チベット大虐殺と朝日新聞#3

チベット大虐殺と朝日新聞#3
「【チベット暴動の背景】
カンパ族というのは、チベットのあらゆる部族のうち最も好戦的で、ダライ・ラマに狂信的な忠誠を示しているといわれる。・・・それにしてもダライ・ラマが拉致されるのではないかという心配が暴動にまで発展するというのは、チベット人ダライ・ラマに対する信仰がいかに強いものであるかを物語っている。
今年25歳の第14世ダライ・ラマチベット人の信仰を得ているのは、チベットを支配するラマ教の教義、とくに化身ラマの思想によると思われる.。」(1959年3月28日)

  
ダライ・ラマに対する信仰が強すぎるあまり、こんな事件になってしまったんだ」と、朝日はチベットを蔑視し宗教を蔑視する。そして、「たかがこれだけのこと」で暴動を起こしたチベット人を「狂信的だ」と形容する。そして、中国当局プロパガンダをそのまま垂れ流す。
 

   「【ラサ地区平定、ダライ。ラマ、反徒の手に】〔28日北京発新華社
中国国営通信社新華社は同日、チベットの反乱事件について、次のように公報を発表した。
チベット地方政府と上層反動グループはチベット人民の意志に反し、祖国に背き帝国主義者と結託し。反徒を集め、3月19日夜、ラサで人民解放軍駐留部隊に対して武力攻撃を仕掛けた。人民解放軍チベット駐留部隊は命を受けて、22日ラサ地区の反乱分子を徹底的に粉砕した。現在、人民解放軍チベットの僧俗各界の愛国人民の協力のもとに引き続きチベットの若干のその他の地区の反徒を掃討中である。・・・
チベット反国家分子の反乱活動は、その由来は、すでに久しいものがある。これらの反乱分子は帝国主義およびチベットの最も反動的な大地主を代表としている。チベットの平和的解放についての協定に調印して以来、彼らは、この協定をホゴにしようと図り、武力反乱を準備した。」(1959年3月29日)

  一部ダライ・ラマを中心とする反動グループだけが祖国に背き、祖国を分裂するための運動を策謀し、人民解放軍に対して武力攻撃を仕掛けたと新華社は伝えている。これらの論調が朝日の今までの報道とそっくりであることを読者は気づくであろう。また、人民解放軍がこの抗議に立ち上がった人々を大虐殺したことに対して、新華社は「愛国人民の協力の下に反徒を掃討している」といふうに発表している。「平和的解放についての協定」は1951年にチベットが無理やり騙されるような形で結ばれた協定である。中共ダライ・ラマ使節団を軟禁状態に置き、印璽(いんじ)も偽装して無理やりに結ばせた協定である。
  さらに驚くべきは次の記事である。

  
   「【公正な正義をこそ  チベット事件解決の道  森恭三
チベットの神政に問題があるのはたしかだ。一人のダライ・ラマが死んで、跡継ぎが選ばれる方法にも一端があらわれている。非合理性が世界の天井と呼ばれるこの国の社会のいたるところにはびこっているにちがいない。いつまでも現状を維持できるものではないことは、わかっている。結局は変わるであろうし、また変えねばならない。問題は、だれが、どう、変えるか、ということである。チベット人自身のみが、これを決定する権利をもっている。中共としても、この大原則を否認するものではあるまい。だからこそ、一方では、バンチャン・ラマを前面におしたて、ここにチベット人民の意思があると主張しつつ、他方では、国府チベットの反動的支配階級を助けて、反乱をそそのかしたのだ、といっているのであろう。本当の人民の意思、あるいは外からの工作が、世界を納得させるような方法で証明されるなら中共の実力行使も止むをえなかった、と言う結論が出るかも知れぬ。国連による調査が、これを証明する一方法である。」(1959年4月5日)

  
   まるで既に中共の実力行使もやむをえないと決まったかのように書き立てる。つまり朝日は中共チベット人民に対する大虐殺を肯定する論説を堂々とあげているのである。
   
  「【中共少数民族政策  変わって来た ”自治尊重“】
北京の中央政府は建国以来、自族自決とまで行かずとも大幅の自治少数民族に認め、かれらの民族的特色を守る方針をとり、そのためには絶対多数の漢民族少数民族軽視の態度を改め、また少数民族間でもお互いに排斥しあうことをやめるように大民族主義反対の政策をかかげた。地主であった漢民族の特権は土地改革と次の農業合作化の変革で経済的土台を失い、少数民族地区では漢民族の政治的、経済的進出は相当抑えられた。・・・・少数民族中国共産党の指導に反対し、漢民族との協力を拒否する狭い地方民族主義にとらわれ、この風潮がハンガリー事件後次第に中共で拡大しつつあったことを北京政府は警戒しだした.・・・」(1959年4月7日)
  

   共産主義を信奉する中共が、少数民族を弾圧するはずがない、少数民族自治を認めないはずがない。少数民族の宗教や文化を尊重しないはずがない」といった妄想が先にあって、事実を事実としてみることが出来ない状況に朝日は陥ってしまっている。
    
   「【世界の鼓動(128)  荒れるアジアの国境  話し合い阻む
中印両国の感情】
  中国とインドは、平和五原則をきずくとして結ばれた、いわゆる人もうらやむ仲だった。ところがチベットの反乱を契機として、両国の関係は急速に冷たくなり、こんどの国際紛争によって対立はさらに深まった。・・・両国の話し合いが実現するのを妨げているものの一つとして、インド国内における反中国的感情の高まりがある。それは中国を”侵略的”ときめつけたネール首相の態度にもあらわれているが、インドの右翼政党や新聞の動きはさらに攻撃的である。たとえば、ニューデリーの新聞には連日中国を攻撃する解説記事が載り、ニューデリーの中国大使館と各地の中国領事館にはデモ隊がおしかけ“中国帝国主義打倒”“周恩来打倒“と叫ばれているといわれる。中国が最も警戒しているのは、こうしたインドの右翼勢力とチベットの反動分子との結びつきであり、これにさらに外部からの陰謀や策動が加わることである。ここに、中国がチベットに対する支配を固め、今度の国境問題にも強い態度を取っている理由の一つがあると思われる.。」(1959年九月19日)

  
   インドの右派勢力とチベットの反動分子が結びついて、外部から陰謀や策謀を企てているからこそ、中国はますますチベットに対して支配を強めなければいけないという、恐るべき論理である。「ここは元来中国だ。この地を中華化しなければならいない」のである。そのような侵略主義的国家とインドは国境をせっしているのである。

<この論法で行くと沖縄は支那中共のものである。沖縄が侵略されたとき朝日はどのようなことをいうのであろうか。>

   「【今日の問題  『内政不干渉』
 チベット問題に関するエール・マラヤ決議案が国連総会で可決された。賛成45、反対9、危険26で、日本は賛成に回った。・・現在「内政不干渉」は、国際関係を規律する柱の一つだ。「内政不干渉」は、歴史的には、大国が実力を背景として小国の内政に干渉するのを排除する意味で、進歩的な意味がた。・・・だが「内政不干渉」は、しばしば大国によって悪用される。自分の国内や植民地では、民衆を煮て食おうと焼いて食おうと、他国にクチバシを入れさせぬ、と言うことにもなる。・・・この2本の柱の間の、どこに境界線をひくか、やたらに「民族自決」と称して、騒動を起こされては、秩序が保てないし、世界の平和もあぶなくなる。矛盾する要請を、どう調和させるかの問題ともいえる。チベット決議案の可決は、この意味で、一つの重要な先例となろう。それにしても、日本代表の賛成投票は、あまりにもお座なりではなかっただろうか。」(1959年10月23日)
つづく