新erasusさん問答#4

新しくErasusさんが「粛清論」の問題を立ち上げてこられた。 私の認識では、共産主義というイデオロギーの中に本来人間の命の尊厳性を無視するものがあるのではないかと思っている。その尊厳性の無視とはマルクスが言った「宗教はアヘンである」というところから来ている。それに革命思想はもともと破壊思想であるので、当然人間の命も破壊とともに抹殺されるのは当たり前である。この私の解釈にストップをかけてこられた。erasusさんが言われるには、ヨーロッパの歴史をたどれば、粛清は別に驚くべきものではないという。私はあまりヨーロッパの歴史はわからないが、erasusさんの言われることが正しいとして、議論してみよう。ということは粛清という行為はイデオロギーによって引き起されるものではない、人間の持っている本質的なところかきているということであろうか。たしかに、支那の歴史をみると、共産主義というイデオロギーがなくても大量の殺戮が行われていた。しかし粛清となると、果たして大量なのであろうか。そのあたりがよくわからない。ただ言えることは、スターリン毛沢東が行っな粛清は歴史上、数の上で最大のものであったということだ。ヒトラーとか日本帝国主義においてスターリン毛沢東ほどの粛清は行われていない。これは厳然たる事実であろう。そうなら、スターリン毛沢東が共有していた共産主義の特徴の故に粛清が行われたと見るべきなのか。それともロシアや、支那という風土から出た粛清文化なのだろうか、それとも両人の人間性から出た粛清なのか。フセインも相当粛清しているが、スターリン毛沢東ほどでもない。ポルポトも粛清した。それにアフリカの多くの専制主義者も粛清を行っている。結論を言えば、「共産主義イコール粛清」と単純に考えないということなのだろう。ということで、erasusさんが私の議論にストップをかけられたことを歓迎する。ではその次の議論を待ちたいところである。
1) マルクスが言った封建主義→資本主義→社会主義共産主義はまだ機能しているという指摘。なるほど、現在の世界の国が社会主義国家であるとすれば、そういうことになる。次に共産主義国家が誕生するのであろうか、誕生しないのであろうか、あるとすればいつごろなのであろうか。興味のあるところである。
3)サルトルは時代の人である。彼が活躍した時代は中国文化大革命(1960後半〜1970年前半)、仏五月革命(1968年)、連合赤軍の山岳ベース事件(1971〜1972年)、あさま山荘事件(1972年)、アメリカでも学生運動がピークに達したころである。当時日常性に埋没すれば反動だと言われた時代であった。当時「べ平連」は時代の最先端を歩んでいるという感じを受けたものであった。
ウィキペディア「べ平連」の興味のあるところを抜書きしてみる 。
ベトナムに平和を!市民連合
1965年2月7日に開始されたアメリカ軍による北ベトナムへのいわゆる「北爆」など、アメリカのベトナム戦争に対する軍事介入拡大を受けて、政治学者の高畠通敏や哲学者の鶴見俊輔が、作家の小田実を代表に担ぎ出して1965年4月24日に「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」の名で発足させたのが始まりである。
その後1966年10月16日に名称を「ベトナムに平和を!市民連合」に変更し、全国に活動が広がって行った。1974年1月に、パリ協定調印後のアメリカ軍のベトナムからの全面撤退を受け解散した。
一方的な視点、
ベトナム戦争に反対し、アメリカ軍の軍事介入に反対・抗議する事を主な目的に発足した事もあり、当初から反米的な要素が含まれていたのも事実であり、実際に、一方の当事者である北ベトナム南ベトナム解放民族戦線による戦争行為や南ベトナム市民に対するテロ、ソビエト連邦中華人民共和国による北ベトナムに対する軍事支援に対しての抗議活動は行わなかった。
ソ連からの支援
小田や高橋武智らを中心としたJATECの構成員は、ソビエト連邦などの支援を受け、ソビエト連邦極東部のウラジオストックへの定期便やレポ船(ソ連のスパイ活動を行う日本の漁船)などを使い、少数の脱走兵を複数回、日本からスウェーデンなどの中立国に脱出させた[3][4]ものである。
これは他国に対する内政干渉であるばかりか、レポ船を経由した脱出幇助は、正規の出国手続きを経ない出国という明らかな違法行為である上、結果的にソビエト連邦からの金銭的、物資的援助を必要とする行為であったために、単なる反戦運動という一線を越えた違法活動として議論を呼んだだけでなく、外国人の違法出国の幇助という活動内容から日本の警察からの捜査を受けた上に、最終的にアメリカとソビエト連邦両国のスパイまでもが運動に食い込むようになってしまった。
1991年のソビエト連邦の崩壊によって、KGBベ平連に資金的・物理的援助を与えていたというソ連共産党の機密文書が公開された[5]。
公開されたソ連共産党機密文書(英訳版)によれば、ベ平連KGBとの結び付きは、吉川勇一KGBの日本における代表者に資金援助を依頼したことに始まる。当時のユーリ・アンドロポフKGB議長がソ連共産党中央委員会に提出した報告書には小田と吉川が名指しで登場しており、アンドロポフ議長は党中央委員会に、秘密裏にベ平連指導者ら(leaders, leadership)と接触し、反米プロパガンダ活動の拡大と脱走アメリカ兵を助ける為に物質的サポートなどをすることを勧告した [6]。 さらにアンドロポフ議長は、この報告書を、KGBベ平連ソ連に有利に働くよう、ベ平連指導部との極秘の接触を維持するための非公式手段を準備している、と締めくくった[7]。
現在では、当時在日ソ連大使館との折衝を担当した吉川勇一本人も、共同通信記者の春名幹男の取材に対して、「(ソ連大使館の)参事官や一等書記官と会ったが、恐らく、全員がKGB要員だった」、「脱走兵の日本脱出に事実上の援助を与えてくれるところなら、KGBだろうがスパイだろうが手を借りたいという気持ちだった」とソ連政府の援助を受けながらこのような違法行為を行ったことを告白している[8]。
  少し長い引用(それでも相当カットしたが)であったが、当時の日本の雰囲気が分かったであろう。サルトルも当時の世界的な反戦共産主義台頭躍進の時代に影響された、時代の人ということになる。
4) 日本の終身雇用制の崩壊が日本の国際競争力を弱めたという指摘、そうであろう。実業界は目先のことばかり考えて、安い労働力を求めて、派遣労働者に頼ったり、安い外国人労働者を大量に日本に入国させようとしている。これは結果的に日本の購買力を弱め、国際競争力を弱めることになる。なぜ国家100年とまではいかなくても、国家30年ぐらいの構想力がないのであろうか。今日のテレビ報道によればアメリカのビッグ3自動車会社の従業員時間給は平均74(?)ドルで、日本は44(?)ドルだという。あまり給料を取りすぎるも問題だが、ほどほどの給料を与えることは企業の社会的責任である。また、企業の生き残る術でもあるのだが。従業員にやる気をなくさせて、企業の未来はないのである。

つづく