櫻井よしこ、異形の大国中国(特別編、erasusさんとの問答、#4

櫻井よしこ、異形の大国中国(特別編、erasusさんとの問答、#4
    erasusさんとの問答を注目してくれている人が幾人か現れだした。その中で「ケロっと。君 ]さんのコメントを紹介する。
木庵先生。
目が離せない、木庵先生とerasusさんの問答でございましたが、
読ませていただいてる私は、たくさんの認識をさせていただいて、感謝しております。どつきあいの中にて真意に導く。と、これは偏りたくない私の性格から感じるところです。言いたい事を言う。それも判りやすく。どつきあいも、個性ある文章、感情豊かな文章表現となって感じております。やはり熟練です。読めた自分は至福であります。
erasusさんもお気に入りの(たぶん)、美味しい「蕎麦」なんぞも召し上がって下さい。 続稿、楽しみにしております。
2009/2/15(日) 午後 0:07[ ケロっと。君 ]
[ ケロっとさん] 、私とerasusさんとのリング上でのどつきあい合い、楽しんでください。どつきあいの中にて真意に導くのもよろしいいが、血みどろになるのも、観ている方にとって、面白いのではないかとおもいます。美味しい蕎麦を食べながら今後も観戦してください。本当のところ、ただの喧嘩ではなく、両者もまた観覧者も向上するものでありたいですね。木庵
2009/2/15(日) 午後 1:03[ tak*ona*tou*a ]
 さて、今回のどつきあい、erasusさんの次のコメントから始める。「ロス在住の国粋主義者木庵先生が、о櫻井の評論に心酔するという構図」。まず私は櫻井の評論に心酔などしていない。彼女の考えの裏を見ようとしている。心情的に日本国を思うところに同根の要素はあるが、同じではない。だから、erasusさんの櫻井批判興味をもってみている。erasusさんは櫻井よりも木庵の方が危険であると思っておられるらしいが、これは光栄であると同時に見当違いである。正体の見えないお化けを恐がっているのと似ているようですよ(笑)。私の書き方がオブラートに包まれていて、その中身が毒でも入っているのですかね。いたって私は常識的で、人畜無害なのですがね。
  
  しかし、erasusさんは人間を見る目が鋭い。次のコメント、私もある程度同意する。
 「朝鮮人の<姜尚中>のように低い声で決して激昂せずにやるから一見ど素人がみると彼らは、о利口そうに−見えるが決してそうではないのである。よーく観察してみよう。議論はTPOであり、о場の議論の流れ−というものが存在するが彼らの議論介入はいつも、о遅れて蒸し返す。<櫻井よしこ>も、しゃべらせると在日朝鮮人の<姜尚中>そっくりに、いま思いついたことを言わなければならないと≪棄ててしまう≫ということができないで、いつまでも蒸し返すという悪い癖がある。これは<櫻井よしこ>も頭が悪いからだろう?」
  櫻井は、少なくともerasusさんより頭は悪いと思うが、私には、櫻井を一刀両断には出来ない。しかし、岡本行夫には出来る。私と同じように見ておられる [ koreyjp ]さんのコメントを紹介する。
木庵さん
いつも楽しく読ませて頂いてをります。岡本行夫氏の論文は、時々産経新聞に載りますが、読んでゐると、大脳が機能停止してしまったやうな箇所にさしかかります。するとそれが病気のやうに自分の大脳に感染するやうな気がして、不安になります。賞味期限が切れたジャーナリストからは、大脳機能停止病を移されるので、要注意ですね。・・・・

009/2/15(日) 午後 4:37[ koreyjp ]
岡本行夫大脳機能停止論
  さて、ここから岡本行夫大脳機能停止論を書いてみる。これは世代論とつながる。岡本は昭和20年終戦のときに生まれている。櫻井も確か同じ年に生まれていると思う。岡本は戦後世代のヒーローである。外務省、それも北米畑というエリートである。それも、身体的にバランスがとれて男らしい。雅子さんが憧れたのも分からないことはない。女性キャリヤ外交官の講演を聴いたことがある。「私はかの有名な岡本さんの下で働きました」と言っていた。別に彼女は岡本を具体的に褒めてはいないが、その言葉の奥に、「彼のよう有能な外交官の下で働き、外交の現場で働く人間として、大きな影響を受けました」ととれた。恐らく岡本は北米畑でもカリスマ的な存在であり、将来駐米大使ぐらいにはなると嘱望されていたのであろう。その評価が、また彼の自負となり、キャリヤという温室から飛び出したのであろう。その決断は立派で、世間も拍手喝采した。そして外務省を出てからも、まだ彼のカリスマ性が取り除かれることはなかった。
   しかし、岡本のその後の活躍(?)に戦後日本社会構造の甘さを見る。戦争での敗北とは、脳の重要な部分を損壊したことである。その損壊を蘇生するのには100年、否、200年以上かかるのかもしれない。動物で譬えると、一個の固体の本能部分のあるところが消滅しているようなものである。まず敵を見極める嗅覚が鈍っている。また戦うときの戦闘本能が弱っている等。以前にも書いたが、戦後の日本、特に政治分野では精神分裂症を起こしている。だからどのような世界分析をしてよいのか、世界戦略をしてよいのかわからない。この精神分裂状態の中でも、ヒーローを望む。それに担ぎ上げられたのが岡本であり、また櫻井なのかもしれない。お互い対立しているが分裂状態での同一根なのかもしれない。どこに二人の欠陥があるかというと、観念的であるということである。特に岡本は、戦後の平和の土壌の上に彼の論理を築こうとしている。平和憲法、平和外交、このアメリカの傘の下で構築された虚構平和主義の上に論理を組み立てている。虚構の上であるので、その虚構がなくなれば何の価値もなくなる。この虚構を見抜けるかどうかが戦後の知識人の理性にかかっている。正確には理性というより、物事の本質を見抜く洞察力にかかっている。戦後の知識人は西洋合理主義、西洋顕在識の域にとどまっている。潜在識、阿頼耶識(悟り識)の域まで行かなければ本物ではない。戦後の教育を受けた人間が、例えば岡本が彼の潜在識、阿頼耶識(悟り識)を引き出すような訓練を受けたであろうか。勿論ない。それが彼が偉そうなことを言っていながら、どこか軽薄で、深さのない言動として表れている所以だ。そこで、[ koreyjp ]さんのような人間を見る達人が岡本の文章を読んで、「大脳が機能停止してしまったやうな箇所にさしかかります。するとそれが病気のやうに自分の大脳に感染するやうな気がして」と書かれる。
   erasusさんは私と考えが違うのだが、この戦後体制の歪み、甘さを克服しようとしている方であると見受ける。潜在識、阿頼耶識(悟り識)の域から物事を見ている、少なくとも見ようとされている方である。だからたとえ私を攻撃されようとも、光るものがあるのである。[ ケロっと。君 ]さんはまだ若く、現実の日本社会に生き、精神分裂症状を直に感じ、私とerasusさんの問答のなかに、戦後を突き抜ける何かがあると感じておられるのであろう。彼も潜在識、阿頼耶識(悟り識)を追求さえている方だと思う。
   岡本批判にしても櫻井批判にしても、潜在識、阿頼耶識(悟り識)からどれだけアプローチできるかにかかる。ところで、文章表現は顕在識が表面に出ていうものであるが、その行間から潜在識、阿頼耶識(悟り識)を読み取ることができる。顕在識の域だけにとどまっている人間がこの行間を当然読み取ることはできない。
   岡本なる人物、もう望みはない。なぜなら、異形日本の代表に上り詰めてしまったからだ。もし、彼が本物になりたければ、4、5年山に篭って一切社会から、国から遮断した生活を送ってみるとよい。本も一切読まない生活だ。それをしたとすると、彼の脳の中の潜在識、阿頼耶識の芽がでてくるであろう。つづく