GHQ焚書図書開封(西尾幹二)#8

第四章  太平洋大海戦は当時としては無謀ではなかった
 西尾は言う、「パラダイムが変わると歴史の見方が変わる」と。昭和20年8月15日(敗戦の日)をもって、日本の戦争の歴史に対する感覚や現実感が変わってしまった。戦後ヒットした映画「二十四の瞳」の中で、大石先生が自分のクラスの子供たちが次々に戦争に出て行くのを見て、「ああ、なんで死に急ぐのか」と嘆く。これは戦後パラダイムが変わった顕著な例である。戦争中にそんなことを公言した人はいない。また、先般放映されたアメリカ映画「硫黄島からの手紙」で、冒頭、砂浜で穴を掘っている日本兵が「こんな島、米軍にくれてやればいいじゃないか。なんでこんな苦労させられるんだ」と叫ぶ場面がある。あの時代の兵士がそのようなことを口にするはずがない。
焚書から当時の現実的な感覚をもぎ取られた日本人は、いとも簡単にパラダイムの移行を意識せず、ありとあらゆるところで、好き勝手な今流の解釈をおこなっている。戦争時代のパラダイムの呪縛から解放され、自由に解釈できるとは、聞こえは良いが、これは歴史現実の厳しさを見る態度ではない。このパラダイムシフトを知っておきながら、確信犯の知識人がいる。
  先日ロスで「南京の真実」の映画の試写会を観た。その感想は、私のブログでも紹介した。同日一緒に観たある人がこちらのローカル新聞に寄稿していた。相当長い文章でなかなか説得力はあるが、最後のところで、こう書いている。
「いくら職務とは言え、侵略国家日本の先棒をかつぎ、勝ち目のない戦争に日本をひきずり込み若しくは加担し、数百万人という厖大な兵士や罪のない日本人や中国人をはじめとする東南アジア人を殺した張本人なのだから、リアリティに拘泥するのであったら細部まで詰めてほしかった。一体に戦犯に対する視点が甘く、好意的である。・・・。」
 
  #5で、「そんな筈はない」というのは、まだ戦力に余裕があるという意味で、戦争に負けたことに納得していないことになる。終戦の日から2週間経った国民の感情であると理解できるだろう。だから、当時『戦争責任』などということを口にしようものなら、周囲の人は引っくり返ってびっくりしたことであろう。」と書いたように、戦争責任云々は終戦のときは全くなかったのである。この記事を書いた御方、完全に戦後のパラダイムで東条たち戦争指導者を見ている。このような知識人ぶった人間がロスにもいるのである。私は時には日本のビデオを観ることがあるが、彼のような浅はかなジャーナリスト、文化人をよく見かける。このような輩は焚書を見せても戦中のパラダイムの中を覗こうとはしないし、今のパラダイム固執するだろう。なぜなら、もはや戦後利権の中にじっくり浸り、言葉はたとえ激しくても、現状維持しか考えない輩だからだ。名前を書いてもよいがここでは差し控える。>
  西尾は松尾樹明という人の書いた「三國同盟と日米戦」(焚書)に注目している。まず、「アメリカ艦隊の小笠原占領」という章を引用している。
アメリカは小笠原島を占領を企図してこれに對して何らかの手段をとるのではなからうかといはれてゐるが、フィリピンの奪還が困難な程度においては、小笠原島の攻略の困難なはずである・・・日米衝突が起こったとき、日本はまずフィリピンを押さえるだろう。するとアメリカは小笠原を襲ってくるだろう、といっている。しかしアメリカがフィリピンを奪回するのは困難だろう。それと同様に、アメリカが小笠原諸島を攻めるのもむずかしいのではないか。」

   この本の後ろのページをみると、出版社の自社公告が出ている。例えば「ムソリーニ小傳」(ムソリーニの伝記)の付いた『全体への闘争』という本その他・・・。

<私は「ムソリーニの伝記」を大学時代、古本屋で買い、読んでいる。細かいところは忘れたが、この本の中で、「彼自身最後は大衆によって虐殺される」と予言している。その予言は当たったのである。焚書された本も、時には古本屋で手に入れることが出来る。それにしても戦後日本での定着されたムソリーニ馬鹿説を崩すだけの本であると思う。どこの馬鹿が、自分が虐殺されることを知りながら政権の座に固執するであろうか。恐らくイタリアが置かれた、歴史的現実があり、彼が専制主義者にならざるを得ない状況があったのだろう。少なくともただ権力欲しさにトップになったのだけではないことは、彼の伝記(焚書)を読めば理解できる。>

   この本の第十八章、「アメリカ艦隊の日本遠征」で、次のように書かれている。
「日米戦争は、日本のフィリピン占領によつて、まづ日本は一部的の戦勝気分になりうることが出来るかもしれないが、それだけではまだ勝敗がどうなるかといふことは全然豫測することが出来ない。・・・(フィリピン)を失つたアメリカとしては、その艦隊が東洋に進出すべき目的とする根拠地がなくなつたのだから、アメリカ艦隊の日本遠征は非常なる困難を感ずるに至つたことはいふまでもない。・・・日本のフィリピン占領に刺激されてすでにその全艦隊をハワイに進出せしめ、パール港一帯に集中することになつたわけであるが、その兵力は窺知(きち)されぬが莫大な数に上るものとおもはねばならぬ。」
  
第二十章は「太平洋の日米大海戦」と題され、アメリカ主力艦の撃沈を描いている。一種の想定である。
「・・・アメリカの艦隊が、ハワイのパール港に集合するといふ情報が日本に入ると、その前に、ハワイ方面に出動してゐる日本の潜水艦は、それぞれアメリカの艦隊がハワイに向かふべき航路を扼(やく)して、その主力艦およびその他の軍艦を撃沈せしむべく、必死の大活動を開始するであらうとおもふ。・・・すくなくとも、パール港を出港したアメリカの艦隊が、日本の艦隊に出繪(しゅつかい)(−糸)する前に、必ず日本潜水艦の猛攻撃をうけるであらうことは疑ふことは出来ない。勿論、アメリカの艦隊は、輪型陣を形成して航進することであらうが、その捜索列の各艦の距離が二十五浬(かいり)といふのであるから、一浬以下の距離に達しなければ発見出來ない潜水艦は用意にこれを潜り抜けながら、自由自在に活躍することが出来る。・・・ことに艦隊の行進は、風波に對してはまことに弱く・・・輸送部隊にいたつてはまつたくばらばらになるほかないであらう。・・・アメリカの艦隊はすでに潜水艦の奇襲に悩まされてゐるため非常に疲労し、乗員のごときは、極度に航(−舟)奮してゐても、それは恐怖心からきたものであるから、艦隊の命令は徹底しないのではなからうか。・・・夜襲を試みることになるのであるが、このときにおいては、日本の駆逐艦が來襲したときけば、乗員はめくら滅法で大砲を打ち放ち、それだけ日本の駆逐艦は危険を冒さなければならないことになるが、これによつて日本の駆逐艦がもし五隻を失ふとすれば、アメリカの主力艦及び一萬屯級の巡洋艦は計五隻を失はなければならぬ計数ともなる。・・もし、三萬三千屯級の航空母艦も同時に葬ることが出來れば、翌日、両國の艦隊間に行はれる海戦はもつと好都合である。・・・かの日本海大海戦の時にはまつしぐらに敵の戦艦にぶつかつて行つて艦首を破壊せしめた肉弾駆逐艦もやったではないか。・・・・」
<以上は想定の話ではあるが、ある種の現実味のある作戦であったと思う。実際はパールハーバー攻撃を先制したのであるが、それもパールハーバー占拠まで持っていけば、戦局も変わっていただろうという考え方がある。それは事後分析であると言われるであろうが。ただこの焚書で述べらていることから判断して、当時は戦争に入っても互角で戦えるという考えがあったようである。それも、バルチック艦隊の撃沈の勝利に対する作戦ないし心意気がまだ残っているというのがわかる。ただ、日本海海戦における東郷元帥以下水兵の必死の覚悟と、大東亜戦争前の兵士の気迫は同じではなかった。むしろ後者には奢りのようなものがあったと考えられる。だから、この焚書を読んで、「奢り」が表れていると見るか、現実的な分析と見るかは人によって違ってくるだろう。しかし、当時の日本海軍の構想が実に生き生きと描きだされていることだけは間違いない。それを読み取るだけでも、焚書を読む価値がある。>
つづく