新erasusさん問答#2

 以前私が書いた「保守とは何か」の定義づけに対して、erasusさんからの反応があった、大まかなところでは合意(?)に達していると思うのだが、細かなところで興味ある新しい意見、反論があった、それについて考えていく。
1) 革命は「破壊」だからエネルギーがある。納得。ビルディングを建設には長い時間かかる。建設に費やす総和エネルギーは莫大なものになる。それを一瞬に破壊してしまうのであるから。総和エネルギーと瞬時破壊エネルギーは同じであるから、破壊力は凄い迫力があるということになる。ソビエト中共革命を見れば分かる。どれだけの人間が革命という名の下に殺されていったことか。子どもがこつこつと積み木を積み上げるより、一気に潰している顔の方が人間の本性を表しているようだ。
2) 「復古主義」という言葉をもちだされ、保守は行き着くところ復古主義に吸収されるという。保守は復古したいというベクトルがある。しかし復古は不可能であることを認識したとき、過去のある時代を神聖化しようとする。私が言う保守は一応過去にベクトルをおくが、過去のデーター情報をもとに新しい時代を作り上げるというのが保守である。所詮保守は過去へのベクトルに向いて復古なのだから、反動であると論を進めたいらしい。私の保守の定義は過去の我々の先祖が残してくれた文化遺産を大事にし、また参考にして、また悪いところは悪いと認めて、新しい時代に対処することである。だから、現在の政治、社会運動に関心があり、先祖が創り上げたのも以上のものを創り上げようということである。だから、保守が陥る現状維持には反対であるということだ。
3) ここで注目すべき論点がある。それは過去を向くベクトルと未来を向くベクトルが同じであるという指摘。これは納得。どちらも分からないことへの挑戦であるからだ。
4) その点で革新の見えない未来に対する目標ははっきりしているのに対して、保守の過去への想像は良く分からない。だから、保守は分裂する。これも見事な論及である。日本の戦後の政治を見たときに、1955年体制によって、本来分裂を包含する保守が自民党という政党のなかに混在した。このことの指摘も面白い。そして現実の自民党は現状維持の社会主義政党であるという。そのことは私も例え話で述べたが、あまり興味を示されなかったようである。石原慎太郎の名前が悪かったのかな。
5) 戦前の日本の国粋的軍国主義社会主義である。勿論共産主義社会主義である。ついでに、ヒトラー社会主義ルーズベルトニューディール主義も社会主義なのである。簡単に言えばこの時代は国家を基軸に動いていたということである。だとすると、現在のどの国も国家が基軸になっているので、すべて社会主義ということになる。みな社会主義なのだが、大きい政府、小さい政府という基準で考えると、そこに自由主義ないし民主主義が入る余地があるということになる。

6)「朝まで生テレビ」、田母神更迭事件についての議論であったと思うが、私の方にもこの番組を見た人からのメールが届いている。大体の論点は分かるが、議論の勢いという点で、erasusさんのコメントに興味があった。姜尚中という人物の正体について以前私も書いたが、この人間の語彙豊富(?)さというか、曲がりくどいがどこか説得力のあるように見える(普通の人には)論法に煙に巻かれているところがある。彼は確かドイツ留学(?)、東京大学教授という権威(?)、それに在日を武器にして日本の言論界で大きな顔をしている。確かに西尾氏などが、「言葉尻を捉えてなぜ反論しなかったのか」というのは正しい見解であると思う。また、「あなたの言っていることはさっぱり分からん」と言えばよかったのだ。その点以前見た番組で、小林よしのりは姜に辛らつな言葉を投げかけていた。姜もしたたか者、顔色一つ変えず自論(?)をつづけて述べていた。「ちょっと待てください、私はまだ終わっていないのですから」のようなことを言いながら。
  西尾氏の「GHQ焚書図書開封」を、今私が取り扱っているのは承知のことだと思う。昨晩YouTubで「焚書」と検索したところ、西尾氏の講義があった。全部で4部あったのだが、それを聴いて、私がサマリしたものとほとんど同じことを喋っておられた。講義としてはよくまとまっているのだが(ということは私のサマリも上出来であることになる)、彼の書かれた本をほとんどそのまま説明されていた。彼は学者で自分の説をしっかり述べられることにおいて間違いなく才能があるのだが、相手がいて、例えば姜のようなまやかし学者と議論するときに勝てない。これは西尾氏だけでなく日本の学者の陥る欠陥だろう。それに対して、小林や田原などの学問的にそれほど深くない人間は議論の運動神経が発達して、その場その場の思いつき発想て押しきるとことができる。erasusさんが以前に書いておられたように、アメリカの大学院法学部での詭弁術を、日本の学者は研究するというより訓練が必要だろう。  ところで、田原が姜を「朝生」でよく使っているのは、田原は知的運動神経だけで生き延びてきたが、何か基盤となるものがほしい。でも自分にはない。そこで姜を自分をプロテクトする存在として登場してもらい、アンティ田原の論者から自分を守ろうとしているのではないか。姜の詭弁にアンティ田原の論者たちが勝てないことを田原はよく知っているからだ。
7)erasusさんの日本政府が使えるカードを提示してくださった。これらのカードを使わない手はない。今アメリカがピンチであることはチャンスであるから、ありとあらゆる知恵を出すことだ。これでこそ、復古主義でも反動でもない未来に向かう知恵というものだ。

 о攻撃兵器再軍備カード
  戦略爆撃機カード
  原子力空母カード
  原子力潜水艦カード
  空中空輸機カード
  先制攻撃策定(仮想敵国別攻撃プラン)カード
  宇宙軍(ミサイル)カード
 −や、
 о核武装カード
 −など(おそらく)
 о第一撃で東京が壊滅
 −すれば、
 оわが国民は何でもやるだろう
 −ということで、
 о上記のすべてがやれるだろう
 −ということだ。わが国には、

 上のカードはすべて使える能力を日本は持っている。このカードを使えないようにしているのは自民党の現状維持体質であろう。また日本人の現状維持体質であろう。確かに最後の指摘、「第一撃で東京が壊滅−すれば、わが国民は何でもやるだろう。上記のすべてがやれるだろう」は的を射ている。今の日本人には少々の犠牲が出ないと目が覚めないところがある。今も世界は、軍事力の覇権競争、その下に経済覇権競争、そして言論攻勢と、総合的な覇権競争がある。そのようなことを鑑みたとき、日本は軍事面が実に脆弱すぎていることを日本人はよくわかっていない。平和民主主義と言ったところで何の力にもならない。少なくとも今の段階で核保有論争ぐらいをしてもよい。しかし、それを出しただけでアレルギー現象を起こすのが日本の実情のようだ。せっかく日本が世界に躍り出るチャンスがある外交カードもっているというのに、もったいない限りである。
7)秦郁彦ウィキペディアの記述から分析する(記述は「  」の中に、私の分析は<  >の枠の中で記す)

「いわゆる南京事件(南京大虐殺)については自著『南京事件』(中公新書)において、日本軍の不法行為による犠牲者数を「3.8万〜4.2万人」とし、以後も、いわゆる中間説(被虐殺者数は約4万人程度)を自身の見解としている。但し、2007年に出した同著の増補版では、「4万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下まわるであろうことを付言しておきたい」と追記している(週刊新潮2007年12月27日号では、「だいたい4万人」という表現でコメントしている)。」
<大体この学者、ころころと人数を簡単に変えすぎる。新しい歴史的事実の発見や、学会の動きに対応したものとみる。>
つづく