櫻井よしこ、異形の大国中国#3

櫻井よしこ、異形の大国中国#3
<「日本人が日本人となり、日本国が国家となることが重要である」と櫻井は言っている。昨日例の大金持ちと少し話しをした。彼は、櫻井以上の厳しいことを言っていたので、参考のためここで紹介する。木庵>
「日本からやってくる大手の商社マンとか、外交官と時には話をするが、大きなことを言っちゃいけないよ。自分を何様だと思っているのだ。日本の国の代表とでも思っているのかな。国というのは国民の財産と生命を守ってこそ国といえるのだ。拉致された人々を取り返すことも出来ない日本が国家と言えるかね。このような国に税金を払っているのは馬鹿だよ。戦後GHQによってアメリカの属国になったかしらないが、もうGHQはいないんだろう。後は国民の総意でアメリカの属国から解放されるチャンスはいくらでもあったはずだ。ただ、骨抜きにされて、もう言うことも言えなくなったんだ。アメリカは物言わぬぺこぺこする日本を都合が良く御しやすいと喜んでいるが、実は馬鹿にしているんだ。本当のアメリカは対等に意見を言ってくるそのような日本を尊敬し、一緒にやろうかという気持ちになるんだ。今の日本じゃ、最良のパートナーとは思っていないだろう。俺は日本にずーといたとすれば、俺のような個性の強い人間はきっと成功しなかっただろうな。でもアメリカに来て、アメリカ人を舐めてかかり、俺のスタイルを通したから成功したのだ。今じゃ、アメリカ人が俺にたなびいてくるよ。なぜなら俺は金を持っているからな。
    少なくともアメリカ政府はアメリカ国民が拉致されれば軍隊を総動員してでも取り戻すよ。それが国家というものだ。商社は金儲けもよいが、国家という基礎の上の金儲けであって、ふがいない国家に税金を払っていることはただの金の亡者だ。それに外交官として大きな面をするんじゃないよ。外交官とは国家の顔だろう。拉致されているのが分かっていながら、なぜ話し合いなどという馬鹿げた方法をとるのだ。もはやこういう事態は外交ではない、武力しかないのだ。それが国家というもののやることだ。軍事力のない国が国家と言えようか。あきれてものが言えない・・・。」

   <彼の発言、日本では過激と受け取られるであろうが、こちらアメリカではごく常識的な発言と受け取られるであろう。木庵>

第一章 歴史を捏造する国
  
   当然、「南京大虐殺30万人説」について触れている。この説に最大の根拠となっているのは、「マンチェスター・ガーディアン」紙の中国特派員、オーストラリア国籍のティンパーリーの「What War Means 」(「日中戦争南京大虐殺事件資料集」所収、青木書店)がある。同書は「外国人目賭中之日軍暴行」として中国語に翻訳された。上の書の序文に楊明という人物が「(日本)帝国主義の強盗軍隊のすべての暴行は、決して偶然なものではない。すべて故意、全体的、組織的なものである」と書いている。これは日本軍の暴行は日本の国家意思によるものだと位置づけるもので、当時の蒋介石国民党政権の対日観そのものの見方である。また、同書には、「中国における戦闘区域内(上海・南京間)で少なくとも中国人兵士の死傷した数は30万人を下らない。また一般市民も、ほぼ同じであった」と書かれている。ちなみに、南京戦当時、ティンパーリーが南京にいた事実はない。現場にいなかったにもかかわらず、日本軍により南京大虐殺の根拠となった作品を著したティンパーリーとはどういう人物か、近頃の研究から、次のようなことが言える。
   ティンパーリーとは蒋介石が宣伝工作用に雇った人物で、国民党中央宣伝部の顧問であった。中央宣伝部の下には国際宣伝処が設けられ、彼らは南京事件に関しても暗躍した。その様子は、国際宣伝処長の曾虚白の自伝などに基づいて、次のように書かれている。
   「日本軍の南京大虐殺の悪行が世界を震撼させたとき、国際宣伝処は直ちに当時南京にいた英国のマンチェスター・ガーディアンの記者ティンパーリーとアメリカの教授のスマイスに宣伝刊行物の(日軍暴行紀実)と(南京戦禍写真)を書いて貰い、この両書は一躍有名になったという。このように中国人自身は顔を出さずに手当てを支払う等の方法で『我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言人となってもらう』という曲線的宣伝手法は、国際宣伝処が戦時最も常用した技巧の1つであり効果が著しかった」(「『南京事件』の探求 その実像をもとめて」(文春新書、北村著)
  北村は更に興味深い事実を指摘している。ティンパーリーの著者は、ロンドンのゴランツという出版社から出されており、同社は1936年に成立した左翼知識人の団体「レフト・ブック・クラブ」の出版元だったという事実である。
   中国人政府に雇われた学者が書き、左翼知識人の出版社から出された書物が「南京大虐殺、30万人説」の根拠となったわけだ。加えて、中国は日本の一連の行為は偶然ではなく、国家戦略に根ざした計画的行為であると主張した。そこに出現するのが「田中上奏文」である。
  「田中上奏文」は1927年から29年まで首相であった田中義一天皇にあてて書いたとされる文書である。これは「偽造文章」であることは今じゃ世界が認めるところであるが、中国のみが未だに本物だと主張している。
    ところが、08年1月1日、「東京新聞」の一面トップに「中国側『偽物』認める見解」「日本批判の根拠『田中上奏文』」という見出しが躍った。北京発鈴木孝昌記者の同記事は、日中両政府の合意を受けて06年末から進められている「日中歴史共同研究」で,中国側が田中上奏文はやはり「偽物」であると認める見解を示し始めたと報じた。「中国では歴史教科書にも記述され、北京の盧溝橋にある『抗日戦争記念館』でも展示されている」この田中上奏文について、『共同研究の複数の中国側関係者や中国の専門家の間でも本物ではないという考えが主流になりつつある』と、語った旨、報じられている。但し、中国側は、田中上奏文は偽物でも、日本に中国侵略の意図があったのは事実であるとして、日中戦争侵略戦争であると認めよと求めている。

<中国学者の見解は中国共産党(政府)の見解そのものの反映である。中国に学問の独立性などというものはない。ということは、日中間のギクシャクのガス抜きが必要と中国政府が考え、少しだけ妥協したに過ぎない。根本的に日本中国侵略説を覆したわけではない。覆すということは、抗日により国家が建設されたという中国国家の基軸が崩れることであり、国家そのものが存立しなくなる。ガス抜きしたのはなぜかとうところを考えた方が良い。つまり中国は日本の援助が必要なのである。それが微笑外交になり、またガス抜き現象が起きているということである。そのことをしっかり踏まえて、中国を冷静に見る必要がある。木庵>

靖国参拝について

   中国政府は、日本は押せば必ず引く国、叩けば蹲(うずくま)る国だと見做している。だが、押すにも叩くにも理由が要る。彼らはその際の最善のカードが歴史問題だと心得ている。だから、日本が靖国で譲れば、教科書問題が出てくる。或いは南京事件も出てくるだろう。尖閣問題も東シナ海の海底資源問題も、どれだけ日本の主張が正しく、国際法上も日本に理があるとしても、中国は自らの非を棚に上げて日本に攻勢をかけ続けるだろう。日本コントロールの方法として押すこと、叩くことが有効である限り、彼らは押すこと、叩くことしか考えない。結果、靖国参拝を中止しても、日中間の問題は解決しないのである。

<歴史問題で中国が押したり叩いたり出来るのは、日本の環境があるからである。中国が押したり叩いたりすると、必ずといってよいほど、日本の中で中国迎合の輩が現れる。そして、日本の国論が二分化する。また、国に殉じた人が祀られている靖国に首相が参拝することがあたかも近隣諸国との友好関係を潰すかの如くマスメディアは騒ぎたてる。そこが中国の思う壷なのである。大分問題の質は違うが、中国がチベット問題を「国内問題であるので、外国の干渉を許さない」というような毅然とした態度で臨むように、日本政府も毅然とすればよいのに、それができない。それは日本の言論的環境を意識しているからである。こういう日本の態度を見ていると、中国だけを「異形の国」というより、日本も「相当ゆがんだ国」否、「ゆがんだ腰抜け共同体」(国家として機能していないので、共同体である)とでも揶揄したくなる。木庵>つづく