講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#7

講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#7
次に朝日新聞である。

<今、ロスでは朝日新聞を購読しようとすればできるが、購読までして読んでいない。以前ホテルのロビーにある朝日の記事(ある学者の田母神批判)を読んでブログに書いたことがある。また「GHQと朝日新聞」(このタイトルだったかな?)という本を読んで、朝日批判をしたことがある。今回はまた、田母神更迭事件に対する朝日の社説である。
  ここから木庵流パロディーである。社説の本文【本当は上覧に、2008年(平成20年)11月2日付けの、朝日新聞社説を掲載するつもりであったが、技術的な未熟さからか消えてしまった。タイトルは『空幕長更迭、ぞっとする自衛官の暴走』である。私のパロディー文(比較文)と比べて、楽しんでもらいたい。全文は掲載していないが、興味のある方は、どこかから探して読んでもらいたい。比較文を本文(全てではないが)の後に書いた。
(本文)『こんなゆがんだ考えの持ち主が、こともあろうに自衛隊組織のトップにいたとは、驚き、あきれ、そして心胆が寒くなるような事件であった』→(比較文)「日本で一番権威のある新聞といえば朝日であったのに、田母神空幕長更迭に関しての社説で、こんなゆがんだ記事を書く人間がトップにいたとは、驚き、あきれ、心胆が寒くなるように感じながら朝日のことを思った」、「植民地、侵略と断定する朝日」、「旧陸軍の全ての行為を罵倒する朝日」、(本文)『一部の右派言論人らが好んで使う実証的なデータの乏しい歴史的解釈や身勝手な主張がこれでもかと並ぶ』、→(比較文)「一部左派言論人が好んで使う、実証的データが乏しい歴史解釈や身勝手な主張をする朝日」、「高い人格や識見、バランスのとれた判断力が求められる朝日」、「かりに朝日が懸賞論文を募集したとして、そして、左翼的論法で応募してきた自衛官がいたとすれば、特別優遇措置をとり、入賞をさせるであろう朝日新聞」、(本文)『防衛省内では要注意人物だと認識されていたのだが』→(比較文)「防衛省内では少数から田母神要注意人物とう声があった。それを広く認識されていたと書く朝日新聞」、「文民統制を狭義に捉える朝日新聞」、(本文)『国際関係への影響も深刻だ。自衛隊には中国や韓国など近隣国が神経をとがらせてきた』→「韓国と中国だけに目を向ける国際派朝日新聞」、(本文)『多くの自衛官もとんだ迷惑だろう』→(比較文)「「田母神の言動を、一部迷惑に思っている自衛官がいるだろうが、それを全ての自衛官がそう思っているとデータをもとにして書かない朝日新聞」(本文)『麻生首相は・・・この事態を生んだ組織や制度の欠陥を徹底的に調べ、その結果と改善策を国会に報告すべきだ』→(比較文)「このような偏見に満ちた内容を、こともあろうに社説に書くに至った。この事態を生んだ朝日の組織の欠陥を徹底的に調べ、その結果と改善策を読者に報告すべきだ。分かりましたね。朝日新聞
  朝日の社説の解説は、これで十分だろう。木庵>

<朝日の社説が出来のよい高校生の作文とすれば、茂田 宏氏の記事は大学院のレベルである。木庵>

国際情報センター
的確な国際情勢判断をする国民、それが国の進路を誤らない最大の担保です。
 
田母神論文とその後(雑感)

田母神空幕長の論文に関連し、防衛省、メディアの対応をみていていくつかの感想を抱いたので、ご参考まで。

1、 浜田防衛大臣防衛省の対応には問題が多い。

第1:浜田大臣は田母神空幕長の更迭後、定年退職させたが、その理由として懲戒免職
にすると時間がかかるので、出来るだけ早く辞めてもらうためであったとしている。
あたかも田母神氏が懲戒免職に当たるかのような言い方であるが、そんなことはない。
自衛隊法46条には懲戒処分を行いうる場合が3項目書かれている。職務義務違反や懈怠、隊員たるにふさわしくない行為、その他関連法規とそれに基づく命令違反である。そのいずれにも、田母神氏の今回の行為は該当しない。ふさわしくない行為というのは典型的には破廉恥行為である。
以前にクーデタや革命を主張する寄稿をした隊員がこの条項で免職になったケースがある。暴力で政府破壊を主張したのであるから、宣誓にも違反するケースである。しかし特定の歴史観を発表しただけでは免職など出来る訳がない。
こういうことに詳しい公務員OB数人に聞いてみたが、全員が同意見であった。

第2:浜田大臣は田母神氏に「自主的な退職金返納」を国会答弁という公式の場で迫った。退職金は賃金の一部と観念されるものであり、その返納を迫るなど、大臣のすることではない。人に義務なきことをするように求めている。極めて不適切である。

第3:防衛省航空自衛隊の教育部長がアパ・グループの懸賞論文への応募を勧め、大勢応募したことを問題視している。懸賞論文に応募するためには物事を調べるなど努力する必要がある。自己研鑽の一部として懸賞論文に応募することは推奨されるべきことである。報道によると防衛省は「処分」を視野に調査をしている、あるいは「監察」を行うとされているが、見当違いである。

2、 田母神氏には良心・思想の自由がある。公務員をその思想故に咎めてよいという考
えは自由民主主義国である日本においてはあってはならない。
公務員は日本国憲法またはその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政
党や団体を結成し加入してはならない(自衛隊法38条)し、機密保全、政治的中立性など、服務に関する義務を守るべきである。しかしそれ以外に、その思想ゆえに公務員であることを辞めなければならないことはない。外務省にも、色々な思想の持ち主、創価学会員もキリスト教徒もいるが、そういうことは問題にしないのが正しい。
 田母神問題には公務員の思想を問題にするとの危険性が潜んでいる。

3、 村山談話については、私は主として外交上の考慮からこれが出された経緯を承知して
いる。しかしこれを公務員が遵守すべき政府見解とすべきか、疑問である。これは法律でもなければ、1内閣が閣議決定し、歴代総理が踏襲するとしてきた談話に過ぎない。
歴史認識の問題は各人各様であって差し支えないし、またそうあるべきものである。少なくとも国や政府が一定の歴史認識を正しいとし、それを強制すべきではない。
2-3年前仏で、北アフリカで活動した仏軍兵士に感謝し、恩給を給する旨の法案が議会で審議されたが、その法案の文言にアルジェリアが猛反発し、仏国内でも大きな問題になった。その際シラク大統領は、「仏の歴史は単数ではない。複数である」との声明を出した。
ソ連崩壊後、ロシアでは1993年に新憲法が採択されたが、ソ連時代の反省に立ってこの憲法には次のような条項がある。
第13条1、ロシア連邦においては、イデオロギーの多様性が認められる。
2、いかなるイデオロギーも、国家的若しくは義務的なものとして制定されることはない。・・
第14条1、ロシア連邦は、非宗教的国家である。いかなる宗教も、国家的または義務的なものとして制定されることはない。

ソ連体制崩壊後、たとえばハンガリーでは1956年の動乱の歴史が、チェコでは1968年のプラハの春の歴史が、フィンランドでは冬戦争などの歴史が書き換えられることになったが、歴史認識と思想(この場合は思想の解放)が不可分な証左である。

歴史科学といったりするが、歴史は「物語」であって、科学ではない。
科学的知見は価値中立的で、人間がある事象に与える「意味」から独立しているが、歴史はある出来事に「意味」を与える、または「意味」を見出すことから構成される「意味の世界」の話である。それが故に、歴史観の自由は思想の自由の一部である。一定の歴史観の強制は圧制に道を開くことになる。
私は田母神氏の歴史認識に全面的には賛同しないが、田母神氏が自らの歴史認識を持つ自由とそれを表現する自由は擁護されるべきであると考えている。

言論・表現の自由を重視すべきメディアが田母神氏が言論の自由をはき違えているとして、田母神氏を攻撃しているのは異様である。

4、 良心・思想の自由の確立のために人類は長い道のりを歩んできた。西欧の中世は異端審
問や異端処罰の時代であったが、旧教と新教の30年にわたる戦争の結果、旧教か新教かを問わない世俗的な国家がウエストファリア体制として確立した。その後、良心・思想の自由は歴史的な諸事件を経て確立した。
中東では今なお多くの国で世俗的な政治は確立していない。イスラムが政治でも大きな役割を果たしている。異端糾弾の社会である。
アジアでは思想の自由の歴史は短く、まだ始まっていない感がある。思想の自由を十分に取り入れていない韓国や中国との関係で彼らの提起する問題に答えていかなければならない状況にある。外交上、日本が苦労している点である。
しかし「歴史問題」の解決は結局、思想の自由、すなわち多様性の許容以外にない。そこにどうもっていくのかに知恵を絞るべきで、思想の自由の問題をないがしろにして中韓の言い分に迎合していくことは問題の解決より複雑化をもたらすだろう。
(文責:茂田 宏