ビルマ(ミャンマー)#32

ビルマミャンマー)#32
ビルマについて相当量書いてきた。一応曲がりなりにも、筋らしきものがあったと思う。この筋から外れた、雑多な知識を捨てておくのも勿体ないので、これから私の記録として、残しておく。>
雑多なるビルマ
1) ラングーンにある高さ98メートルの黄金の仏塔シュエダゴン・パゴダの仏塔の全面に張りめぐらせてある金箔の総量は10トン以上。これはイギリス統治時代の大英帝国保有する金の総量を上回っていたという。また仏塔の上部に埋め込まれているダイヤは2000カラット超、その他にルビーやサファイアなどの宝石が埋め込まれていて、それらをお金に換算するとビルマの全国民を30年間養えるほどになるという。
ビルマが如何に東南アジアのなかでも豊かな国であったか、これを見ただけでも分かるだろう。またその富を狙ったイギリスの気持ちも分からないこともない。>
2) ビルマ政府は気まぐれ。一夜にして紙幣を紙くずに変えた。わずか20年あまりの間に、三度「紙幣廃止」を行なった。その理由はこの国の経済に大きな影響力をもつインド人や中国人の力を排除するためであったという。
<これは裏を返せば、軍事政権の民族意識が強く、外国の勢力を排除しようとした結果である。しかし、結局成功はしていない。このような小手先では何の力にもならない。> 
3) 日本人は一番見晴らしのよい場所にホテルを建て、ビルマ人はパゴダを建てる
<仏教国ならではの話>
4) ビルマ政府はよほどのことがない限り、外国人を処罰することはない。しかし現地の人は不条理な理由で簡単に逮捕、投獄される。
<国柄なのだろう。反政府運動の激しい国。ある程度の強権は仕方がないが、近頃の軍部には理念がなくなっているようである。もはや支那中共の強権政治と同じになったのだろうか。> 
5) タイやカンボジアの伝統舞踊が、もともと大きな影絵を操る影絵師の身のこなしを模倣して発展したといわれているように、肘を張るように踊るビルマ独特の伝統舞踊はマリオットの人形の動きを模倣したといわれている。そもそもマリオットは王朝時代、国の窮状を伝えるのに言葉では角がたつから、芝居の形にして王に伝えたとされる。国王はその芝居を見て、自らの態度を改めたという。こうしたガス抜きが結果的に王権を支える装置として働いていた。それより、王政時代にはこうした批判を受け入れる寛容さがあった。
<それに対して、現軍事政権のタン・シュエはこの寛容さがあるのだろうか。> 

6) モン民族がつくった古都タトンは、紀元前3世紀、仏教発祥の地インドでもスヴァルナ・プーミ(黄金の地)として知られた国際都市であった。中国の「後漢書」には、紀元97年にタトン「(手偏+古漢字の単)国王が後漢の和帝に朝貢したと記されている。この国がタトンと考えられている。彼らはビルマ文字の原形となったといわれる独自のモン文字を持っていた。その後紆余曲折の歴史を辿り、1757年モン王国は滅亡した。王国をなくしたモン民族は、支配者になったビルマ民族によって虐殺と文化破壊という徹底的な民族浄化を行なわれ、急速に衰退していた。イギリスがビルマにやってきて以来、マジョリティであるビルマ民族の宿敵はカレン民族に代わったが、モン民族はビルマ民族にとって煙たい存在であることにはかわりはなかった。かつて国連の事務総長を勤めたビルマ人のウ・タントは国連の演説で、「この世にモン民族などというものは存在しない」と発言した。すると同席していたタイの国連大使が「私の祖先はモン族だ」と言い返したという逸話がある。
7) カレン民族の場合、半数が仏教徒、残りの半数がキリスト教徒とアニミストである。イギリスの統治の時代、トップにインド人を置きその下に下級官吏としてマイノリティのカレン人を登用した。そうすることにより、ビルマ民族の不満や怒りの矛先を直接イギリス人に向かわないようにした、イギリスの得意とする間接統治であった。1980年代、タイの物価は日本の5分の1、ビルマの物価はタイの5分の1ほどであった。
8) タイでは3000頭の野生のゾウがいるといわれている。森林の多くが消失しているタイに対して、豊富な森林があるビルマでは1万頭を超える野生のゾウが暮らしているという。
9) タイでは、以前ゾウ使いを踏み殺したゾウを死刑にしたことがあった。ところがビルまでは、そのようなケースはあくまでも事故として扱い、事故を起こしたゾウをまた調教しなおし、使役の現場に復帰させるという。
10) シャン州ゴックは世界最高水準のルビーを産出する。シャン州の北のカチン州パガンでは、世界のヒスイの大半を産出するといわれている。ウランや希少金属天然ガスチーク材、そして大量の金がカチン州で産出される。しかし、こうした天然資源の採掘権の大半はビルマ政府や政府と関係する中国企業が収奪してしまうため、地元民に還元されることはない。わずかに地元の人々が恩恵を受けるのは砂金だけである。
11) 宇宙から夜の地球を眺めると3つの人工的な光が見えるらしい。街の光、漁船の漁り火、そして山を焼く炎、つまり焼畑の火である。山岳地方に住むチン族は多くの山岳民族同様、焼畑農業をしている。
12) アキャブ沖には豊富な天然ガス資源が眠っている。日本を始め各国政府はこの資源を獲得するためしのぎを削ってきた。しかし結局、採掘権を得たのはビルマの軍事政権に深くコミットした中国だった。
13) 第二次大戦初期に名をはせた日本の加藤隼戦闘機はアキャブの飛行場をベースにイギリス空軍や中国空軍と戦闘を重ねた。
14) イギリス植民地時代、ビルマ全土で人口の1割を超えるインド人が暮らしていた。しかし、独立後、インド人への風あたりは強く、多くのインド系住民は本国に戻った。それでもなお相当数のインド人系住民が、ビルマ国内で暮らしているといわれている。ビルマ政府はその数を100万ほどといっているが、じつは、その数は正確につかめていない。理由は、ビルマ政府の迫害から逃れるため民族名を隠しているインド人が相当いるからだ。
15) ビルマには多くの民族が割拠していた。その中で国家を持つことが出来たのは滅亡したピュー民族をはじめモン民族、アラカん民族、シャン民族そして現在の支配者ビルマ民族である。現在に至るまで国家を持ったことのない民族はカレン民族、チン民族、カチン民族なでである。前者は文字を持っていたのに対して、後者は文字を持っていなかった。
つづく