講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#9

講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#9
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  田母神は日米戦争への道を解説した。保守の人間にとって常識的な話である。要するに日本ははじめからアメリカに狙われていた。カリフォルニア外国人土地法案(1913年)、カリフォルニア外国人土地法案」(1924年)のあたりからアメリカは日本を仮想敵国(田母神はこの言葉を使わなかった)にして、段々戦争に引きずりこもうとしてきた。そして、堪忍袋の緒が切れ、真珠湾攻撃となった。近頃日本の雑誌でも話題になっているフライング・タイガーアメリカ空軍の蒋介石援助部隊)に触れた。真珠湾攻撃の一ヶ月前、中国から日本本土空襲を試みようとする計画があった(はっきり聞き取れなかったが、きっとそのようなことだろう)。フライング・タイガーの日本空襲計画があったことは、まだ通説にはなっていないと思う。しかし、フライング・タイガー部隊が編成されたことは間違いない。日中戦争で中国空軍飛行機にアメリカ人パイロットが国民党軍の軍服を着て搭乗していたという話は聞いたことがある。細かな事実関係についての論争は学者に任すとして、田母神の話によればフライング・タイガーのことが北京航空博物館に展示されている。また、アメリカのスミソニアン博物館でも展示されているという。
  大東亜戦争の原因は白人の有色人種に対する差別から来ていると言われる。会田雄二の「アーロン収容所」によれば、イギリス女性が日本の捕虜の前で平気で裸になった。日本人を猿や犬程度にしか見ていなかったのである。木庵は会田の講演を聴いている。学園紛争の激しい時代、キャンパス(京都大学)で学生の無軌道ぶりに抗議してハンガーストライキをした方である。苦みきった渋い顔の学者で、近頃彼のような頑固学者が少なくなったようである。
  田母神氏の講演の論旨は明確である。ところが講演を聴いて木庵はメモをとっているのだが、そのメモを見ると論旨が外れてしまう。聞き逃したためであろう。その論旨の乱れを気にせず書いてみる。
1)満州事変の原因となった柳条湖事件に触れている。この事件は河本大佐が仕組んだということになっているが、近頃のイギリスやロシアの資料から新しい事実が浮かんできた。通説によると河本は線路に爆弾を仕掛けたことなっているのだが、事件後の列車の写真検分によると、列車の床ではなく天井に穴が開いている。それに河本が本当にやっていたとすれば、東京裁判に連れてきて証言させてもよいのに、中国側は彼を中国で拘束して東京裁判に送り込んでいない。
2)1955年、インドのネルー首相、インドネシア大統領スカルノなどが中心となって、バンドン会議が行われた。参加国はアジア・アフリカからの29ヶ国であり、日本からは鳩山一郎首相の代理として高碕達之助経済企画庁長官が出席した。加瀬瀬英明の父親加瀬俊一も同行していた。日本代表は、アメリカへの遠慮と、参加国から戦争責任などを追及されるのではないかと恐れていた。ところが各国の代表は「この度の戦争で日本が多くの犠牲を払ってくれたので、我々はイギリス、オランダと対等に話が出来るようになった。とても日本に感謝している」と言ってくれた。
  ところが、バンドン会議50周年を記念する首脳会議(2005年4月22日)では小泉純一郎は日本の戦争における歴史認識に関し、1995年8月15日に当時の総理大臣であった村山富市の談話(いわゆる「村山談話」)を引き継ぐ声明を発した。
3)世界は腹黒い、日本だけが善人である。善人は悪人の前ではいちころである。
4)靖国問題についてまだ日本は克服していない。サンフランシスコ条約とは戦争終結を意味する。ところが、11条には日本戦犯の刑期を守るといくことが書いてある。そして2項には、これを破棄(?)するときは、連合国2カ国以上の合意を必要とする。
5)A、B、C戦犯として、1000人以上の日本人が処刑された。サンフランシス条約が結ばれ、牢獄につながれている親、兄弟が帰ってくるものと思っていたのに、4)の事情で帰ってこない。そこで日本国中で戦犯解放のための署名運動が行われた。4000万人の署名があつまった。当時の人口は7000万人とも80000万人とも言われているのだから、殆どの大人が署名したことになる。そしてそれをリードしたのが日本弁護士連合会であった。それも社会党女性議員OOつるよ(?)という方が中心になって運動を展開した。だから当時から日本人はABC戦犯といわれる彼等を戦争犯罪者とは考えていないことがわかる。
6)昭和52年のダッカハイジャック事件で福田赳夫首相(当時)が「人命は地球より重い」として、身代金の支払い及び、超法規的措置として拘留中の赤軍メンバーなどの引きわたした。それ以後日本はテロリストに舐められ、横田めぐみさんを始め、多くの拉致事件が頻繁に発生するようになった。ダッカ事件と同じ年に起こったルフトハンザ航空181便ハイジャック事件においては、西ドイツの特殊部隊によって、ハイジャック事件は見事解決された。機長1名がテロリストにより射殺され犠牲となったものの他の乗員乗客は無事であった。(ウイッキぺディア解説:この事件における日本の対応は、一部諸外国から「日本はテロまで輸出するのか」などと非難を受けたといわれる。だが、当時は欧米各国においても、テロリストの要求を受け入れて、身柄拘束中のテロリストを釈放することが通常であり、かかる非難や、その非難を理由とした当時の政府に対する現代的視点からの批判は当を得ていない。そのため当時世界各国では、この様な事件に対処する為に対テロ特殊部隊の創設が進められつつあるところだった。)
<当時ハイジャックに対する日本の対応の研究がまだなされていなく、またテロ特殊部隊の配属も当然なかった。そういうときに、ハイジャック側から「アメリカ人乗客から順番に殺していく」という脅しに、アメリカが動いた。つまり、アメリカ側の意向を受けた日本政府の反応であったという憶測がある。だから、当時の首相であった福田赳夫の決断を間違いと結論づけることは早急であるのかもしれない。ただテロに屈した日本が北朝鮮に舐められたことは間違いない。現に西ドイツはテロに屈することなく解決している。そういう意味でも田母神氏の話は大筋で正しい。田母神氏の言わんとすることは、屈したり妥協することによって、それ以上の代価を支払わなければならないということである。たが田母神論文批判でも多く噴出しているように、細かな歴史的認識に対する学界の動きを無視し、自分と同調する論陣の考えだけを基に話を進めていくと、重箱の隅を箸でつつくような反論が待っていることに気をつけるべきである。木庵>
7)宮沢喜一批判もしている。教科書問題で。宮沢は「近隣諸国の配慮ある対応をする」ようなことを言っている。
<宮沢内閣が行った、軟弱外交の典型的な例として、教科書問題、それに河野談話が挙げられる。田母神氏も言っているように「一度左の決断をすると、そこが基準になりどんどん左に移動してしまう」。木庵のアパートの住人と同じである。同情して家賃の滞納を許してやったり、家賃の値上げを据え置きにしてやると、滞納したまま逃げるとか、家賃の安いのが当たり前になり、それを基準に、もっと安くなることを要求してくるのと同じである。木庵>
8)中曽根元首相に対しても厳しい。「私は彼は本物の保守と思っていたのですが、どうもそうではないようなのですよ」
<広く知られているように、胡耀邦を守るために中曽根は靖国の参拝を取りやめた。この妥協が中共にどれほど靖国切符を切らせたことか。木庵>
つづく