田丸美寿々#4

田丸美寿々#4
[編集] 地方公共団体
2001年6月8日、東京都は都庁内の鍛冶橋・有楽記者クラブに対し、同年10月からクラブ及びスペースの使用料を支払うよう申し入れたが、後にこれを撤回し、光熱・水費と内線電話代に限って徴収することになった。また、石原慎太郎東京都知事は週刊誌や外国報道機関が会見に参加できないことについて疑問を呈している。
2007年5月11日、東国原英夫宮崎県知事は定例記者会見で、「記者クラブという存在は、先進国では日本だけ」であると述べた上で、現行の県政記者クラブの在り方を見直すべきとの問題提起を行った。この直後、読売新聞など一部メディアでは否定的見解を表明した。
[編集] 長野県の「脱・記者クラブ宣言」
2001年5月15日、前長野県知事田中康夫は「脱・記者クラブ宣言」[16]を発表した。県庁にある3つの記者室を閉鎖し、誰でも利用できるプレスセンター「表現道場」(後に「表現センター」に改称)を設置し、会見を記者クラブではなく県主催で行うというものだった。大手マスコミの情報独占の停止と記者室の無償提供などの便宜供与の停止が目的だったが、大手マスコミは激しく反発し、以後の県内外の大手マスコミとの確執を生んだと言われている。特に信濃毎日新聞は、田中から執拗に質問を受けるなど、信毎は「記者会見に名を借りた糾弾だ」と抗議していた。

   ウィキペディアの記事の中で、勝谷誠彦氏、「記者クラブ制度は『最大の利権談合共産主義』」のコメントが、一番日本ジャーナリズムを言い当てている。それほどジャーナリストと接触はないが、私の観察する限り、日本にはジャーナリストが真の批判精神を堅持し社会悪に真向から立ち向かう風土がなさそうである。熱血漢ジャーナリストがいたとしても、偏狭なるイデオロギーに汚染していたり、経験を重ねるにつれ、悪しき堕落したジャーナリズム世界にどっぷり浸かり、ジャーナリストとしての鋭い切れ味をどこかに置き忘れてしまう。このような日本のジャーナリスト集団が、はたして第4の権力としての機能を果たせるのだろうか。主流マスメディアに乗っているのか乗らされているのか、田丸が日本のジャーナリズムを根本から変えることなど出来そうにない。彼女にその任を負わせるのは酷なことである。
  だから、ここから田丸を抜きにして、日本のジャーナリズムを論じる。
  官報という言葉がある。日本のマスメディアは日本政府の、官僚の、伝達者に過ぎない。中共とまではいかなくとも、体質はそう変わらない。そのような日本のマズメディアが中共の報道管制をどれだけ批判出来るのだろうか。戦後日本は自由社会になったと思うのは勝手だが、社会主義国家である。大きな政府の下、官僚主導の国家運営がなされ、それを円滑に行なうためにマスメディアが利用されているだけである。
   元大手新聞のジャーナリストの方を知っている。官僚批判の本まで著し、骨のある方である。しかし、官僚批判をするための情報は官僚との接触によって得たものであり、今も官僚と接触する場を多く持つように努力している。元日本の主導新聞社という経歴を通して、官僚機構の矛盾を発見し、それを日本国民に知らせたいという動機はよい。しかし、官僚との接触によって、一般国民が知らないことを知り得たというだけで、結局のところ、官僚が吐き出す膿によって生活しているという自己矛盾に面している。賢い人であるので、そのことを意識しているのであろう。だから切れ味が悪い。「ジャーナリズムだけでなく、日本社会とはこのようなものよ」と見れば、彼の切れ味の悪さを同情できるが、国境なき記者団の活動などのことを考えれば、「ジャーナリズムの本務とは命を賭けるほどの迫力が必要である」と主張するのは、私の少年剣士的なジャーナリズムへの思いなのだろうか。
木庵