田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#3

田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#3
<北岡は言う、「歴史で重要なのはバランス感覚で総合的な判断である」と。果たしてバランス感覚と総合的な判断というものがあるのだろうか。このようなまやかしの言葉を発するのは、現状維持派と考えればよい。自分たちが受けている権益を守る、維持するという現行維持者がよく発する言葉である。バランスとは、今の体制、古い体制をそのままにするバランスであり、総合的な判断とはその現状維持を遂行するためだけの情報だけを良しとする、まさしく「都合よい説をつまみ食い説」に他ならない。「色々な説や情報の中から、最も信頼できる事実を選び取る作業」とは現状維持のために、現状を打破する、または乗り越える説を無視、もしくは糾弾して、最も信頼できる、つまり自分たちに都合の良い事実だけをクローズアップする作業に他ならない。
  歴史学を発展させるのは、本来偽バランス感覚、偽総合的判断を打破するところから始まる。嘗てマルクス唯物史観は旧キリスト的歴史観を打破するのに大きな力があった。歴史の流れは神の意志にそって進んでいる、神の意志を知った者が悪しき歴史の流れを是正していかなければならない。この神の意志史観を、無神論的、唯物論的世界観が、ある程度打破、乗り越えた(?)ようであった。マルクスが唱える弁証法唯物史観に立脚すれば、歴史は資本主義、帝国主義社会主義共産主義へと必然的に展開していく。これは科学的真実(?)である。この弁証法唯物史観は説得力があり、多くの人間をとりこにした。新鮮さと新しい歴史を動かすエネルギーを感じた。ポパーという哲学者は、当時の歴史学の趨勢、つまりマルクス唯物史観の偽を、特に偽科学性を鋭く批判した。しかし、マルクス唯物史観シンパたちはポパーの批判に耳を傾けようとしなかった。そして、マルクス主義パラダイムの中で偽バランスと偽総合的判断に埋没していった。彼らが目を覚ますのは歴史的現実、つまりソビエトの崩壊までを待たければならなかった。しかし、マルクス史観に汚染しきった輩がまだ世界の各地に生き残り、その再生、復活をもくろんでいる。
  さて、日本の歴史学会の歴史を考えると、マルクス唯物史観に汚染され、それを日本的展開していった歴史であったと言っても過言ではない。その展開を、二文字で表すなら、「信仰」、「発展」、「失望」、「否定」、「打開」、「修正」というようになるのだろうか。歴史学者それぞれの紆余曲折の変遷があったのは想像できる。ところが、歴史学会の体質は変わっていない。学会は先輩の説、教授級の説を若手研究者が一応納得しないと学会のバランスがとれない。学会そのものの体質を糾弾する若手研究者は、助教授、教授になれない。なりたければ、急進性を和わらげ、旧体制になびいていかなければならない。我が日本の歴史学界もこの旧体制にあぐらをかいているようである。その証拠に、日本の学問的権威である東京大学教授が日本の新聞界の権威(?)である朝日新聞に、かくも子ども騙しの記事を掲載していることからも分かる。もはや旧体制そのものである。北岡がどの程度、マルクス主義唯物史観に汚染されたかどうかはわからない。しかし、間違いなく彼の言っていることは旧体制パラダイムを維持しようとする論に過ぎない。少なくとも、新しい歴史学を学ぼうとしている私にとって、田母神の説に新鮮さを感じ、違和感がない。北岡の方に違和感を感じる。北岡には新しい歴史を創ろうとする感覚がないように見えるが、田母神には感じられる。ただそれだけである。航空自衛隊の最高の地位にある田母神が懸賞論文に応募し、300万円をもらった。それは現行政府の方針と異なるものであり、文民統制の観点から、許されないという政府の見解、そして田母神を更迭したことこそ、偽バランス主義、偽総合主義に他ならない。バランスでも、総合でもない、中共南北朝鮮が怖いのだろう。良く言って、うるさいので、対処するのが邪魔くさいのだろう。現行の日中、日韓、日朝関係のバランスをなくしたくないのだろう。そのために総合的(?)な判断で田母神を切り、親中、媚中、媚韓朝日新聞が、偽バランス主義者、偽総合主義者の権威である北岡に記事を書いていただいたということなのだろう。このからくりは、この記事を読んだ瞬間に解けた。小学程度の算数問題を解く程度に。
  もう少し、北岡の記事を分析する。
「日米開戦直前にアメリカが示した交渉案のハル・ノートを受け入れたら、アメリカは次々と要求を突きつけ、日本は白人の植民地になってしまったことは明らかだという。どうしてそういう結論になるのだろう。ハル・ノートをたたき台に、したたかに外交を進めることは可能だった。その結果が、無条件降伏より悪いものになると考える理由がまったく分からない。」
<北岡は1948年(昭和23年)生まれ、団塊世代である。田母神と同じ歳ではないか。この同じ世代が両極端の考え方であるというのも、戦後精神史を研究する一つのテーマを与えている。「まったく分からない」と、北岡は言っている。「ハル・ノートをたたき台に、したたかな外交を進めることは可能だった」と述べる戦争を知らない世代の代表北岡が、戦争勃発当時の緊迫した状況など理解できない。たとえ戦後世代でも、真摯に当時の状況を歴史学者らしく資料から推測するなら、日本が戦争をしなければならなかったギリギリの状況が理解できるはずだ。「窮鼠猫を噛む」、戦争しか選択のしようがないほど、日本はルーズベルトによって追い込まれていたのである。ルーズベルトは戦争を決意していた。それに対して日本は戦争を避けたかった。この両者の歴然たる精神構造の違いにより、いくら頑張っても戦争に引きずり込まれていく状況があったのだ。それを北岡のような戦後育ちの平和ボケの人間が、「したたかな外交を進めることが可能であった」と、ねぼけたことを言っている。北岡のしたたかさとは、「朝日のように、あるときはGHQの言いなりになり、GHQがいなくなると、中共の尻馬に乗る女々しい風見鶏的な、その場限りの都合主義」のことをいうのであろう。その点、田母神は同じ戦後世代であっても、国防にたずさわる自衛隊所属ということもあるが、時代の軍事的緊張感をよく感じてくれている。我々市民というものは、軍事知識がなく、北岡のようにノホーとなるのは仕方がない面がある。どのような平和な時代でも、国を取り巻く、特に軍事状況は緊張している。その日常的な緊張を、田母神はもってくれていたのである。だから、彼のような人間に国防を任せられるのである。国防とは軍事的なことだけでなく、国策とも関係してくる。あまりにも平和ボケした官僚や政治家に緊張した国際情報(歴史上における国際情報も含めて)を与えるのが、自衛隊トップの職務である。その情報を下に政治家が決定するのである。これがシビリアン・コントロールの鉄則である。「無条件降伏」は結果である。勝つ見込みがなくても、緒戦で有利な戦いをおこない、停戦、新しい有利な外交をもう一度展開させようとする、日本のギリギリのしたたかさはあった。現にそれだけの力もあった。その証拠に戦争勃発から1年以内は日本の完全な勝利が続いたではないか。「無条件降伏より悪い選択はない」とは結果論である。戦争で負けたが、戦争をして、少なくても日本人のプライドは傷つけられなかった。多くの英霊のお陰で、戦後の経済的復興が出来たではないか。新聞に掲載されている平和ボケ人間北岡の写真から、戦後知識人のパターン化された言葉が、飛び交ってくるようだ。>
「田母神氏の国際政治に対する見方は妙に自虐的、感情的である。氏は、ルーズベルトが日本に最初の一発を撃たせようとしていたとし、日本は彼と蒋介石によって戦争を引きずり込まれたという。そういう面もなかったわけではない。しかし国際政治とは、しばしばだましあいである。自衛隊のリーダーたるものが、我々はだまされるというのは、まことに恥ずかしい」
つづく