記事【映画南京の真実】へのerasusさんの反応#1 

記事【映画南京の真実】へのerasusさんの反応#1 
 私のブログ記事「映画南京の真実」への反応が凄い(?)。一つは現在この記事が大手雑誌社に掲載されるかどうか動いているという。私はこの記事を友人にメールで送ったのだが、友人の友達を経由してある大物評論家に届き、その評論家が大手雑誌社の編集長に私の記事を掲載するように要請しようとしているという。友人を通して私が掲載を了承するかどうかを尋ねてきた。私はOKしたが、さて実際に掲載されるのだろうか。その後掲載されるという連絡がきていないので、クエッションマークということだろう。また違う友人から、私の記事がブログ界で話題になっているというメールをもらった。実際はこの大物評論家が彼に「このような記事がある」と連絡してきた程度のようである。ブログ界で私の記事がどのように動いているのか、よく分からない。読者数がそれほどでない私のブログが、ブログの世界で話題になっているというのは、友達の早とちりであろう。彼にすれば大物評論家から私の記事を紹介されたので、ブログ界で私の記事が動いていると勘違いしたのだろう。
 
  もう一つの出来事は久しぶりにerasusさんからのトラックバックが入っていたことである。まず、彼のブログを覗いてみよう。

支那との思想戦争(三)映画ザ・レイプ・オブ・南京の「南京大虐殺http://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/32408940.html

☆★☆ 名探偵蒙裡胡伍浪之名推理教室 ☆★☆
ご挨拶コメントはご遠慮くださって、ご批評ください!
(木庵注:最初の記事は名探偵蒙裡胡伍ことerasusさんの引用されたブログ記事である)
真実が奈辺にあるか?なかなかわからないことだが・・・映画のイメージ作戦には映画で対抗すべきだろうな。

私たち、日本会議国際広報委員会はいわゆる「南京大虐殺」は、冤罪であると考え、世界に対し、その再審を訴えます。

へぇー、この事件を国際法廷ででも再審させたいのかい(嘲笑)。

イメージ作戦なら、?毛沢東の実験の数々?・・・死者総数数億人、と映画でやったらどうか(嘲笑)。三十万人程度の殺戮や二万人のレイプなど吹っ飛ぶぞ!


 なにしろ、「虐殺三十万、レイプ二万」と称しているのだから、人権尊重とフェアプレー精神をモットーとする米国国民の間に「日本憎し、厳罰を加えよ」との声が挙がったところで、無理からぬところであったろう。しかし、冷静に考えるならば、事態はこう問われてしかるべきなのである。すべてこれは、〈南京大虐殺〉が間違いなく存在したということをもって不可欠の前提としているが、はたしてそれは正しく立証された事実なのであろうか、と。

ただの映画だ。

それに煽動された加州議会のほうが、お粗末なのだ。


 同書でサドの文学も顔負けといった残虐の極致を覗き見た読者は、しかしながら、興奮から覚めてののちに、たとえば、次のような疑問を抱かなかっただろうか。
「わずか六週間で市民三十万人が殺され、死体の多くが石油で焼かれたなどというが、そのためにはアウシュヴィッツ並みの大火葬場が何十箇所も必要であろう。いったい誰があの密閉された城壁空間内でそんなものを見たのか」

そんな石油は、日本軍にはないよね(嘲笑)。

それだけは確かだ。


「加えて、『レイプ二万から八万』という。ソ連兵のベルリン攻略の後は大変な“ベビーブーム”だったと伝えられるが、南京戦後、同市内に日中混血児があふれたなどと誰が事実を記したか」

支那人は、避妊の秘伝くらい持ってるよ(嘲笑)。


 なるほど、〈南京大虐殺〉を告発する側では、一応は死体の数も特定され、目撃者の証言、また、犯人の動機らしいものもあると言い張っている。だが、実はそれは、およそ文明国の法廷において証拠能力も証明力も全く認められ得ない、お粗末きわまりない類のものばかりだったのである。そして、まことに驚くべきことに、こうした実情がほとんど欧米世界で知られることなく、ただただ、世にもおぞましい〈南京大虐殺〉があったという吹聴、プロパガンダのみが、これら反日運動家の主張のままに米国内に定着しつつあるありさまなのだ。

あのなあ(苦笑)。

かの北支那派遣軍司令官だった岡村寧次中将が殊更に部下の綱紀に気を使ったのは、おそらく大日本帝国皇軍参謀本部とかで、南京大虐殺とされた南京囲城戦で不祥事が多発したことを反省していたからだろう。軍部内部では評判になっていたのだ。直接の総司令官だった松井石根中将も言及している。

あったことを?なかった?という言い訳は、子どもの世界でも通用せんぞ(苦笑)。


 そこで、我々は次のような作業に取り組んだのである。すなわち、一九三七年十二月十三日から約六週間にわたって日本軍によって行われたとされる〈南京大虐殺〉を仮に一つの「殺人事件」(ならびにそれに付随する掠奪・強姦事件を含む)としてとらえ、刑事訴訟の手法を用いて、告発した側に挙証責任があるという前提のもとに、「犯罪」としての立証がなされ得ているか否かを綿密に再検証し、これによって事の真相を客観的に究明しよう、と。

無意味だ。

皇軍の総指揮官の反省だけで十分−。なにせ皇軍だからな(苦笑)。

一切の不祥事は大元帥陛下への不敬なのだ(苦笑)。


 換言すれば、「大虐殺がなかった」ことを論証するのが目的なのではなく、「大虐殺があった」との立証が全然なされていないという事実を明示しよう、それで一切を明白にするうえに十分であると思料する立場をとったのである。

人数の問題ではない。そんなものは低位の話だ(嘲笑)。
つづく