櫻井よしこ、異形の大国中国#11 

櫻井よしこ、異形の大国中国#11
  江沢民訒小平の支持によって権力の座に着いたのは周知のところだ。訒小平は同時に胡錦濤を、ポスト江沢民の指導者として指名した。訒小平によって引き上げられ、支えられて誕生しただけに、江沢民前主席も胡錦濤を無視するわけにいかない。
  だが、権力者は権力に脅える。93年に国家主席に就任した江主席は、94年秋までに訒小平認知症の症状を示し始めると、訒小平の影響力の排除に努めた。訒小平が目をかけた人々を様々な容疑で摘発して、一部を死刑に、或いは長期の刑を科して黙らせ、権力基盤を固めた。10年後、国家主席の地位を胡錦濤に譲る際、江は後継者の手を縛れるだけ縛った。党の最高指導部を構成する政治局常務委員、9名中5名を子飼いの部下で占めた。胡主席は現在に至るもいわゆる「少数与党」的な立場に立たされているわけである。また02年の全国人民代表大会では、中央委員会政治局全員の決議で、「今後も重要な問題は江沢民同士に諮って解決する。彼の決定を基準とする」ことを確認した。
  だが、胡錦濤路線はすでに、明らかに江沢民路線から外れている。江前主席は「三つの代表」の考えを打ち出した。中国共産党は1)先進的な生産力、2)先進的な文化、3)広範な人民の利益を代表するとの考えだ。最も重要なのが、中国共産党は、先進的な生産力の代表としての私営企業家をはじめて党員として迎え入れるという1)の点である。これは酷い結果を生み出した。中国共産党員は全人口の5%にすぎないが、私営企業家の約3分の1が共産党員である。彼らの殆どは、国営企業の経営者だった共産党員で、MBOを通して、一夜にして国営企業を我が物にし、私営企業家に成り上がれたのである。MBO(Management buy-out)とは、経営者が自社株を買い取る仕組みである。国営企業の資産は中国国民の共有財産である。にもかかわらず、「三つの代表」政策を推進するなかで、多くの共産党幹部らは不当に安い価格で自社株を買うことができる。彼らに資金を貸し出すのはこれまた中国共産党が支配する金融機関である。共産党幹部等は資本調達の苦労もなしに、文字通り労せずして自分の担当する国国営企業の株を買い、一夜にして私営企業のオーナーとなった。共産主義の旗の下で、限りない国民財産の横領が繰り広げられているのである。こうした成り上がった人々が現在の中国のエスタブリッシュメントである。その代表が江沢民一族であり、氏の長男の江錦恒である。胡錦濤は、江沢民路線に対抗して、03年には科学的発展に基づいた国家の構築、04年には調和社会の構築を打ち出した。世界中の資源を暴食する中国を、省資源型の国家に作り変え、富める者は尚富み、権力者は尚権力を強める社会で打ち捨てられてきた農民や貧困層に、富を分配していこうという政策である。
   路線の違いが、自身と自身の一族の命運に直結するだけに、双方の争いは利権と全命運をかけた血みどろの様相を呈する。そうした中で、対日融和の姿勢は政治的な隙となり、そこにつけ込まれかねない。二つの勢力の中で、対日政策が常に政敵の足を引っ張り、政界から葬り去る材料とされてきたのは、85年の中曽根康弘首相の靖国参拝を問題視した時から明らかであった。
   折しも、「江沢民文選」全3巻が出版され、「(日本に対しては)歴史問題を終始強調し、永遠に話していかなくてはならない」と書かれている。ちなみに、同「文選」には「日本軍国主義者は非常に残忍である」「日本の侵略軍は殺人刀(屠刀)の下で3500万人の中国人が死傷した。日本軍国主義の徹底した清算は未だに行われていない」などとも書かれている。中国の対日政策の司令塔と見做すべき人々は皆、江沢民の対日強硬路線の枠の中にいる。胡錦濤主席とて、現在は同じである。
   胡錦濤は対日政策を変えつつあると思われるが、江沢民前主席と比較で胡錦濤主席が、民主的で好ましく親日的にもなり得るなどと甘く考えないほうがよい。そもそも胡錦濤訒小平に気に入られたのは、1989年のチベットの乱のときに、党中央の支持を待つことなく自ら鉄兜を被って戦車に乗り込み、大弾圧の先頭に立ったためである。僧やインテリを無残に殺したその弾圧の功によって、彼は訒小平に注目された。異民族に対する血塗られた弾圧が彼の最高権力の地位への出発点であったのだ。到底、我々が考える民主的な指導者ではありえないのである。

   中国国内の権力闘争がひとつの山場を迎えている。中国共産党が06年9月24日、上海市トップの陳良宇政治局委員を解任したのである。陳は江沢民に連なる「上海閥」の有力メンバーの一人だ。この解任は胡錦濤江沢民一派の権力排除に向けて大きく動き出したことを意味する。
   東京新聞編集委員清水美和は次のように語っている。
「江氏は訒小平が目をかけた北京市の党委書記、陳希同をまず槍玉に挙げたのです。陳は党政治局委員という非常に高い地位にありました、江氏はこの高位の人間を摘発し、さらに陳の盟友で訒小平の国有企業改革の模範的ケースとされた首都鉄鋼のトップの周冠五を汚職で摘発しました。その息子の周北方も逮捕して死刑判決を出しました。死刑は執行しなかったけれど、これは関係者を震え上がらせた。周北方のビジネスパートナーは、訒小平の息子だったのです」
  これが95年のことである。江沢民はこうした形で訒一族に「死の恐怖」を味わせて沈黙させた。そして、前述したように、訒小平はなす術もなく、認知症のまま、97年2月に死去した。

  これも前述したように、江沢民は03年に国家主席の地位を譲ったが、自分の手下を要所々々に置いて去った。胡錦濤は、国家主席に就任したものの、最高権力集団は5対4で江派の力が強い、胡は少数派であり続けた。にもかかわらず、江派の陳良宇を解任が可能になったのは、江派実力者で国家副主席の曾慶紅が江沢民と袂を分かち、胡錦濤と手を組んだと分析されている。

   中国の権力闘争の結果は日中関係にも大きな変化を及ぼす。江沢民政権が力を入れていた反日教育反日外交から、より柔軟な対日外交へと変化する可能性もある。胡錦濤江沢民政権のような対日強攻策では中国の国益は守り得ないことを知っている。その意味では、胡錦濤が権力基盤を固めることが出来れば、対日外交も現実的に、よりスムーズに進めようとするだろう。

支那の、訒小平以降の権力構造の移行が大分理解出来た。権力の移行により利権の移行も行われる。少なくとも自由主義諸国においては、法律という枠の中で動かなければいけないので、権力闘争も支那ほど血なまぐさくない。和辻哲郎が指摘したように支那文明の特徴は無政府状態である。権力闘争も一族の利権、生存のために必死である。恐らく、我々日本人には到底理解できない権力闘争が現在も行われているのであろう。木庵>

   中国の週刊紙「冰点」は,06年1月24日、中国共産党によって突然停刊処分にされた。袁偉時教授の論文、「近代化と中国の歴史教科書問題」を掲載したことが理由とされている。同論文は日本に対して非常に厳しい視点で書かれているが、従来の中国政府や学者たちの一方的な主張とは根本から異なる。袁は、長年来、中国大陸の近代化研究と教育を支配してきた論調は「個別の歴史学者が革命宣伝の主張に呼応したもので、不幸にもイデオロギー化」したものだと指摘する。「イデオロギーの抑圧は学術まで飲み込」み、イデオロギーに固められた歴史研究は貧困の一途を辿り、政治は歪曲され、国の未来は負の影響を受けているというのだ。「多くの人が嫌悪を催しているが、諸条件に制約され、泣き寝入りし沈黙するほかない」現状を、袁は痛烈に批判している。中国の正当性、中国共産党の正当性を強調する余り、中国の歴史教育では事実を歪曲し常に中国が正しいとの主張を教えてきた。それがどれほどの知的貧困を生み、政治をねじ曲げてきたかという告発である。
   「『愛国』を看板に騒ぎを起こし、その誤った主張と愚考に同意しない人に『西洋の奴隷』『買弁(外国資本の手先)』『漢奸』などのレッテルを貼りつける」と袁は指摘している。
   教科書について、袁は、1840年のアヘン戦争と11899年の義和団事件を軸に検証している。双方とも外国人の一方的侵略で中国人はひたすら善なる被害者という位置づけで教えるのは間違いだと主張している。

つづく