チベット大虐殺と朝日新聞#8

チベット大虐殺と朝日新聞#8
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1956年には、悪名高い「タムジン」が開かれた。「タムジン」とは人民裁判とも呼ぶべきシステムであり、民衆間に亀裂を生じさせることが中共の目的であった。子供が親を、使用人が雇い主を、僧侶が高僧を密告し、密告された人間は集まった住民の眼前で辱めを受けるというシステムである。・・・また中共は、従来のチベット社会における弱者、乞食に階位と制服を与え、彼らが不当に搾取され続けたのだと説き、チベット人の間で憎悪の感情が生まれるべく策動した。
  また「中国はいかにしてチベットを侵略したか」によると、次のようなこともあったという。
 「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙い打ちにされ、尼僧との性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小舎にされ、僧たちはそこで連行されてきた売春婦との性交を強いられた。あくまでも拒絶した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。」
  「チベットの女戦士アデ」によれば、
 「取り締まりを受けているとき、蹴飛ばされ、ライフルの柄で身体中を殴られた。また両手を頭の上に挙げて、二つの木製の鋭い三角形の上にひざまずくように強要された。腕を下げると、ライフルの柄で殴られた。」
  これだけの拷問を受けながら、アデは一切の情報を提供しなかった。不屈の精神といってよい。アデはこの後27年間、労働改造収容所に収容され、強制労働に従事させられた。ゴダン・ギャルゴと言う収容所では、1959年に1万人から1万3千人のチベット人が収容されていたが、1963年にアデが他の収容所に移送されたときには、なんと60名しか生き残っていなかったという。1万人以上の人間が虐殺されたのだ。強制収容所では、過酷な労働を課せる一方で食料はほとんど与えられず、人々は雑草を食べ、豚の餌を盗み、ついにはゴキブリを食べる者すら続出したという。」・・・チベット中共の侵略以後120万人以上のチベット人が、飢餓、処刑、拷問、自殺などで死においやられたのだ。
   2002年の段階でアメリ国務省が発表した「世界人権状況」には、<19の項目が挙げられているが、そのうち重要なものを列挙する。>

* 法的予防措置の内容、その適用方法とも不適切である。裁判官の殆どはチベット人であるが、司法に関する教育はほとんど、あるいはまったく受けていなかった。
ダライ・ラマの写真を飾ることは、相変わらず禁止されていた。
* 第11世パンチェン・ラマの無事を確認し、近況を確認するため、繰り返し求められる面会が却下され、彼の肖像画を飾ることも禁止された。
チベットの子どもたちの栄養不足が蔓延している。
* ラジオ・フリー・アジアは、チベット人が外国語放送を聴視した場合、罰金の対象になると脅かされていることを報じた。
   
  それに、見逃してはあらないことがある。それは現在のチベットでは、600万人のチベット人が生活しているが。じつは、これを上回る750万人の漢民族が生活しているのだ。彼らは、チベットに入植し、着実にチベットを同化させようと試みている。

   1989年、チベットにおいて自由と独立を求めるチベット人により民族運動が高まった。3月5日、ラサにおいてチベット人によるデモが開始され、3日間に渡ってデモは続いた。過去最大級のデモである。このとき、現在の中共国家主席である。胡錦濤は、チベット自治区共産党書記(責任者)として派遣されていた。チベット人による民族運動を弾圧、鎮圧するためである。3月5日のデモの大きさを見るやいなや、7日には、ラサに戒厳令を布告した。このとき胡錦濤は徹底した武力行使による鎮圧を行なった。デモに参加したチベット人を警察が警棒で殴りかかり。無差別発砲を繰り返したのである。ある目撃者によれば、警察はチベット人の住む家屋に自動火器を射ち込み、家族全員を殺したともいう。このときの徹底したチベット人殺害が訒小平に功績として認められ、胡錦濤国家主席にいたる出世街道を歩むことになった。

  チベットの例は、我々日本人にとって決して対岸の火ではありえない。それは明日の日本ではないと誰が断言できるであろう。平和で非暴力的で善良な国民が、その国防の貧弱さゆえに侵略され、虐殺され、同化されつつあるのだ。今なお憲法9条固執し、日本の国際増強を危険視する愚劣な勢力が存在しているが、彼らはチベットの実例をどのように受け止めているのだろうか。この現実を直視した上でもなお、「侵略されるはずがない」だの、「侵略は国際社会が許さない」だのといった寝言を吐き続けるのか。チベットの亡国の歴史は、我々日本人に国際社会の厳しい現実を突きつけてくる。

アメリカに住んでいると、国際的な緊張感を感じる。特に、モンゴル、新疆ウイグル(私のブログを参照してもらいたい)、そしてチベットを学習していくうちに、いかに防衛力のない国が強国の餌食にされているかがよくわかる。まだ残念ながら世界は弱肉強食の時代なのである。どの国も日本を助けなどしてくれない。特に日本の文化人と称する人々がまだ夢を見ておられる。日本という国は不思議な国である。このような夢を見ておれられるお方のIQが高いというから。日本は本当に外国の侵略に遭わなければ分からない民族なのだろうか。しかし、真(まこと)の心を取り戻せば、浮ついたIQなど吹っ飛ぶのだが・・・>

第六章 中華思想という侵略イデオロギー
   クルトワの「共産主義黒書」によれば、共産主義イデオロギーの被害者は、各国別に産出して次のようになる。
ソ連、死者2千万
中国、死者6千5百万
ヴェトナム、死者百万
カンボジア、死者2百万
東欧、死者百万
ラテンアメリカ、死者15万
アフリカ、死者百70万
アフガニスタン、死者百50万
国際共産主義と、政権についていない共産党、死者1万
 
  余りの数の多さに驚くだろうが、これが現実である。20世紀、罪なきいくたの人々が狂えるイデオロギーの犠牲となったのだ。総計1億人を超える共産主義の被害者は、第一次世界大戦第二次世界大戦の被害者数(第一次の戦死者9百万人、民間犠牲者50万人、第二次大戦の戦死者2千7百万人、民間人犠牲者2千万人、総計約6千万人)の合計を超えているのである。従って20世紀を「戦争の世紀」と呼ぶことは、あまり正確ではない。「共産主義に対する狂信の世紀」との呼称こそが20世紀に対する正確な呼称だと言うべきだろう。つづく