田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#10  

   APPENDIX A Source Venona: Americans and U.S. Residents who had Covert Relationships with Soviet Intelligence Agencies (339-370)/APPENDIX B Americans and U.S. Residents who had Covert Relationships with Soviet Intelligence Agencies but were not identified in the Venona Cables (371-382)/APPENDIX C Foreigners Temporarily in the United States who had Covert Relationships with Soviet Intelligence Agencies (383-386)/APPENDIX D Americans and U.S. Residents Targeted as Potential Sources b Soviet Intelligence Agencies (387-390)/APPENDIX E Biographical Sketches of Leading KGB Officers Involved in Soviet Espionage in the United States  (391-394) Notes (395-475), Index (477-487)
 
付録
(2)The December 23rd Issue of The Bakersfield Californian
  この地方新聞の2007年12月23日号に、「FBIのフーバー長官は朝鮮戦争開始の12日後の1950年7月7日にホワイト・ハウスに書簡を送り、1万2千人のアメリカ人を国家に対する反逆の罪により逮捕する計画をトルーマン大統領に伝えた。その理由は、国家に対する反逆罪、スパイ活動、サボタージュが予想されるからである。このうち、97%がアメリカ市民である。」という記事が掲載された。この記事内容は明らかに、ソ連のスパイ活動に関係した人たちを指していると思われる。これは、ヴェノナ文書に述べられていることとまさしく符号する。



中西輝政氏が著書『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』の中で、「1940〜41年あたりに、日本との関係で非常に重要なものがあるのではないか、と推測し、日米開戦に向かう経緯にソ連の工作が果たした影響がまだ十分に解明されていない。」と述べている。残念ながら、本書にはそのような記録はない。また、中国で日本が大規模な戦闘を繰り広げるにいたったのはコミンテルンの謀略であるという説についても言及がない。
 本書を読む前に4つの疑問があった。1)米国連邦政府を中心にどうして多くのスパイが入り込むことができたのか。2)米国側がソ連のスパイ活動にほとんど無関心で、スパイがかなり自由に秘密情報を入手し、モスクワに流すことができたのか。3)スパイたちは危険をおかしてまでもソ連のために活躍した理由や動機について。4)アメリカを中心とする日本占領軍の中に共産主義を信奉している人たちがかなりいた。彼たちがどのように初期占領政策に関与し、そのことによって、現在の日本人にどのような影響をあたえたか。それぞれの疑問に対して、一応次の結論が引き出せた。
1)1919年にスターリンコミンテルンを設立し、世界に共産革命を起こさせるという遠大な計画の一環として世界主要国家に工作員を派遣した。米国社会を混乱させて共産化させることはソ連にとって最も望ましいと考え、多数の工作員を送り込んだ。
2) 1920年代以降米国政府は国内の共産党の活動にほとんど関心をもっていなかったようである。1922年の経済大恐慌から脱するために、ルーズベルト政権はニューディール政策をたてた。この政策はいわば計画経済で、共産主義にちかい考え方であり、米国はソ連にたいし親近感をもっていた〔仮説〕。移民の国、米国でソ連から多くのロシア人が来ることを特に制限しなかった。また、第一次世界大戦後のドイツの台頭、そしてドイツと手を結ぶイタリア、日本を警戒していた英国、ソ連がいた。いずれ日本との戦争は避けられないとする米国は英国、ソ連と協力して時局に当たらなければならないことなどからソ連人の米国での動きに注意を払わなかったからである〔仮説〕。
3) 共産主義はまことにすばらしい、ソ連が夢の国を建設することに協力するのは当然ではないかと思っている。だから自分の身になにが起ころうと、ソ連のために身を捧げることに一種の正義感ともいえる考えがあった。また、共産革命がソ連でおこってからまだ20年しか経過せず、ソ連が一人前と国家として成立できるかどうか、助けたい気持ちが強かったようである。
4)米国を中心とする日本占領軍が当初日本共産党を支持、労働運動を奨励したことなどから判断して、占領軍の若手には共産主義に共鳴する人がかなりいたのではないか。つまり、革命理論をもっている人たちは、戦前の日本の伝統、歴史をなくし、日本人の社会生活、精神生活に混乱をおこさせ、革命を起こさせるという戦略をもっていたと考えられるとしたら、米国で活躍しソ連共産主義に同調した人たちがわれわれ日本人にもかなりの影響をおよぼしたといえるだろう。 

<井上氏と同様、木庵も思うのだが、当時のアメリカだけでなく、世界的な趨勢として、ソ連のスパイが活躍できる雰囲気があった。1918年にソビエトで世界最初の共産主義革命が起き、地震波 のように世界に広がり、世界の知識人に大きな衝撃をあたえた。共産主義は今考えるほどの有害思想と捉える人は稀で、人類を救ってくれると考えた人が多かった。たとえ木庵の大学時代(戦後)でも、共産主義は若き学生を虜にしていた。革命後のコミンテルンの活動は陰謀などという大げさなものではなくて、ごく日常的に各国のスパイ活動として入っていたのではないか。尾崎秀実などは、普通のジャーナリストの感覚で、情報をゾルゲに提供していたようなところがある(?)。それは日本を裏切るというより、日本をよくするためと思い込んでいた。ゾルゲと処刑されるに及んでも、日本を良き方向に行かすため尾崎は犠牲になったと思っていた。少なくとも、戦後左翼が扱った尾崎秀実像はそのようになっている。井上氏が書いている4つの疑問は興味のある視点であり、それに対する彼の仮説を含めての答えも興味がある。そして、ヴェノナ資料を見る限り「日米開戦に向かう経緯にソ連の工作が果たした影響への記録がない」、「中国で日本が大規模な戦闘を繰り広げるにいたったのはコミンテルンの謀略であるという説についても言及がない」と、冷厳にヴェノナ資料をみておられる。目良氏の見解、「ソ連は、米国内のスパイを使って、第二次大戦の時、米国と日本を争わせるのに成功した。」とは違う。井上、目良氏は違う本を読まれているので、それぞれの著者のヴェノナの解釈が違うのだろう。また、二つの本が扱った資料は異なっていたのであろうか。
何はともあれ、同じ会に属していながら、少しではあるが見解が違うのに、逆にこの会が公正で、資料重視の実証的な研究をする会であると推測する。
  私はヴェノナの資料そのものを友達が送ってきてくれたのを見たことがあるが、スパイのニックネーム、それに、金の支払いに関して何か食べ物の個数にして表していたと思う。1個が1000ドル(?)だったかな。オリジナルはロシア語であるが、それを英文に訳されたものである。タイプは昔のもので、少し鮮明さに欠けていた。衝撃的な内容だけでなく、実物のヴェノナの資料を見て、驚愕したことを覚えている。
  ヴェノナ資料についてはこれぐらいにして、朝日新聞、田母神批判の本論に戻る。田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#5をもう一度開いてもらいたい。「世の中には荒唐無稽な主張が展開する「トンデモ本」があふれている。私は、トンデモ本を研究する「と学会」会員として、数多くのトンデモ本を読んできたが、田母神論文にはトンデモ陰謀論の典型的なパターンが表れているように感じる。」と唐沢は田母神を批判し始めた。思いだしてもらえたであろうか。
つづく