田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#9

 第10章「産業スパイと原子爆弾製造極秘情報スパイ」
(1) 産業スパイ
 ソ連の米国における初期のスパイ活動はほとんど科学・技術情報を盗み出すことに集中し、しかも広範囲にわたっていた。 他の分野でも同様であるが、産業スパイを動員するのに社会主義というイデオロギーに共鳴させることであった。CPUSAによるスパイ集めの対象は、1920年代は米国への新移民で教育レベルの低く科学技術情報に疎いグループ、第二世代は1930年代には米国生まれで教育レベルの高く、科学技術で訓練された専門グループであった。
 また、金のためでなく、共産主義に役立つためにスパイになった人が多かった。だから他人、他国の資料を盗むスパイ行為を道徳的な悪と感じていない。特にナチス・ドイツに敗北寸前まで追い込まれた時期に加速され、企業、政府技術秘密情報がいっそう多くソ連に送り込まれた。
 1942年初期に米英ソの3国は同盟を結んだ。ナチスを破るため、ソ連は米国から援助をうけることになった。米国からソ連に機械類、武器、戦車、40万台にのぼる米国のトラックが提供された。この実行のため、数千のソ連軍人、技師などが米国製の武器について訓練を受けるために米国に入国した。
 (2)原爆機密情報入手: Julius Rosenbergを中心とする共産党員技術者のネットワーク
 Julius Rosenberg は原子爆弾スパイとして名前が知られている。彼は1930年代後半、ニューヨーク市立大学工学部学生の中心的な人物で、後日多くの同僚学生をCPUSAに入党させている。1944年および1945年にわたる解読されたKGB電報は21通にのぼるが、すべての電報がローゼンバーグに関するものである。
   原爆製造計画は英国が米国よりもはやかった。Klaus Fuchsは英国の原爆プロジェクトに参加していた科学者であり、ロシアのスパイであった。フックスは英国の原爆プロジェクトの秘密情報をGRU(ソ連陸軍諜報庁)に報告した。英国は米国が第二次世界大戦に参加すると原爆に関する資料をすべて米国に提供した。それは米国の方が早く原爆を開発する能力があると判断したためである。
 フックスは米国のマンハッタン計画を助けるための英国の科学者15名の中の一員として1943年後半に米国に到着した。まず、コロンビア大学でのマンハッタン計画のチームに合流した。1948年末にFBIがヴェノナ文書を英国諜報庁に手交、フックスは逮捕された。そして、彼はスパイ活動を白状し、有罪となった(14年禁固の判決を受け9年の後1959年釈放され、東ドイツ原子力研究所の所長となっている)。
 フックスが白状したこととヴェノナ文書が符号した。
 フックスがロス・アラモスへ移動したことにより、彼がソ連に渡す秘密情報に接する範囲が拡大した。
 フックスがロス・アラモスで入手した情報はモスクワのKGBは大きな関心をもち、その情報はただちに原子爆弾製造計画に従事していた科学者に渡され、理解できないことはフックスならびにマンハッタン計画に参与しているほかのスパイに質問するようにとの指示を与えている。英国で逮捕された後、フックスが告白したことによって、米国にいた Harry Gold の逮捕につながり、それにより他のソ連のスパイが割り出されることになった。
 
 第11章、Soviet Espionage and American Historyソ連のスパイ活動と米国近代史)
 第二次世界大戦の米国諜報機関である戦略局 には (The Office of Strategic Services ) 職員として15人から20人のソ連スパイが活躍していた。さらに4つの戦時体制部局には少なくとも6人のスパイがそれぞれの部局に紛れ込んでいたことも判明している。
 戦争前からあった省庁も例外ではなかった。たとえば国務省には少なくても6人おり、この中で高官としてアルジャー・ヒス (Alger Hiss) とローレンス・ダガン (Laurence Duggan)がおり、十年にわたり、ソ連諜報機関に奉仕している。財務省には有名なハリー・ホワイト (Harry D. White) という人物が次官として存在していたおかげでスパイたちにとってはとても働きやすい環境にあったと言える。ソ連スパイは質量ともすごいものがあった。その中にはルーズベルト大統領の私的補佐官であったロークリン・カリー (Lauchlin Currie) がいた。さらに米国連邦政府内の中堅幹部には12人以上のスパイないし同調者が配置されていた。
 このようにヴェノナから政府内にソ連のスパイが多く入り込んではいたとう事実はわかったが、彼らがどの程度アメリカの国益にとって害となったかは断言できない。つまり、スパイからモスクワにもたらされた情報がソ連にとってどの程度有益であったのか現在のところ明確ではない。しかしこのような状況の中ではっきりしていることは、原子爆弾製造に関する極秘情報がソ連にもたらされ、それによってソ連はあまり時間と費用をかけずに原子爆弾製造に成功したことである。これにより第二次世界大戦終了後に展開された核開発競争により冷戦状態が長期にわたり、継続したといえる。
 では、いったい米国の共産党員はなぜソ連のためにスパイ活動をするようになったのだろうか。スパイたちはソ連共産主義にあこがれ、ソ連のために役立てることが光栄であるとの意識をもっていた。2007年12月に公開されたFBIフーヴァー長官の12、000人にのぼる反アメリカ活動容疑者の逮捕に関する驚愕的な記事(付録2)は、いかに多くのアメリカ人がスパイ活動に従事していたか物語っている。
 第二次世界大戦後の冷戦開始後、解読されたヴェノナ資料は悪夢のようなものだった。ヴェノナ資料で明らかにされたアメリカ人の半数以上の実名がソ連の諜報活動に協力した人物であったからだ。この人たちを調査すれば、同僚同士に不信感をかもし出すことになり、相互信頼感がくずれる恐れがあり、簡単には調査できなかった。トルーマン大統領が共産党員の国家破壊活動やスパイに対しは強硬路線をとるという決定を下したが、この問題を市民に公表しないことにした。しかし、1995年になってヴェノナ資料が公開されることになって、初めてアメリカ人は自分自身の歴史を省みる機会がでてきたのである。1950年代に起こったマッカーシー上院議員赤狩り旋風は、米国の国益という観点からすると、まさに正しかったと言えよう。

  解読されたヴェノナ文書、資料公開法によって過去十数年にわたり収集されたFBI資料の公開、ソ連の崩壊により入手可能となったロシアの古文書館資料、ソ連スパイの米国国会での証言、起訴されたスパイの告白などから、1942年から1945年の間にソ連は米国に対して積極的にスパイ活動を実行したことは明白である。ルーズベルト大統領下の米国がソ連に対して宥和策をとっていた時期にあたっていたため、スパイ活動が簡単に出来たと考えられる。このスパイ活動は戦後の冷戦にも大きな影響を与えている。
 本書の目次は次のとおりである。
Introduction: The Road to Venona (1-8)  ヴェノナとは
Chapter 1: Venona and the Cold War (9-22) ヴェノナ文書と冷戦
Chapter 2: Breaking the Code (23-56) 暗号の解読作業
Chapter 3: The American Communist Party Underground (57-92) 米国共産党の地下活動
Chapter 4: The Golos-Bentley Network (93-115) ゴロスー-ベントリー・ネットワーク
Chapter 5: Friends in High Places (116-163) 米国政府高官のなかにいたソ連のスパイ
Chapter 6: Military Espionage (164-190) 軍関係のスパイ活動
Chapter 7: Spies in the U.S. Government (191-207) その他米国連邦政府内のスパイ
Chapter 8: Fellowcountrymen (208-249)  米国共産党
Chapter 9: Hunting Stalin’s Enemies on American Soil (250-286) スターリンの敵、トロッキストの捜査と暗殺計画
Chapter 10: Industrial and Atomic Espionage (287-330) 産業スパイと原子爆弾製造機密情報スパイ
Chapter 11: Soviet Espionage and American History (331-337) ソ連のスパイ活動とアメリカ史
つづく