チベット大虐殺と朝日新聞#11

チベット大虐殺と朝日新聞#11
 「相手が嫌がることはしない」という言葉は、2007年に阿部総理の突然の辞任の後に、福田康夫麻生太郎自民党総裁を争った際に、首相就任後の靖国神社への参拝について質問されたときの答えだった。「相手が嫌がることはしない」と中共、韓国等に気を使って靖国神社に参拝しないことを明言したのだ。ここで端的に表されているように、福田は価値観の序列が全く理解できない男である、自国の戦没者を追悼する行為に、他国が口を挟むのは内政干渉以外の何ものでもない。そもそも靖国の首相参拝に対して、中共が執拗に干渉してくることこそ「相手にいやがることをしてくる」行為である。こちらがしたいことを相手が嫌がり、相手がしたいことをこちらが嫌がる場合に政治が生まれる。完全な調和が不可能だという了解の上に、妥協と調整を求めるのが政治である。自国の主張を相手に堂々と展開できない、職務、本分を放棄した人物が総理大臣であるというのだから、恐ろしい。「歌を忘れたカナリヤ」ならぬ「主張するのを忘れた政治家」福田康夫胡錦濤の訪日を熱烈に歓迎したのはいうまでもない。

<福田発言は、戦後日本の政治の姿を如実に表している。戦後日本は国家たることを一度も経験していない。アメリカの属国、中共、韓国へ物言えぬ国(?)に成り下がったのである。経済大国と胸を張っても、所詮、アメリカの飼い犬である。この現象はGHQの日本去勢策動から始まり、江藤淳が述べた「閉ざされた言論空間」を通り、もはやGHQの何のお咎めもないのに、自国民自身で縛りあっているのである。首相自身がこのような、屁のような発言をする背景には、日本のマスメディア、言論界、世論の低能ぶりが背後にある。福田を代表とする団塊世代は、前世代(親世代)が戦争敗北により自信をなくし、躾、教育まで手が届かなかった、生活するのが精一杯の時代に、自由奔放、野放しに育った。ただ前世代を批判、攻撃は出来ても、確固とした自己確立ができていない、自己確立ができていないので勿論確固とした国家観念などない。せいぜい「万国の労働者、団結せよ」とインターナショナル革命を夢み、社会人になればただの働き蜂。争わず、誰とでも仲良くして、会社のために働く。これは行きつけば、自分が可愛いというだけの小市民に他ならない。それが、国が今変貌しようとするとき、何の力もだせない。歴史認識の甘さと、国際情勢の把握の甘さが、トップは総理大臣から大衆の一人ひとりまでに馬鹿さ加減が見事浸透している、世界でも不思議な国に成り下がってしまった(しかし、この馬鹿さ加減を世界は歓迎し、世界の中でも好まれる国民のトップに日本は入っている。これも不思議な現象である)。しかし、骨の髄まで冒されていないことを祈り、日本再生を望むものである。>

  <媚中派は福田だけではない。河野洋平という売国者が衆議院議長の座にいたのだから、日本も不思議な国である。>

 平成5年8月、河野洋平宮沢喜一総理の下で、官房長官の時、「河野談話」が発表された。所謂「従軍慰安婦」の強制性を認めた上、謝罪を含む談話を発表したのである。河野談話に対する見直しを求める動きに対して、河野は「談話は信念を持って発表した。あれはあの通り受け止めてほしい」と発言している。歴史の真実よりも、自身の「信念」(?)を優先させているが、何よりも驚くのは、この「信念」の中身である。「日本軍は悪事をなしたに違いない」という妄想が自身の信念だと言い切るのである。
  反日を信念とする河野洋平は、チベット問題でも<能天気>な発言をしている。2008年、4月18日の楊潔チ(ようけつち)との発言に注目する。
 「河野洋平衆院議長は18日、来日中の外相と議長公邸で会談し、5月に予定される胡錦濤国家主席の訪日と、北京五輪の成功に期待感を表明。チベット問題に対しては『中国の主権の範囲で問題が解決されることを望む』などとして、チベット問題を内政問題として処理したい中国側の意向に配慮する姿勢を強く打ち出した。河野氏は『人権への国際的な関心が高いことには配慮する必要がある。もう少し広報の工夫があってもいい』と指摘したが、聖火リレーで混乱が続く北京五輪については『良い五輪になることを祈っている』と述べるにとどめた。これに対し楊氏は『日本がチベット問題を中国の内政問題ととらえていることを評価する』と河野の発言を歓迎する姿勢を強調した。
  同日、楊氏と会談した自民党伊吹文明幹事長もチベット騒乱に関する報道について『中国の立場がメディアを通して正確に伝えられていない。常に(中国がダライ・ラマ14世との)対話のチャンネルを開いていることをマスコミによく分からせる必要がある』と中国側を擁護した。」(『産経新聞』2008年4月18日付)
  
    河野は、中共に向かって「人権状況を改善せよ』と迫るのではなく、「広報の工夫をせよ」と迫っているのだ。これでは、河野は、チベット問題について、中共の巧妙なプロパガンダで世界を欺いてしまえと提案していることになる。チベットの大虐殺の真実を正直に見ようとしない政治家に数多いが、中共の立場に与し中共に対して「プロパガンダで世界を欺いてはどうか」と提案した政治家は河野洋平以外にいないのではないだろうか。世界に対して日本が恥を晒(さら)した一瞬であったといってよいだろう。また、『常に(中国がダライ・ラマ14世との)対話のチャンネルを開いていることをマスコミによく分からせる必要がある』などと、珍妙なることを述べた伊吹文明自民党幹事長も自らの不明を恥じる必要がある。中共ダライ・ラマとの対話をいつでも行なう準備があるとは、どこから出てきた話なのか。ダライ・ラマを罵倒し続ける中共が、つねに対話のチャンネルを開いているはずがないのは自明だろう。確かに中共は言っている。「いつでもダライラマとの対話をする準備があるが、祖国分裂主義者ダライは、分裂への策謀をめぐらせ、真摯な態度を取っていない」と。だが、これはまさにプロパガンダであって、こういう発言を真に受けるのは異常である。過去の中共チベット政策、侵略、過酷な支配、嘘だらけの外交を見れば、こんな話がプロパガンダに過ぎないことは、高校生でも分かる話だろう。

   さらに、チベット問題は中共の内政問題だから、干渉してはならないと、まるで中共の走狗か操り人形のように語り続ける人物がいる。政治家として引退はしたが、今なお、隠然たる力を誇り、人権擁護法推進の黒幕ともいわれる自民党元幹事長野中広務である。2008年4月18日、中国共産党中央対外連絡部の王家瑞部長と会談した際に、中共王家瑞に「野中広務元幹事長は中国国民の古い友人であり、両国の友好を推進してきた」と持ち上げられると、野中は次のように指摘した。
 「胡錦濤総書記をはじめ、中国政府の指導者は日本との関係発展を非常に重視している。チベット問題は中国の内政であり、われわれはこの問題を利用したオリンピック大会のボイコットと破壊に反対する。」(「人民日報」2008年4月18日付)
   中共の正当化の嘘を野中は知りながら、敢えてこのような発言を行なったとも考えられる。だが、これは大問題である。なぜなら、もしそうならば、「中国と日本の関係発展こそが重要なのだから、チベットへの侵略など日本にとって何の関係もないのだ」と、中共チベット侵略を全面的に容認することになるからである。仮にそうだとするならば、野中は「日中の友好を発展させるためならば、チベット侵略を容認する」、ないしは、「日中友好のためであれば、幾多の無辜の人々が虐殺されようとも構わない」という。まるで血も涙も無い「死の商人」のような発言をしたことになる。日中友好が全てであり、人の命や人権など全く関係がない、そんな小さな事実には目をつぶってしまえというならば、野中は悪しき帝国主義者である。やはり、異常な発言としか言いようがない。

 <ある独裁国家の人権状況が最悪の事態に達したとき、「内政不干渉」という盾を突きつけるのは常套手段である。それに対して、国際社会は立ち上がらなければない。それが近代国家の責務である。そのことがお分かりにならないようである、野中氏は。それもチベット問題は中共の国内問題だと本当に思っておられるのであろうか。これは中共の国内問題ではなく、中共の他国侵略問題なのである。この常識ともとれることを、何故に賢明なる野中さん、お分かりにならないのだろう。もはや政界を引退なされ、脳内硬化症を患われておられるのだろうか。>つづく