櫻井よしこ、異形の大国中国#6

櫻井よしこ、異形の大国中国#6
   #5の最後に書いたことを繰り返す。岡本行夫は「首相の参拝は『現在も軍国主義DNAを持つ日本の象徴』 として中韓両国に受け止められていると憂慮する」と発言した。それに対して、櫻井は次のように反論している。
   戦後60年間、日本は一度も軍事力を持って他国に脅威をもたらしたり攻め入ったことはない。他方、中国はまさに軍国主義の道を歩んできた。1949年建国直後にチベットに軍事侵攻し中国領とした。50年から3年間、朝鮮戦争北朝鮮と共に韓国を侵攻した。54年から55年まで台湾海峡蒋介石の国民党軍と戦った。59年、僧侶たちに大弾圧を加えチベット動乱をひきおこした。62年にはインドと、69年にはソ連と、国境を争って戦った。70年代にはベトナムと戦って西沙諸島をとり、79年にはベトナムを懲罰するといって侵攻した。80年代には南沙諸島を軍事力で脅かし、95年には南沙諸島のフィリピン領有の島を占拠し、軍事施設を構築した。そして現在も、東シナ海には中国海軍の軍艦が遊弋する。こうしてみると、岡本氏の指摘する「軍国主義のDNA」は、日本ではなく中国側に顕在する。
   ここで、櫻井は柳田國男の、日本人の宗教観と、江藤淳の日本文明論を紹介している。
   日本人の宗教観の根底には、死者の肉体が滅びても、霊魂は日本の国土の周囲にとどまり子孫や生者を見守っているとの考えがある。江藤淳は日本文明の柱を「死者の文化」と表現し、「日本人は生者のことだけを考えている民族ではない」と書き残した。日本のために戦い、若くして子孫も残さずに亡くなった霊は、当初は親兄弟に弔ってもらっても、時間の経過のなかで、やがては忘れられていく。彼らの魂を慰めるため、いかに時が移っても忘れられる心配のない地を、日本人は創り出した。それが民間の有志が全国各地に建てた招魂社であり、各地の招魂社であり、各地の招魂社を統合して生まれた靖国神社である。

反日靖国王毅中国大使の嘘

  <王毅が嘘をついたことを、櫻井は「A級戦犯」合祀の問題を絡めて書いている。ここではことさら論じることもあるまい。何故なら、支那は嘘つきの国だからだ。駐日大使という小物外交官が支那政府の指示に従って、嘘をつくのは当たり前。木庵は王毅が日本のあるジャーナリストと対談していたビデオを観たことがある。何か気の毒にみえた。自分の言葉では喋れない中共の役人の悲哀を感じた。貧しい家庭で育ち、家を助けるために一生懸命勉強し、それも日本語を勉強したのであろう。心の底では日本国の素晴らしさ、日本人の素晴らしさを感じているのだが、小役人の定め、自分の思いと国家の意思とのギャップを感じながら、国家の嘘を平気で言わなければならない。そのような罪の意識もないであろうが、嘘を言う者の弱さを感じた。強者とは自分から発するものを自分の言葉で言う人間である。ところが、王毅の表情に弱さを感じた。ということは、今後彼はこれ以上の出世出来ないであろう。出世するような人間は嘘の裏に弱さを見せないものである。あつかましさが必要である。少なくとも王毅には良心の呵責のようなものが少し見えた。ということは、もはや、権力の中枢から外れる運命である。彼のその後の動向について知らないが、それが木庵の直感である。だから王毅の嘘の話など興味がない。

中国で噴出する自由の渇望
  06年2月15日に開かれた米国下院の公聴会で、中国の徹底した情報統制の現状と、米国のヤフーグループといった強力なインターネット検索企業が中国政府の言論弾圧に関わっていることへの強い不満が噴出した。公聴会の委員長を務めたクリストファー・スミス議員は、米国の技術が、中国政府が国民を冷遇非情に弾圧し搾取することを可能にさせていることを指摘した。
   ヤフーが中国の秘密警察に提供した情報によって、05年4月には「中国商報」の記者・師濤氏が投獄された。それ以前の03年12月にも別の人物が「政府転覆」を図ったとして8年の刑を言い渡されたが、この人物は何年も前から国際社会でも広く知られている中国の地方役人の腐敗振りについて、オンラインで論じただけだった。なぜヤフーは人々の情報を中国政府に提供したのか、ヤフー側は、仕事先の国の法律や習慣には従わなければならないと主張した。ヤフーが弁明にもちいた企業の論理にスミス議員は反論した。「 60年前、もし秘密警察がアンネ・フランクの隠れ場所を尋ねたら、その国の法律に適合するために、正しい答えを当局に渡すべきだと言うのか」「我々は抑圧者の側に立つのではなく、非抑圧者の側にこそ立たねばならない」
   公聴会に呼ばれたグーグル、ヤフー、シスコシステム、マイクロソフトの各企業は「中国政府が秘密警察とプロパガンダという全体主義国家体制を支える二本の柱を打ち立てることが出来るよう教唆し、助けた』と弾劾されたにもかかわらず、有効な反論は出来なかった。

   一方中国国内にも、言論、表現の自由を求める見逃せない動きがある。中国共産党元宣伝部長だった人物ら13名が、週刊紙「冰点(ひょうてん)」の停刊処分に抗議声明を発表したことはそのひとつだ(「産経新聞」2月17日)、同紙は中国共産主義青年団機関紙「中国青年報」の付属週刊誌で、発行停止に抗議した編集主幹の李大同氏と副編集主幹の盧躍剛氏が解雇されたが、新聞自体は3月から再び発行を許されるそうだ。新しい人材、恐らく中国共産党に対して従順な人物らに置き換えられることによって、「冰点」はもはやかつての「冰点」ではなくなるだろう。それでも、政府の決定した発行停止や復刊に元宣伝部長職の幹部らまでが抗議したことの意味は大きい。大きな地殻変動はすでに地層深くで始まったといえる。
  「冰点」問題を端を発して、今では党宣伝部を解体せよとの主張も出てきた。党宣伝部こそ、情報操作の総本山だ。北京大学助教授の焦国標氏は、「中央宣伝部を討伐せよ」と言う著書を物し、04年に邦訳が草思社から出版された。氏は同書出版のあと、北京大学を辞職に追い込まれた。06年春には日本を訪れる予定になっていたが、来日できなかった。しかし、その後、氏は来日している。櫻井は3月上旬、氏と対談している。中国共産党により言論弾圧や、情報操作に抗議したことで、北京大学での職を奪われたのみならず、メールまでも監視、チックされる状況に置かれていた。だが氏は冷静に中国の現状について語った。中央宣伝部は党直属の機関で、中央宣伝部の下に各地方の省、市、県の宣伝部があり、中央の決定が直ちに下に浸透する体制になっていること、宣伝部の「核心的な役割」は、人々の思想をある特定のひとつの枠組みに閉じ込めること、そのために中国共産党は「非常に重大な形で嘘を発表したり、情報をでっち上げる」こと、「事実を曲げて伝えることは一貫して行ってきた」などと指摘した。氏は日本政府が中国をはじめアジアのために貢献するひとつの方法は、アジア各国のジャーナリストやメディアに真実を伝えるよう勇気づけることだと語った。たとえばアジア人権賞、アジア報道の自由賞などを設けて顕彰して見えはどうかというのだ。
  一方、李大同氏と07年4月上旬に櫻井は北京で会っている。中国国内では全く書けなくなったが、世界各国のメディアから取材を受け、原稿の以来も多いとのこと。李氏は「中国共産党報道の自由を必要とせず、望んでもいない」と断言する一方で、彼らが報道を禁ずる情報が、少しずつではあるが着実に報道されていることに勇気を得ていると語った。
「かつて中央宣伝部は絶対的な力を持っていました。しかし、いまや、彼等の行動や決定事態がネットで批判されます。その結果、中宣部は情報統制能力を低下させ、右の言論も左の言論もコントロールできなくなっているのです」
   李大同氏は、30年前なら、氏の言動は確実に氏に死をもたらしていたと指摘し、氏が命を奪われていないこと自体が中国の大きな変化なのだと語った。つづく