殿下には都内にオフィスとスタッフを持って、スエーデン国王のようにSPを助手席に乗せるなどして、颯爽と自ら運転して出勤し、政治と思想以外の何らかの国際知的社会活動を展開して頂く。雑誌に評論などを書くことがあってもいい。われわれも自由な批判を加えてもいいことにしたい。開かれる皇室を望むからではない。もう開かれてしまっているものを閉じても、人間悲劇を生むだけだからである。妃殿下もそれでかえって何かを悟られるであろう。
もとより私は苦々しい、不安な思いでこう言っているのである。一度あるレールの上を走行した列車は後戻りできず、終点まで行くしかない。滅びるものはどんなに守ろうとしても滅びる。滅びないものは滅びに任せても蘇生する。

 私は面白がってスエーデン国王のように振舞えと言ったのではない。このままいけば、妃殿下はうつ病になるだろうと予感したが故の苦肉の策に過ぎない。それにご父君の小和田氏に問題があることも、この時早くも予感していた。近代社会勝ち抜きの家系の学歴の高い才媛が皇室に輿入れすれば、どなたも雅子妃のようになるとは決まっていない。謙虚に対処できる方もいる。ここには個人差がある。国際場裡で思い切って「知的社会活動」をしていただいたらどうかと書いたのは、妃殿下はそれでかえって、一人前に舞台をこなせる能力の不足を知り、自分の限界に気付いて、自己主張を控えるようになり、宮中生活に落ち着きを取り戻すこともあるだろう、私はそう考えたためである。

・ 宮内庁長官諫言の真意
 あれから4年経った。事態は一段と悪化した。それでいて問題はぐるぐると同じところを回っている。平成20年2月13日、恐らく天皇陛下のご意向を受けて宮内庁長官が皇太子殿下をお諌めになった。殿下が「愛子様に会えない」ことをご不満としているので、殿下ご自身が参内の機会をもっと増やす約束をなさっていたお言葉を守って下さい、と長官は言ったのだが、これは表向きの表現であって、国民は一を聞いて十を悟っている。

 皇太子殿下のお心が妃殿下に掛かりきりになり、宮中にも、国民にも顔を向けない。これを問題としている。お年を召された天皇皇后両陛下は最近ご健康が優れず、宮中祭祀の心得も、帝王学の数々もいまだ十分に陛下から伝承されていないではないですか。皇太子殿下、もっとしっかりして下さい、責任を弁えて下さい、と長官が言葉どおりそう言ったかどうかは分からないけれども、まあ俗に言えばそういう発破を掛けたのではないかと思われる。一般サラリーマンでも、結婚後10年も経って女房の方ばかり向いて会社の仕事に熱を入れない男が、課長の叱責にも上の空だったら、社会人失格であるだけでなく、女房までが次第に非難の対象になるのを避けることが出来ようか。

 他方、マスコミことに週刊誌の一部には言葉の端々に、根強い「雅子妃仮病説」がある。妃殿下は本当に病気なのだろうか。皇居に出向かないといって非難されると慌てて参内し、好きな所へ遊びに出かける前に嫌々ながら一寸お努めし、我侭で、身勝手なのは計算づくである、と。そういう猜疑の声は実は全国津々浦々にある。インタ−ネットを見ていると、唸りをなすような国民の裏声がそれだということを、知らない人のために申し添えておく。
曰く“遊び歩いていて都合が悪くなるとうまく体調が悪くなる”、曰く“御所の奉仕団にほんの一寸お礼の挨拶も出来ない人が、どうしてスキーには行けるのだろう”。遠くから見ている人に、「仮病」に見えるのはご本人には不当な仕打ちかもしれないが、皇室はこういう噂に左右されるものである。無視できない要素である。

・ 二種の困難の谷間に
ここでは、果たして病気か仮病かは確定せずに、確定する根拠も私には掴めないので、背後に潜む性格の異なる困難、二種の困難の谷間に皇室と日本国家がおかれている政治危機を分析し、提起してみたい。

 「文芸春秋」の座談会での斉藤医師は、「皇太子がこれまで娘と妻のことばかり話すのは世間一般に違和感を与えているが、皇太子にしてみればそれは雅子妃に対するアピールで、自分の一番の関心は家族なのだと言い続けることが妻の病状にとってプラスになると判断してのことだ」と発言している。
恐らく彼女は孤立無援感が非常に強い。敵に囲まれて暮らしているという思いなのかも知れない。皇太子だけが自分の味方だというのが大きな支えになっている。雅子妃が皇居へ参内したがらないのはよく知られている。治療という観点から見れば参内を控えるという判断は妥当だと思う。基本的には「反応性うつ病」だと斉藤医師はいう。

 一口で簡単にいうが、これは容易ならざる事態である。雅子妃の病状の原因が皇室という環境にあるのだから、病状が重いのではなく、皇室という環境を変えなければ解決しない問題なのであろう。斉藤医師の発言でいちばん不幸と目すべきは、「症状としては軽い」と指摘されていることで、環境を変えなければダラダラと慢性的な病状が長期にわたって日本の皇室を機能不全に陥れる可能性の示唆である。誰の目にも分かる病気なら快癒を待つことも出来る。終わりのない憂鬱の雲が次の代の天皇の治世を覆い尽くすようになるのを今看過してよいのだろうか。
つづく