講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#3

講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#3

  上官から、DVDがまた大量に送られてきた。送られた封筒の中に、次のような内容のメモとお金が入っていた。それによると、「3・1・09田母神俊雄講演会実況、DVDを本ブログより無料贈呈(US,国内15名限定)」と書いてあった。私のブログの読者は日本に多いので、次のように変えさせてもらうことにした。
  無料進呈は日本3名(場合によっては若干増える)、US5名(これも若干増える可能性がある)とする。それも先着順とさせていただきたい。ブログ上に自分の住所を書かれるのは抵抗があるだろうから、「内緒」(ヤフーブログに限る)で送られるとよい。名前、住所については完全に秘密に取り扱うので、安心してもらいたい。早いもの勝ちとする。考えてみれば著作権の問題がある。当選した人は、その人個人用だけに使用してもらいたい。それに悪用は避けてもらいたい。上官は主催者というより、当日撮影をしていた責任者に許可を得たらしいが、善意の上でなされたようであるので、善意に解釈し、善意に運用してもらいたい。
  面白いことを、上官は考えるものである。この反響状況については報告する。勿論名前など公表などしない

Koreyjpさんからの次のコメントがあった。
<田母神さんは、何十年も国防に従事してきた、国防の「職人」です。職人と呼ばれる人は、大工でも植木屋でも、自分の仕事に誇りと一家言をもってゐて、決して嘘はつきません。逆に言へば頑固です。今はさういふ職人は大分減ってしまひましたが、全然ゼロといふ訳でもありません。私たちも田母神さんを見習って救国の職人になりたいですね。
2009/3/7(土) 午前 2:43[ koreyjp ]>

   まったく同感である。木庵はこの目で田母神氏の顔を見てきた。間違いなく嘘をつく人ではない。
   講演会の話に戻る。
   石波元防省大臣が文藝春秋に記事を書いている。文民統制の意味についてだが、彼の解釈は、「文民自衛隊にクーデターを起こさせないように監視する」ことらしい。現在の豊かな時代にクーデターなど考えられない。5・15事件や2・26事件が起きた時代のように、貧しい家が娘を身売りする時代ではない。今は豊かな時代である。餓死者など出ないメタボの時代である。「クーデターなどすればゴルフも出来ないし、美味しい大吟醸も飲めない」と、石波を皮肉っていた。
   田母神は「越えてはいけない一線を越えた」といって首になった。「越えてはいけない一線」とは、若いときに聞いたような言葉である。石波は「田母神は偏った歴史認識を持っている」と批評しているらしい。田母神は朝日テレビの「朝まで生テレビ」に出演した。最後に視聴者にアンケートを取ったが、61%の田母神支持が出た。「この左のテレビ朝日でさえ、これだけの支持が出たのですから」「偏っているのは石波さん、あなたですよ」と、また石波を皮肉った。
<鳩山郁夫、石波たちは、田母神に料理されたことになる。口からでまかせを言っている人間や、時代の流れに順応することにしか考えない輩は、田母神の餌食になればよい。嘘をつかない人間が一番強い。嘘をつかないということは本来日本人が好きな道徳律で、それを今の時代に実行することは逆に難しい。アメリカで住んでいると、嘘があたりまえで、嘘の洪水の中で何が真実であるかを見極めるための緊張が必要である。日本でも嘘のアメリカ化がある程度進んでいるようである。元々相対的に嘘をつかない文化の中での嘘であるから、その嘘も見破りやすく、またダイナミックさに欠けるようだ。人間はもともと嘘をつくという前提に考えるアメリカでは、裁判における偽証罪は、実際に犯した罪より重くなることがある。>
   田母神解任後の、政府の取った姑息さを述べている。本来11月4日に田母神は防衛省に赴き、離任式を行う予定であった(当時マスメディアから避難するため田母神はホテルに滞在していた)。ところが急遽11月3日の夕方5時に連絡があり同日付けで解任されていることが分かった。つまり、17時間彼が民間人になっていることを知らなかったのである。これは政府の策謀で、田母神が防衛省の職員と接触し、英雄扱いされないためである。仕方なく3日夜、時事通信社で背広姿で記者会見を行った。当時は相当「嫌な思い」もしたが、今となっては「これで良かった」と思えるようになったという。それは、更迭されることにより、日本人の中に「歴史を考える」機運が起きたためである。
   東京裁判史観の話に移った。木庵もこのトピックスについて、ブログで論じてきた。戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた東京裁判についてである。極悪の日本、正義の味方アメリカという観点のスイッチを行ったのが東京裁判史観である。当時検閲がおこなわれた。娯楽といえばラジオの時代に、「子供を投げつけ、銃剣で突き刺した」、「これこれの悪行は何々部隊でなされた、その指揮官は何がしであった」のような話が、毎日のように流れていた。また焚書もなされた。戦前において白人が有色人種を侵略してきたことを書いた本などは焼かれた。地理の本ですら焼かれた。白人国家により植民地にされたことがわかってしまうからである。朝鮮は戦後日本の植民地であったことになっているが、これは企業で言う「対等合併」であった。GHQは戦後「太平洋戦争史」という本を10万部発行し、これにより、「アメリカ大好き」、「日本は侵略国家であった」ことを日本人の頭に刷り込んでいった。東条英機以下28名が東京裁判で訴追された。その訴追された日が天長節(4月29日)、そして7名が処刑された日が皇太子の誕生日(12月23日」であった。これは偶然ではなく、狙われていたのである。
   A級戦犯マッカーサー条例で裁いた本人マッカーサーは、1951年の上院軍事外交合委員会で、日本の戦争は自衛(セキュリティー)のためであったと証言している。東条の弁護士であった清瀬一郎は、事後法で裁こうとしている東京裁判国際法に違反しているとウエッブ裁判長に訴えた。ウエッブは「後で答える」と言っていながら結局裁判が終っても何も答えていない。ブレイクニー弁護人は。「我々は広島に原爆を落としたパイロットの名前を知っている。そしてこの計画を実施した参謀の名前も知っている。そして、命令を出した国家元帥の名前も知っている。彼たちは原爆投下により民間人が死ぬことは分かっていたはず。そのような国がこの人たちを裁くことが出来るのか」。このようなやり取りの速記は中断させられ、裁判記録から削除された。
  南京事件において、1938年11月12日、国民党代表が国際連盟に訴えている。それによると2万人が日本軍によって強姦された(注;殺されたのかはっきりしない)。それに対してイギリスやフランスは、「そんなことはあり得ない」と退けた。当時反日一色であった両国が国民党の言ったことを信用しなかったことを注目しなければならない(注:年代などに不正確なところがあるかもしれない。それは木庵のミスである。メモの段階で正しく聞いていないことがありうる。DVDで確かめることができるが、この段階でその作業をする時間がない。もし後で必要であれば修正する)。
  20万人以上が公職追放された。日本はよい国です、アメリカは悪い国ですと考えていた人が公職の対象になった。特に大学の先生の多くが追放された。東京大学総長になったのはコミュンテルンのスパイだと容疑をかけられた南原繁であった。彼はサンフランシスコ条約批准のとき、ソ連を含む全面講和でなければならないと最後まで主張した人である。また京都大学では無政府主義者の滝川幸辰が総長になった。そして多くの追放者の穴埋めに左の教師が多く採用された。
<戦後の大学が左翼学者によって牛耳られたことはよく知られている。しかし、左翼学者によって教育された人間が、その後の日本の教育界、言論界、政界、マズメディア、経済界にどのように影響を与えたかを客観的に説明できる人は少ない。なぜなら、影響された人によって、現在の日本がリードされているからである。木庵>

つづく