櫻井よしこ、異形の大国中国#7

櫻井よしこ、異形の大国中国#7
  自覚せよ、外交は冷徹な計算だ

  「民主主義は単なる政体の形を超えて、我が国の国柄の精髄である」
米国のブッシュ大統領がこう語れば、インドのシン首相も応えた。「民主主義と人権への情熱的誓い、法の前の平等原則への尊敬、言論と信条の自由への配慮が、我々をして一筋の道の同じ側に立たしめる」。ブッシュ大統領はさらに「我々は共通の価値観に基づいて戦略的パートナーシップを打ち立てた」と謳い上げた。01年、「中国はアメリカの戦略的パートナーではない」と明言したブッシュ大統領が、その重要なキーワード「戦略パートナー」を、正式にインドに捧げたのである。
   06年3月1日から5日までのブッシュ大統領アフガニスタン、インド、パキスタン訪問は、米国のアジア外交が大きくインドに傾斜し、中国との対立構図にさらに一歩踏み込んだことを示した。
    1970年発効のNPT(核拡散防止条約)は、米英仏露中の5カ国を「核兵器保有国家」と認定、それ以外の国には、IAEA(国際原子力機関)による核関連施設への査察受け入れ義務づけている。インドは、NPTに加盟せず、独自に核を開発した。現在、インドの核関連施設は、稼働中の原子炉15基、建設中の原子炉7基を含めて多数に上る。ブッシュ大統領は3月2日、インドに民生用核開発で協力することを表明。シン首相も「IAECとの協議を進め、インド仕様のセーフガードを組み立てる」と語った。
   NPTのルール破りのブッシュの決断には、当然次の訪問国パキスタンで早速表面化した。ムシャラフ大統領は、インドに与えたのと同様に核関連技術の提供を申しいれたが、断られた。ブッシュ大統領は、「印パ両国は異なる国であり、そのニーズも歴史も異なる。米国戦略は、これらの広く周知されている相違に基づいて推進される」という素気ない回答で片づけた。相違とは、パキスタンはインドほど信用出来ないという意味であろう。周知のようにパキスタンのカーン博士は核技術を秘密裡に世界に拡散させた。また、ムシャラフ大統領は軍人であり、大統領職に在るからといって正当な選挙で選ばれたわけではない。会議の席でブッシュは07年に予定されているパキスタンの総選挙が「公平で正直なものでなければならないということを、大統領自身も理解しておられる」と述べた。
  わずか4年ほど前の02年、米国がどれほどパキスタンに感謝していたかを想えば、まさに「物事」も「時代」も変わったのだ。9、11以降のテロとの戦いでは、まず、アフガニスタンタリバンが敵となり、その際にパキスタンの協力は米国にとって死活的に重要だった。しかし、現在の脅威は中国なのだ。中国に対処する十分な力の基盤を売るには、インドを取り込むしかない。幸いにもインドは民主主義と自由の国である。ここで順番を間違えてはならないのは、国際政治の離合集散は、価値観によるよりも力によりがちだという点だ。たとえば71年、米国はソ連に対抗するため、パキスタン経由で社会主義の中国に接近した。自由と民主主義の国で同盟国の日本は、米中接近のニュース発表の3分前まで知らされず、同じく自由と民主主義の国インドも置き去りにされた。その結果インドが旧ソ連に接近したのは周知のとおりだ。
   今回、双方が「歴史的」と讃える接近を果たした米国とインドが、民主主義、自由、人権の尊重を基盤にする国家であるのは、皮肉ではなく、幸いなことである。

   米印関係の緊密化は、日本にとっては好ましい展開だ。アジア全体に脅威をもたらす中国に対して、力のバランスをとり易くなるからだ。だが、米国がいつでも日本の側に立つとは限らない。米国政府はその歴史のなかで必ずしも中国の“真の姿”を見る努力をしてきたわけではない。そして、米国の、事実への理解の欠如は、日本を苦境に追いやった。
  中国に傾いた米国が日本に煮え湯を飲ませた事例が、J・A・マクマリーという米国の外交官が書き残した、「平和はいかに失われたか」(原書房)の中に詳述さえている。1935年の秋に上の著作を物したマクマリーは、日本がアジアを戦争に追い込む悪役と見做した当時の米国の考えは間違いで、米中両国こそが「日本を知らず知らずのうちに、いまや米中両国に脅威を与えている攻撃的な国につくり変えていった」と主張し、それを裏づける多くの事実を、綿密な分析で描き出した。だが米国人は「中国への情緒的コンプレックス」(ジョージ・ケナン)故に、中国をありのままの姿で見詰めることが出来ず、日本を憎む熱病のような空気に染まっていった。その先に第二次大戦がある。
  第二次世界大戦の後、朝鮮戦争ソ連との冷戦の中で、中国の扉を開けたのはニクソン外交であるが、ニクソンの密使としてキッシンジャー国務長官が水面下で周恩来首相と交渉した。その間、同盟のパートナーである存在は軽く否定された。例えば両者の機密会談の初日、1971年7月9日にキッシンジャー周恩来に「強い日本と強い中国を比較すると、強い中国は伝統として膨張主義者ではないと信じます」と語っている。周恩来は「新中国が膨張主義者に与しないとおっしゃる点では(あなたの発言は)正しいものです。(中国は)日本と同じではありません」と相槌を打っている。
   キッシンジャーは日本が強くなれば膨張主義に走る。日本はすでにその経済的基盤を持っていると指摘したうえで、「我々と日本との防衛関係が、日本に侵略的な政策を追求させなくしている」とも語っている。つまり日米安全保障条約こそが日本の暴走を止める機能を果たしているというわけである。さらにキッシンジャー周恩来に向かって言った。「総理、日本に関しては、貴国の利益と我々の利益とはとても似通っています」と。
   会談から30年後に情報開示されたこの機密会談録から見えてくのは、まず、米国にとって一体、日本と中国のどちらが同盟国なのかと疑われて当然の、米国政府の中国への偏りである。もう一点は、キッシンジャーニクソンも、中国の実態を知らずに中国への接近を始めた点である。キッシンジャーは繰り返して、中国は膨張主義に走らない国だと、周恩来に述べている。
  中国に媚びるような一連の発言は、あの会議から37年後、中国の軍事的膨張が国際社会の憂慮する事実であり、米国防総省も中国の軍事力増強に警告を発しているいま、明確な間違いであったことが明白である。
   両者の会談が行われる以前から毛沢東周恩来の下での中国は軍事力増強を国家の基本政策としてきた。毛沢東大躍進政策を開始した直後の1958」年6月28日「世界は我々が支配するとき初めて平和になる」と語り、続く8月19日には「将来は地球管理委員会を設立し、地球全体の統一計画を作ることになろう」と語っている。米国はようやく、ブッシュ政権の下で、中国脅威に目を向け始めた。だが、それも長続きするとは思えない。08年2月現在、米国では共和、民主両党の大統領候補選びが進行中だ。共和党はマケン氏にほぼ確定したが、民主党ではオバマクリントン両氏の烈しい闘いが続いている、三氏の外交政策は明確に異なる、クリントン氏は21世紀の最も重要な二国間関係は米中関係だと明言し、オバマ氏も米国のアジア政策は二国間の枠を超えて多くの国々を包含する総括的な枠組みを基本とすべきだと説いている。そのとき、アジアでリーダーシップをとるのは中国だとも語る。両氏ともに、日本には殆ど注意を向けず、中国を重視しているわけである。両氏と全く異なるのはマケイン氏である。平たく言えば、クリントンオバマの両氏は中国重視、マケンし氏は日本重視の外交政策を打ち出すことが見てとれる。
  
  <以前でも述べたが、この本は賞味期限が切れている。008年2月にこの本が書かれた状況と現在09年2月18日とは世界情勢が違う。支那脅威論が大分薄らいだのではないかとおもう。支那は今膨張よりも、国内問題、特に経済問題に躍起である。アメリカも経済優先である。その証拠にクリントン国務長官は外遊の最初に日本を選んでいる。今のところ日本が重要な国であるとのリップサービスをおこなっている。アメリカがアジア政策の中で支那を中心にすえるか、日本を中心にすえるかは、アメリカ国内情勢、アジアの情勢によって決まる。要するに流動的である。櫻井はキッシンジャー支那よりの発言をアメリカの支那よりと判断しているが、そのような単純なものではない。当時ソ連脅威がまずあって、そのために支那を取り込んだにすぎない。ソ連崩壊した現在、米は支那をアジア情勢の中で一番大事に考えていることでもあるまし。これも流動的である。元々アメリカは日本も支那についてもほとんど知ろうとしていないし、知っていない。時代、時代のアメリカの都合の良いように動いているだけである。そのときに、アメリカはアジアのことを知っていないので、アジアからやってくる多くのそして強い情報に影響されるだけである。かつて蒋介石の妻宋美麗がアメリカに流した情報とか、近頃の反日中国団体の情報に誑(たぶら)かされているように。木庵>
つづく