田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#2

田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#2
現在は「日中歴史共同研究委員会」の日本側座長(2006年12月1日-)、および日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会有識者委員(2007年4月-)、福田康夫首相の有識者会議「外交政策勉強会」委員(2007年12月-2008年9月)を務める。また、2008年5月に発足したアフリカ大陸の貧困撲滅・開発の目標を定めた国連ミレニアム開発目標への支援・支持を呼びかけるNPO法人、ミレニアム・プロミス・ジャパンの会長を務めている。
イラク戦争については「大量破壊兵器」と「北朝鮮対策」を理由として支持する立場を他の多くの知米派政治関係者とともに明らかにした(日本国際フォーラム緊急提言委員会有志アピール「イラク問題について米国の立場と行動を支持する」[1])。自衛隊イラク派遣に際しては、フセイン元大統領の捕捉に伴って政治情勢が安定するという見通しの下に支持した。
[編集] 関係者
東京大学教養学部時代は、佐藤誠三郎のゼミに所属(同期生に舛添要一、下斗米伸夫など)、大学院における指導教官は林茂・三谷太一郎で、他に伊藤隆にも師事した。
妻は元電通総研生活文化部主任研究員で評論家の鈴木りえこ。実家は吉野の造り酒屋で大叔父は農商務省官僚・ILO日本政府代表として労働政策を担当し、後に東京帝国大学経済学部教授に転じた北岡寿逸。父の北岡茂(畝傍中学4修、広島高等学校卒、京都帝国大学医学部卒)は元吉野町長。弟の北岡篤(東大寺学園高校卒、東京大学農学部卒)も吉野町長。
[編集] 日中歴史共同研究
2006年10月に行われた日中首脳会議において、日本と中華人民共和国は日中歴史共同研究に合意した。日本側の事務局は日本国際問題研究所、中国側は中国社会科学院近代史研究所。この日本側の座長が、北岡である。双方の委員メンバーは日本でも会合を持ち、外務省も訪れている。[2] 外務省によると、日中外相会談においても2008年中に研究成果を発表することを目指すことで意見の一致を見た。[3]
2008年1月、第3回会合が北京で開催され日中双方が報告書の草稿を提示、2008年夏に開催の北京オリンピックに先だってよい報告をまとめ世界に示した。
    
     ウィキペディアを見る限り、北岡は偏向した学者というようには見えない。ただ、「日中歴史共同研究委員会」の日本側座長(2006年12月1日-)というのが気になる。日中歴史共同研究などというものは、まやかしであるのは分かっている。中共歴史認識において、日本との妥協などない。「中国社会科学院近代史研究所」といっても、中国共産党直系の研究所である。日本サイドは果たして、中共に押し切られない、日本独自の主張が展開できるのだろうか。
   北岡の記事を紹介する前に述べなければならないことは、私は田母神の論文を読んでいないことだ。一般的報道から大体の内容は掴めても、田母神の細部の議論については分からない。それを了承した上で、私の分析を読んでもらいたい。
  まず、北岡の記事の重要なところを抜粋し、それについて私の見解を述べる(<   >の枠の中に)。
  「論文の必要条件は、確かな事実と強固な論理である。田母神氏の論文には、事実の把握において、著しい偏りがある。例えば、日本は中国や朝鮮に対し、相手の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはないと書いている。しかし満州事変が、石原莞爾関東軍の幕僚による陰謀であったことは、誰でも知っている事実である。張作霖爆殺事件についても、コミンテルンの仕業という説が有力になっていると書く。ごく一部にそういう説はあるが、まったく支持されていない。関東軍参謀の河本大作によるものだという説は、揺らいでいない。歴史で重要なのはバランス感覚で総合的な判断である。色々な説や情報の中から、最も信頼できる事実を選び取る作業が重要なのだ。都合よい説をつまみ食いしたのでは、歴史を理解したことにはならない」
<私の理解では、確かに石原莞爾らの独断というのは、北岡の言うとおりだ。ただ言葉の選び方だ。「独断」「独走」「勇断」、「陰謀」のうちどれを使うかによって、北岡の言う総合力の記述の仕方が変わる。私なら「独断」、「独走」もしくは「勇断」という言葉を使う。当時満州は日本の生命線であり、少数の日本軍が在留邦人を守り、大軍を誇る張学良軍に対処していた。日本の利益を考えれば、たとえ中央日本軍部の了承を得ていない「独断」、「独走」であっても「勇断」と表現したいところだ。北岡が「田母神が相手の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはなかったと断定するのはおかしい」と指摘するのは、ある程度正しい。確かにもう少し慎重な書き方が必要だっただろう。しかし、北岡の「陰謀」という言葉を選んだよりましだ。陰謀とは誰に対してなのだろうか。少なくとも、この言葉は現在の中共にとって都合が良い。北岡の日中歴史共同研究委員会の座長として、どのように中共に対処しているか、具体的に知らなくても大体の見当がつく。それに、石原は相手の了承を得た上で進めたのかもしれない。それこそ、このケースにおける実証的な研究が必要だろう。次に張作霖爆殺事件は、私の大学時代は、河本大作によるというのが通説であった。河本は大杉栄と愛人を殺し、軍事裁判にかけられるも短期刑期を終え、満州に逃れ、満州映画株式会社(?)の社長におさまり、終戦後青酸カリを飲み自殺した悪い奴というイメージがあった。ところが、近頃の研究では、コミンテルン説が浮上し、この事件だけでなく、盧溝橋事件を引き起こしたのも、コミンテルンであるという説が出てきている。劉少奇陰謀説の実証的研究がすすんでいる。日中戦争、太平洋戦争において、日本と国民党、日本とアメリカを戦わす陰謀がコミンテルンによってなされたことは、近頃の常識になりつつある。田母神は近頃の歴史学の趨勢を、充分理解した上で、論を展開したようである。コミンテルンの仕業説を、否定しようとする北岡こそ、偏向しているように私には思える。都合の良い説をつまみ食いしているのは北岡の方なのだ。北岡のバランス感覚というのは、中共が喜ぶ歴史認識のように見える。>
「田母神氏は、日本の朝鮮統治や満州統治は西洋列強の植民地支配とは違い、住民を差別せず同化を目指し、経済的に大きな成果をもたらしたと述べる。そういう面もあった。しかし善政をしけば植民地支配は正当化されるのか、支配された人々は納得するのか。仮に朝鮮または清朝が日本を植民地にして主権を奪い、他方善政をしき日本を経済発展させれば、日本人は満足したか。断じてノーである。成果は乏しくとも、自分のことは自分で決めたい。それがナショナリズムである。現に田母神氏は、アメリカが戦後日本に繁栄をもたらしたことを評価していないではないか。」
<北岡は歴史学者というより、現代政治評論家である。現在の中共南北朝鮮の国民感情を分析している。過去のある時代に満州も朝鮮も自分のことは自分で決められなかった。国家としての基礎的な力がなかったので、日本の統治をお願いしたのである。歴史とは、現代の感覚で見るのではなく、研究する時代の時代背景や当時の人々の感情を考えなければならない。北岡はその歴史学の「いろは」も承知していないようだ。>

つづく