櫻井よしこ、異形の大国中国#8

櫻井よしこ、異形の大国中国#8
   櫻井の次の記述に興味がある。

   06年3月中旬、櫻井はモスクワで開かれた「新しい日露関係第二回専門家対話」に出席している。彼女は実感している。「石油価格の高騰でかつてない好景気を享受し、自信満々のロシアが、中国に最新式の戦闘機や潜水艦その他の装備を売却し巨額の利益を得ながら、中国の軍事力、人口圧力、経済力に恐れている姿は興味深かった」。
   中露関係の現在の特徴は、04年に決着した両国の国境争いから見えてくる。両国は18581年の愛琿条約、1860年の北京条約によってアムール河とウスリー河を国境と定めた。ロシア帝国清朝が結んだ上の二条約は、中国にとっては屈辱だった。第二次世界大戦末に、ソ連が日本から北方領土を無法かつ軍事的に奪ったように、ロシアは西欧列強の前になす術もなかった清朝に迫り、清朝不利の国際線をのませたのだ。岩下明裕の「北方領土問題 4でも0でも、2でもなく」(中公新書)には、中ソ両国が国境地帯で繰り返してきた紛争、虐殺、交渉、挫折が詳述されている。興味深いことに、日本の満州進出で国境線は満州に有利な形でソ連側に押し戻されたが、日本の敗戦でソ連満州に攻め込み、両河国境に浮かぶ2500もの島々の多くをソ連領とした。そして、89年のベルリンの壁の崩壊、91年のソ連崩壊によって状況はまたもや一変した。訒小平社会主義の総本山、ソ連の崩壊という混乱のなかで生き延びる方法をただひとつ、経済力の強化だとして改革開放路線の一層の推進を指示した。世に言う南巡講話である。この指示が4000キロ余の国境を接するロシア極東への中国の接近を促進したのだ。
   92年以降、ロシア極東と中国との、人とモノの流れは倍増した。特に中国側から多くの人口が流入した。ちなみに、ロシア極東の人口は当時800万人だが、ソ連解体後、移住の自由が許されたために、この10年で100万人も減少した。他方、一億を越える中国東北部の人口は河を超えてロシア側に移り始めた。ロシアの極東での中国人の増加は現在も顕著で、一世代後には“人口力”によってロシア極東は事実上中国領土になると、ロシア知識人らは心配し、深刻な声音でこう語るのだ。「われわれは、中国人よりも日本人に来てほしいのです」。
  極東ロシア人の中国脅威論は、大挙して押し寄せる中国人を見ているだけに切迫感がある。住民の反中国感情は高まり、中国に領土を譲る形での国境画定には強行な反対論が起こった。ロシア外務省はこうした中で中国との国境画定交渉を続けた。
  04年10月14日、プーチン胡錦濤は、突然、中露国境問題は完全に解決したと発表し、世界を驚かせた。解決法は「フィフティ・フィフティ」と呼ばれ、係争領土の面積を半々に割り、領土面積のみならずその他の利益も双方同等に考慮したといわれている。
  だが、両国政府は合意内容の詳細の発表を当初控えた。中国側は特に厳しく報道を規制したが、それは「譲りすぎ」「敗北外交」と批判されることを恐れた結果だと言われている。そうした批判が更に政府批判へと傾くこと恐れているのだと見られている。
    中国政府が恐れる国民の反発は、ロシア政府にとっても同様だ。05年11月来日したプーチン北方領土問題は解決済みという姿勢を維持した。北方領土国際法によってもロシア領であると確認されていると、事実無根の挑発的な発言も行った。プーチンの強硬発言の意味をロシア側はこう解説する。
「中国との国境線画定でプーチン大統領は中国に譲り、今また日本に譲るのかと疑われるのを避けるためにも、強硬発言が必要だった。だがそれは空論ではなく、ロシアの本音そのものだ。日本に北方領土を返す確率はゼロ、全くのゼロだ」
   可能性ゼロとは、日本人の感情を著しく害するものだが、なぜ、中露国境問題の解決は可能であったのか。要因のひとつは、過去半世紀以上、中国側が文字どおりひとときも領土問題を忘れずに両国国境の河に浮かぶ2500余の島々の実行支配に腐心してきたことである。中国の手法は南シナ海西沙諸島南沙諸島で既に明らかだ。口実を作り、多くの島々に軍事拠点を築きあげ、実績を作った上で話し合いを持ちかけるか、話し合いは中国の軍事的支配という既成事実に影響される。こうして南シナ海は事実上、中国の海となった。
   もうひとつの要因は、中国に対するロシアの恐れである。中国の国家目標は清朝の支配した領土の復活である。そのような中国に対して、中国が強大になりすぎる前に手を結ぶのが得だとロシアが判断したとの見方もある。
   中国にとって、清朝の時代も、それを倒した中華民国の時代も、さらに中華民国を倒した中華人民共和国の時代も、ロシア或いはソ連は、常に恐るべき脅威だった。それが今対立を乗り越えて、長年争ってきた国境問題を決着させた。さらに05年8月下旬、両国は大規模軍事演習も行った。中国にとって、ロシアの脅威は消え去ったのである。したがって中国は南シナ海から東シナ海へと活動範囲を広げ、制海権を固め、海底資源獲得に乗り出す或いは台湾統一に、全力を注ぐことが出来るのだ。こうしてみると、彼らは東シナ海で容易に日本に譲ることはないと考える方がよい。
    「内心で中国を恐れるロシア、中露ともに最重要の国は米国、ロシアが最も好むのは日本人、ロシアが最も切望しているのは日本の援助、そして日米は同盟国、こうしたことを忘れずに、日本の実力を信頼して、その力に見あった筋の通し方を、今は心がけることだ」と櫻井は結論づけている。

<櫻井は、中露が領土で決着がつき、そのため南シナ海から東シナ海の中国の圧力が増したと述べている。勿論そうなのだろう。しかし、木庵は中露が領土で決着などついていないと思う。両国ともしたたかな国、一時の妥協であろう。いつでも条約を反故にする国である。ただ支那にしてもロシアにしても国境問題は国民を集結する一番大事な問題である。国境線拡大は国力の増大と比例するという考えをもっている。だから、プーチン胡錦濤との会談により領土問題が完全に解決などしていないと見たほうがよいであろう。木庵>

「マオ」が伝える中国の巨悪
   <木庵が大学生の頃、毛沢東はヒーローであった。エドガー・スノーの著作だったと思うが(スメドレーかな)、「中国の紅い星」には、思慮深く、中国の人々の心をつかみ、革命を遂行した偉大なる毛沢東が描かれていた。毛沢東が著した、「持久戦」、「矛盾論」を読んで、労働者を主体にしたるロシア革命とは違い、農民、農村から革命を広げていった毛沢東の着想のユニークさに、東洋的展開であると思った。ところが近頃の「マオ 誰も知らなかった毛沢東」(著者ユン・チアン)などを読めば、ヒトラースターリンより悪者だということが分かってくる。櫻井も毛沢東の悪行を次のように書いている。木庵>

  毛は7000万人以上を死においやったとされるが、このおぞましい人物は農民らに「大量死に実用的な利点まで見出し」「死は結構なことだ、土地が肥える」(1958年12月9日の発言)と語った。その結果「農民は死人を埋葬した上に作物を植えるよう命じられた」という。
  櫻井は特にユン・チアンの「マオ」についての記述を多く参照している。
 
  同書の中で日本は必ずしも好意的に扱われているわけではない。にもかかわらず、同書は日本と日本人にとって、一方的に日本を加害者と談じた戦後歴史観を根底から変える貴重な一冊ともなる。その場合、注目すべき論点は二つあると考えてよいだろう。
  第一点は1928年6月の張作霖爆破事件である。日本軍の犯行とされてきた同事件は、実はロシアが日本軍の犯行に見せかけて行った謀略作戦だというのだ。第二点は1937年7月の盧溝橋事件以後の動きである。中国側がおこした盧溝橋事件が日本政府の「事件不拡大」方針及び蒋介石国民党政権の慎重姿勢にもかわらず、短期間に日中全面戦争に拡大した背景に、中国共産党のスパイの暗躍があったというのである。
   「マオ」の中でチアンは、日本を悪者とするステレオタイプの視点から脱けきれていない。例えば南京事件について、「30万人虐殺」説が検証済みの事実であるかのような前提で書いている。その冷たい視線で日本を見る著者が、十余年の調査と取材の果てに得た結論であるからこそ、張作霖爆殺はロシアの仕業であり、日中全面戦争は日本軍の暴走よりも中国共産党の策略だったとの指摘は、より重要な意味を持つのである。
つづく