講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#11

講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#11
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質疑応答
第一質問(男性):防衛省での離任式に出席されておれば、どのような話をしようと思っておられましたか。
答え:「自衛隊は武士の集団であるので、組織の一員として。誇りと自信を持って職務に全うしてもらいたい」と。<もう少し何かを言われていたが、メモから解読不可能。木庵>
第二質問(男性):立候補なされば当選確実だと思うのですが、政治家の立場で何か提言がありましたら話してください。
答え:今年の9月に任期満了で選挙が行われるでしょう。そのときは民主党が政権をとるとおもいます。私が当選するかもしれませんが、私が政治家になって出来ることと、今のように講演活動や執筆活動をして出来ることと、どちらがよいのか、今後見極めたいと思います。
第三質問(男性):私は昭和20年の東京大空襲を2回経験し、在米36年になる者です。日本の教育がすさんでいるようですが、どうすれば教育が良くなると思われますか。
答え:道徳教育、躾も含めて、どうすればよい教育が出来るかという質問に、「自衛隊での教育のやり方を取り入ればよい」と、いつも答えています。日本は徴兵制度はないのですが、自衛隊にはひどい者も時には入ってきます。しかし、3ヶ月もすれば立派な社会人になります。金持ちに塾のようなものを作ってもらおうという考えを持っているのです。500人ほどの大学生や大学院生に寮生活をさせながら・・・・
第四質問者:私は46年生まれですから、貴方と同じ年代だと思うのですが、ルームメートであった私の友達が、児玉誉士夫邸に突っ込みました。三島由紀夫の檄文のレコードをいつも聞いているのですが、三島が自衛隊に突入し割腹自殺したときは私が23歳の時でした、当時私も「盾の会」に入ろうとしたことがあったのですが、仕事や女遊びに忙しく、結局入らなかったのですが、三島の考えについてどう思われますか。
答え:三島氏は志が高い人だとは思うのですが、民主主義の世の中で、暴力に訴えようとしたのはまずかったと思います。どこまでも言論で勝負すべきだと思います。
三島由紀夫について木庵も興味があり、割腹自殺当日のことを思い出す。平和な時代に武士の儀式を行ったのだから、日本国内だけでなく世界に大きな衝撃を与えた。私は事件を起こす前の三島に、それほど興味を持っていたわけではない。タイトルをはっきり覚えていないが、割腹自殺前には、「不道徳教育講座」、「我が友ヒットラー」、「文化防衛論」のような本を読んでいた記憶がある。事件後テレビや新聞、それに雑誌などで三島関係のことが報じられ、彼が行動に走った原因は何か、私なりに考えた。アメリカに来てからも、イギリス人新聞記者が書いた本(英文)などを読んでみた。日本で得た三島に関するものとは違った知識も得た。ところで先日、YouTubで三島に関するプログラムを見つけた。日本にいるときは、三島に関しての情報はほとんど文字から得ていた。ところが、YouTubから三島の肉声を相当聞くことが出来た(元々、三島の肉声は知っていたが)。当時の彼より木庵は歳をとってしまったが、彼の肉声に衝撃が走った。精神が純粋な上に生命の輝きを感じた。東大での全学連の学生との討論の声、NHKの取材に答えての話には強烈な魂の発露があった。かのような心の内から発する声の響きを、長い間忘れていた。彼は間違いなく天才である。内容を正確に伝えることは出来ないが、NHKでの三島の話は次のようであった。「戦時中、我々世代が生きていた時代は、死が隣り合わせであった。ところが現代は、死が身近なものから遠ざかって行った。死が当たり前の時代から、死を忌み嫌う時代になった。確かに死というものは怖いもので、特に癌で死んでいくことを想像しただけでも怖い。葉隠れを書いた山本常朝は武士道を昇華させておきながら、畳の上で死んでいる。私もそのようになるのではないか」。私の拙い表現では彼の精神は伝えることが出来ない。三島の内から搾り出している言葉、それに彼の表情をみて、死を意識して生きている人間がこれほども輝き美しいのかと思った。児玉誉士夫如き俗人のために命を捧げた人間の友人が、三島について語る能力も資格もない。また、田母神氏が目指す民主主義の国家観と三島とは接点がない。三島が目指す日本の「文化防衛論」は、もっと次元の違うものである。文学的防衛論と言ってもあてはまらない。人間の本源的な自己保存というものの中には、欺瞞と倦怠感が伴う。三島も言っているが「人間というものは、小さい自己のために生きることに退屈さを感じ、崇高な大儀のために生きる、つまり死ぬことが、人間として最高の喜びである」。大儀のために三島は死にたかったのである。そのため、彼の限りない生は輝いていたのである。田母神氏も大儀のため、日本国家のために死ぬ覚悟があるなら、彼は歴史に残る人間になるであろう。しかし、木庵は田母神氏をそのようなタイプの人間と見ていない。三島とは育った時代も違うし、よい意味でも悪い意味でも、バランスのとれた人である。ということは、普通の平凡な人なのである。自衛官として最高の地位に上り詰め、これから平凡は引退生活が送れるはずであったところ、神のいたずらか、更迭という彼の人生の中での最大の侮辱を受け、この事件をきっかけに、いつしか日本の将来を背負う使命を仰せつかう立場になってしまった。これから、彼が軍神になるか、ただの首を切られた自衛官になるかは、まだ彼自身も分かっていないだろう。今全国を回り、日本国民の真の指導者を求める気持ちが理解できただろう。さて、どう動くか。ある意味のオバマが大統領選に出馬して、そして最後に大統領になっていた過程と似ている。オバマは最初子供から抱いていた夢をかなえるべく大統領になりたい、有名になりたい、アメリカを漠然と良くしたいという気持ちであったが、アメリカの経済の破綻による国家の危機に直面して、もはや、名誉や金などを追い求める世界にとどまれなくなった。なりふり構わず、アメリカを立て直すことだけを考えている。そのような緊迫感が伝わってくる。田母神氏もいつしか、日本の危機を我がものと感じたとき、田母神神社に祀れれている坂上田村麻呂の霊が田母神氏に乗り移り、田母神氏は日本の救世主になるかもしれない。多くの日本人は彼に日本の未来を託したいと思っているのだが。さてどうなることか。今のところ誰も分からない。木庵>
つづく