講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#2

講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#2
  昨日私の恩人である上官から講演会のDVDが送られてきた。彼はビデオを撮り、それをDVDにしたのである。敏速な行動である。私は講演の模様をメモに取っていたが、このDVDを下に講演の初めから終わりまでを克明に報告できる。しかし、それも能がないので、重要なポイントを拾い、それに対する木庵の反応を書いてみる。
   田母神を演壇に立たせたまま、カナダのコロンビア、ブリティッシュの大学で日本語を教えている女性が、「何故遠くからロスにやって来たか」のような話をし始めた。彼女は朝日、讀賣、産経などの新聞記事を下に授業を展開しているという。ある日突然、「田母神航空幕僚長更迭」という見出しの記事が各新聞で大々的に報道された。絶好の日本政治文化を知る教材と考え、それらの記事を読んで、学生にレポートを書かせた。内容についての説明はなかったが、それらのレポートを田母神に渡すためにやって来たという。2月23日の中間テストでは、毎日新聞の山田という人が書いた、恐らく投稿記事であると思うが、「どんなに批判があろうとも、田母神ラブコールやまず」という記事を読ませ、「その理由はなぜか」という問題を出した。女性大学教師の話を最初にもってくるとは、主催者も粋なはからいである。
   次に主催者を代表して、I氏が挨拶をおこなった。面白いことに、彼の挨拶の時、田母神を壇上から降りてもらうことになった。それを女性の司会者がいかにも「失礼します」と慇懃に言うものだから、逆に会場の笑いを誘った。Iの話の要約は次のようである。「270の席は20日までに満席になり、それから断りの電話の受け応えに大変であった」「麻生支持率が急降下していくなかで田母神の支持率が上がっているのは、何をや言わんや。田母神の評価も上がり、田母神氏への期待が膨らむ」
 
  田母神は壇上にまた戻った。Tは壇の下のマイクを使って、田母神の紹介を始めた。
「エリック・シンセキという日系ハワイ出身の退役陸軍参謀総長のことは皆さんはよく知っておられるでしょう。それに匹敵する日本空軍参謀総長であられた田母神氏のことを、『将軍』または『閣下』とお呼びするのが当然なのですが、親愛を込めて『田母神さん』とお呼びして宜しいでしょうか」と、壇上の田母神に語りかけた。
「結構です」
元上官と部下との阿吽の呼吸である。Tは元部下に対して『田母神君』と言ってもよいのであるが、航空自衛隊の最高位についた人間に対して礼をつくしたのである。
「田母神さんは福島県郡山市の出身で、生まれ故郷の辺りには田母神神社が多くあります。田母神神社には、大宰府天満宮に祀らえている学問の神様菅原道真と匹敵される、武の神様と称される坂上田村麻呂が祀られています。私は防衛大学一期生で、彼は15期です。私が沖縄防空ミサイル基地の部隊長をしていた時の、部下です。2年間行動を共にしていたのですが、当時から頭がよく大物になるだろうと思わせるほどの青年将校でありました。彼が新しい任地に赴任するとき、私にシャープペンシルをプレゼントしてくれました。覚えていますか」とペンを田母神と聴衆に見せた。
「覚えています」
「ちょっとムリをしていますね。では講演をお願いします」



「ただ今、拍手をして下さった方のみに、『ありがとうございます』と篤くお礼を申し上げます」。聴衆はどっと笑った。
「12月3日に首になり、それからテレビや新聞でひどいことを書かれ、そのために背がこんなに小さくなりました」
自衛隊では悪いことをして首になった人は多くいるのですが、夜中に首になったのは私だけです」
最初に畳み掛けるように笑いを誘い、完全に聴衆を引き付けてしまった。彼の考えがよいか悪いかは別にして、これほど話術に長けた講演者も珍しい。アメリカの政治家にしてもタレントにしてもまず笑いを誘うことが大事である。案外田母神はアメリカ的なユーモアのセンスがあるのではないか。アメリカで活躍しているある日本人タレントの話を聞いたことがある。彼によると、世界で一番笑わせるのが難しいのは日本人であるという。アメリカ人は子供のときから笑いをコミュニケーションの要素としてとらえる文化の中で育ち、笑いに対する受容性がある。ところが日本では笑いは軽薄なこととして捉えるところがあるので、日本人を笑わせるのはとても難しい。彼のいうことが正しければ、田母神はこれほど日本人聴衆を笑わせたのだから、笑わせる術に関して天才なのかもしれない。
「私は日本はよい国と言って首になったのですが、与党である自民、公明、それに野党の民主党はどのような審議でも一致したことがないのですが、私の首に対して見事一致したのです。やれば出来るじゃないですか」
  アパーグループの懸賞論文最優秀賞を貰ったいきさつについて述べていた。毎金曜日定例記者会見があるが、一切受賞に触れる質問がなかった。会見の後一人の記者が廊下で、「賞金が300万円らしいですね。その金はどうするのですか」と質問してきた。そこで、田母神は「皆さんにラーメン2杯おごります。ネギとチャーシュをつけて」。当時誰も問題にしなかったことを力説していた。
「アパーグループのパーティーで鳩山郁夫氏と同席したことがあったのですが、私が首になってから、『そこには行ったことは行ったのですが、話が合わず中座しました』なんて言っいるのですから。彼はボリューム一杯の食事を完食していましたよ。それに結構楽しんでいましたね。彼はここだという時は、逃げますね。信用できません」
  <結構際どい、人物批評である。木庵は講演会のあと、田母神と直に接し話をしている。嘘をつくような人ではない。実直な自衛隊のトップが政治の舞台で、嵌められて更迭されるからくりがあったのはすぐに分かる。それほど政治の世界は、自衛隊制服武士集団とはかけ離れたものである。自衛隊制服組も聞くところによると官僚化した人間がいるらしい。少なくとも田母神は武士集団の代表であることは間違いない。Tという人間を私はよく知っているだけに、Tを慕ってロスまでやってきた田母神にまっすぐな人間像を発見した。逆にこのようなまっすぐな人間が自衛隊の最高に上り詰めたことこそ、奇跡のようにさえ思える。>

   5年前、中国を訪問した時の話である。自衛隊では20代前半、30代前半、40代前半にそれぞれ幹部エリートのための特別教育がそれぞれ約1年間なされる。田母神は、40代前半のために設置さえた学校の校長をしていた。そして学生20人を連れて中国を訪問した。国際的な慣例から田母神は中将であったから中国側も中将が対談に応じた。30分の会談の予定であったが、中国の中将はとうとうと過去の不愉快な歴史を語りだした。彼は旧満州で育ったのだが、両親から日本軍の残虐性をいつも聞いていて、忘れることは出来ないという。10分たってもまだ話している。聞いているうちに田母神は頭にきて、
「ちょっと待ってくれ、満州は1933年から15年という間に、日本が色々と開発して、税金も安い、治安もよくなった。そのため、3000万人から5000万人と人口が増えたのだ。年間100万人増えたことになる。日本軍が貴方の言うように残虐な行為をしたのなら、それほど人口が増えるはずがないではないか。日本がそれほど悪いことをしたというなら、イギリスは日本より5倍も10倍も謝らなければならない。そう言うと、『歴史認識の違いを越え、軍の交流をしましょう』ときた。その後レセプションがあったのだが、意地悪をするのですね。本来私の中将に合わせて相手も中将が接待するのが普通であるのに、中国側は大佐1名、少佐2名、それに中尉がやって来た。不愉快という意思表示を示したのですね。
  それにホテル滞在中、奇妙なことが起きるのですね。NHK衛星放送を観ていたのですが、アナウンサーが『天安門』といったとたんにテレビが消えてしまうのです。次の日も同じことが起きるのです。電源ごと切れるのです。日本とかアメリカではフロントが電源を切ったりするのですが、中国は進んでいますね。これは6月のことで、我々の返礼として7月に中国側が日本に来ることになっていたのですが、来れないというので、教育課長が困っていたので、課長に言ってやりましたよ。『中国大使館に行って、二度とくるな』と言ってやれと。結局直前になって来ましたがね」
<木庵も北京のホテルに二泊して、NHKの衛星テレビを観たことがあったが、田母神のような経験はしていない。>つづく