田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#4

田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#4<北岡の言葉の使い方が気になる。「自虐的」、「感情的」、「そういう面もなかったわけで」。「自虐的」、「感情的」なのは田母神ではなく、北岡の方であると私には 見える。ルーズベルト蒋介石は戦前日本を陥れようとした鬼畜(この言葉をあえて復活させた)なのである。だから、「ルーズベルトが日本に最初の一発を撃たせようとしたとし、日本は彼と蒋介石によって戦争に引きずり込まれたという。そういう面もなかったわけではない」などと、悠長なことではなかった。まさに、引き入れようとしていたのである。史実を検証すれば、戦争好き(?)(これは戦後定着した観点になってしまった)の日本軍部が、必死になって戦争回避に動いていたかが分かる。勿論血気盛んな軍人もいたという面もなかったわけではない(北岡流表現を皮肉っている)。実はルーズベルトの上にスターリンという、大物がいたことを考えるべきである。スターリンの国際戦略は、日本の自虐史観に汚染された歴史学者などに理解できないほどの、狡猾さとスケールの大きさがある。私はソ連スターリンが日本と蒋介石を戦わせ、日中戦争への泥沼に日本を引き入れ、蒋介石アメリカが支援する、その結果日本がアメリカと戦争をしだす。その青写真を見事遂行させている。そこがコミンテルンという組織の狡猾さである。日本にゾルゲという大物スパイを送り込み、尾崎秀(ほつ)実(み)を使い、近衛文麿に「日本は蒋介石を相手にせず」と言わしめている。ルーズベルトの側近はソビエトのスパイであったことは近頃の実証的な研究から分かっている。私は一人のアメリカ人を知っている。彼は今80歳を越しているが、子どもの時、日本で育ち、日米関係が悪くなった時期にアメリカに帰国し、アメリカで教育を受けた人間である。その彼が言っていた。「日本は何故北進をとらずに南進を選んだのか。当時そのことが最大の謎であった」。「日本がドイツと手を組み、ソ連を攻めれば、ソ連などすぐに崩壊したものを。それに、当時のアメリカの軍事力はたいしたことなく、特に陸軍は弱かった。それに当時ドイツの陸軍は世界一で、これから世界はドイツによって牛耳られるだろうという恐怖観のようなものがあった」。日本が北進をとらずに南進したのは、日本がソビエトと戦わずにアメリカと戦わすソ連の策謀であった。また、近衛に「蒋介石を相手にせず」と言わしめ、世界から孤立を招き、ひいてはアメリカとの戦争に引き込まれている。このような一連の日本の選択が見事と言ってよいほど、スターリンの謀略に引っかかっているのである。元々日本は資源がなく近代国家を維持するためには、アメリカを始め外国と貿易しなければ成り立たない国家であった。その基礎となる石油、くず鉄の輸出禁止は、日本に死刑宣告をしたに等しかった。北岡はなおも述べている。「国際政治とは、しばしばだましあいである。自衛隊のリーダーたるものが、我々はだまされるというのは、まことに恥ずかしい」ということがわかっていれば、コミンテルンの騙しが、北岡の想像を超えるものであったと謙虚に理解できないものであろうか。その点田母神の方が騙しの手法を良く理解している。彼は騙されていないのである、騙されているのは北岡なのだ。北岡はどれだけ知っているかしらないが、Venona文書のことを。いかに戦前戦中にかけてコミンテルンアメリカの、それも政府の中枢部に入っていたか、それが歴然とした資料として残っているのである。北岡の歴史家として、もう少しの勉強を望む。>
「田母神氏は現在の日本にはななだ不満らしい。日本人はマインドコントロールから解放されていないという。もしそうならその責任を誰よりも、負ける戦争を始めた当時の指導者にあるのではないか。しかし、氏は妙に彼らに甘いのである。今の日本を憤るなら、なぜ戦争をしてしまった指導者をかばうのか。」
 <日本人がマインドコントロールされたのは、戦後GHQの言論統制であった。それに協力したのは北岡のような売国学者であった。戦争に負けたのは確かに、当時の指導者の責任で、戦後の言論統制において、彼らはもはや出る幕がなかった。出る幕がなくなるような結果を招く戦争を仕掛け、戦争に負けたのは指導者であるから、その指導者に責任を負わせるべきだと、まともなようなことを言っている。しかし、先にも書いたが戦争をせざるを得ないように引き込まれされたのだ。それに引き込まれたのが責任あるとするなら、それも正しいことであろう。ある家に、隣のヤクザが、「お前の家でいつもご馳走を食べているのが気に食わぬ。幾らかご馳走をよこせ。もしよこさなければお前の家にそのご馳走を作る材料を一切運べないようにしてやる。」と脅した。それに対してその家の主人は、その脅しに毅然とした態度で対処した。そうこうするうちに、この家で食べる主食の米を米屋から買えないようにヤクザは手配した。この家の主人は妻や子どもを食べさせなければならないので、そのヤクザに果敢にも戦いを挑んだ。そして惨めにも完全にやられてしまった。その後、半身不随になった主人を横目に、このヤクザは家にやってきた。笑顔を振りまき、子どもたちの頭をなぜながら、「ぼうや、かわいそうにね。君のお父さんが私に喧嘩を吹っかけてこなければ君たちはこんな苦労もせずにすんだのだよ。これからおじさんが君たちのお父さんに代わって、君たちの世話してやるからね。いい子でいるんだよ」と言って、一切れのパンを与えた。子どもは長い空腹の期間を耐えてきたので、このヤクザのおじさんが神さんのようにおもえた。それからは、無謀にも隣の優しいおじさんと喧嘩した父親を憎むようになった。貧しいながらもその後頑張って、大人になり、結婚もして、一家の主になっても、父親のふがいなさがむかついて仕方がない。自分たちが苦労したのは父親に原因があり、今のような何とか幸せになったのは、あのやさし隣のおじさんだと、心から思うようになった。そして、自分の子どもに、自分の父親のような人間になってはいけない、隣のおじさんのようになりなさいと教えているのである。これは少しオーバーなつくり話かもしれないが、戦後日本人のマインドコントロールされた事態を如実に言いえている逸話であると思う。このマインドコントロールされたのが北岡なのである。田母神は何故自分の父親が無謀にも隣のヤクザと喧嘩したかを一生懸命考えた子どもなのである。
   これで北岡の記事の分析は終わるが、誰かが言っていたが「朝日の記事は利用価値があるとすれば、全てを逆にとらえればよい」と。実際に北岡の記事を読んで、この人の言っていたことが証明されたことになる。しかし、朝日新聞に纏わる学者集団の罪は大きい。あさましさを感じることから通りこして怒りさえ覚えてくる。><ココで、以下の興味あるブログをはっけんしたので、コピーする>

泥舟からの脱出 2008/11/17(月) 午後 11:17
権力におもねる人間の常といえばそれまでですが、最近気になることは、かつては自民党の、それも保守右派的な流れに追随し、むしろ先頭に立って旗を振っていたような人物が、いつのまにか以前とは少しニュアンスの異なる発言をするようになっていることです。
たとえばテレビへの露出度も高く、マスコミでもかなり知名度のある岡本行夫という元外務官僚は、湾岸戦争自衛隊を派遣しなかったことに抗議して辞任し、それを売り込み材料として小泉・安倍政権の外交ブレインとなり、アメリカの対イラク戦争に加担した政府の政策の一環を担う活動をしていたわけですが、同じ外務省の同僚であった天木直人さんのブログによると、最近ではブッシュ大統領の対イラク戦争を批判するような議論もし始めているということです。もしこれが本当なら、びっくりするような話です。
同じように、国連の次席大使をつとめたこともある北岡伸一という東大教授(政治学)は、小泉元首相や、安倍元首相の外交ブレインをつとめ、ウィキペディアによると「イラク戦争については「大量破壊兵器」と「北朝鮮対策」を理由として支持する立場を他の多くの知米派政治関係者とともに明らかにした(日本国際フォーラム緊急提言委員会有志アピール「イラク問題について米国の立場と行動を支持する」)。自衛隊イラク派遣に際しては、フセイン元大統領の捕捉に伴って政治情勢が安定するという見通しの下に支持した」という立場に立っていたとされる人ですが、最近では朝日新聞で、日本の国連常任理事国入りについては中国の支持が必要であり、そうした支持を得る努力が足りなかったという主張をしたり、さらにはアパグループ(この代表は安倍元首相との関係の深い人物ですが)の懸賞論文事件についても、田母神元空幕長の歴史観を強く批判する記事を朝日新聞に掲載していました。
スマートといえばスマート、悪く言えば見事な変わり身という感じもしますが、こうした動きが出てくるのも、それだけ伝統的な支配体制が揺らぎつつあるということを示唆していることのような気がします。泥舟から脱げ出す人たちが増え始めたということです。つづく